記憶鮮明 17

〜はじめの一言〜
がしがしがしがし。

BGM:SMAP not alone
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「その姿では立ち回ることも難しいだろう。雅様の傍を離れずにいろ」
「さ……、旦那様?」

そういえばなんと呼びかければいいのか話していなかったと迷ったセイは、斉藤と呼びかけて結局名前ではなく旦那様、と呼んだ。
ぴくっと眉を動かした総司は聞かないふりをして黙殺する。

「懐剣をすぐに抜けるようにしておけ」
「しょう……はい」

門前の通りの前まで来て雅は駕籠を降りた。
セイは雅についてゆっくりと門前の店先を通り過ぎる。人ごみに紛れて不穏な気配を振りまいている者たちが徐々に周囲に増え始めている。

「まあまあ、みて。セイ。かわいらしいこと。この小物懐かしいわねぇ」
「本当に。かわいらしゅうございます」

呑気に店先に置かれた小物をみて雅が楽しそうにセイに話しかけた。木片に美しい和紙と布とで張り合わせた小物は開く側によって、パタパタと交互に倒れていく。子供のおもちゃだが、昔からあるものだ。

「私が子供の頃にもこれはありましたよ」
「そうなんですね。私は家にあった父の道具類や兄のもので遊んでおりました」
「まあまあ。お転婆さんだったのねぇ」

少しばかり先を歩いていた斉藤は、周囲の状況に気を配っているはずがついつい、目の前の二人に気を取られてしまう。次の店は女子向きの小物が置いてあり、小さな油紙やきれいな絵の描かれた貝の中に上質な紅が入ったものなどがある。
その中の、美しい貝に手を伸ばしてやめたセイの背後から斉藤が手を伸ばした。

「これが気に入ったのなら買ってやろう」
「えっ。そんなことはないですっ」
「いいこと。一さん、セイに買ってお上げなさい」

言うまでもないとセイが止める先に、懐の紙入れから金を出して斉藤は店の者へと支払ってしまった。店の者が包みましょうか、というのを断って、斉藤はセイの掌に貝の紅を乗せた。

「……あ、あの……」
「気にするな」
「……ありがとうございます」

きれいな紅だと思った。だが、今のセイにはつけられるはずもない。そう思って伸ばしかけた手を止めたはずなのに。
手の中に貝を握り占めたセイは、女子のような扱いに戸惑ってしまった。嬉しいような、それでも斉藤は自分を男だと思っているはずで、何とも複雑な気分になる。

紅を手にしたセイはそれを懐に差し入れた。ただそれだけのことが斉藤には嬉しくて、顔を横にむけたもののどうしても口元が緩んでしまう。気を取り直して先へと促した。

「では、お参りを済ませましょう」

境内へと向かうと、一気に人がまばらになってくる。門前の店のほうが賑やかなのは仕方ないかもしれないが、人気がかなり少ない。急に総司が三人との距離を縮めた。

「若旦那」

総司の呼びかけが警告なのはすぐに知れた。斉藤は今の姿では、町人のため脇差しか腰に差していない。さりげなく、そちらに手を伸ばすと周囲から徐々に浪人達の数が増えて来て、二人組の浪人が目の前に現れた。

「すまぬが、そちらのご隠居」

浪人者とはいえ、こざっぱりして小金には不足していないという姿の男が二人。総司が脇に立ち、斉藤が前に出る。

「母に何か用がおありで?」
「本当の母御でもあるまい。そちらのご隠居に用がある」
「母にはない」
「ならば致し方ない」

男の合図で周囲から一斉に浪人者が集まってくる。ゆっくりと目の前にいた二人が斉藤から視線を外さずに抜刀した。周囲から町人たちの姿が悲鳴とともに消えて、遠巻きに成り行きを眺めている。

「何の恨みもないが、邪魔立てする者がいれば始末するように言われている。悪く思うなよ」
「悪く思うなと言われてそうですかという者もいませんよ」

総司が一歩踏み出して腰を落としたところからあっというまに抜き払った。しかし、相手も総司の一刀をかわして、後ろに後退する。

「ほう。腕の立つ用心棒を雇っているようだな」

斉藤は脇差を抜いたものの、自分から向かっていくというより、その場を動かずに背後の二人を守るように受けとして構えた。セイは雅を背後に守ると、胸の懐剣に手を添えた。懐剣であれば小柄で神谷流の稽古をしているのが役に立つ。

斉藤が切りかかってきた男の刀を受けたところで、総司は先ほどの二人と立ち会っていた。この二人がおそらく周囲を囲む男達の中で、一番腕が立つ。代表として名乗り出てきただけはあるのだろう。

互いに交し合って、組み合うこともない。

総司が二人を引き付けている間に斉藤は向かってくる相手を次々と打ち払う。相手を殺すわけではなく、あくまで戦えなくするということのみを狙っていた。

セイは自分も戦う気でいたが、総司も斉藤もセイのところまでは指の一本さえ、彼らを近づけさせずにいる。焦るセイの背後から雅がセイの肩に手を置いた。

「下がりなさい。セイ」
「み、駄目ですっ」
「いいから」

セイが止めるのを押しのけて、雅が前に進み出た。

「あなた方、お待ちなさい」

静かだが、雅の声は彼らの動きを止めるだけはある威厳に満ちていた。総司と斉藤も相手が動きを止めたために、同時に攻撃を止めた。
雅は総司が向き合っていた二人の男の方へと近付く。総司が片腕を伸ばして雅を背後に庇うように動いた。

「私の命をという命を受けましたか。私の命をほしがる前に、あなた方は本当にそれが正しいことだと思っていますか」
「ご隠居。俺たちはそんなことはどうでもいい。雇われた相手の言うことを聞くだけだ」
「ただの雇われ者だなんて誰が信じます。私が何者かを知っていて現れたのですから、あなた達は、屋敷をやめたものか、この仕事のために一時的に離れただけでしょう」

狙われるだけの人物である雅は、事態をよく把握していた。自分を狙う気配が近づいてきたことも、それが何を意味することなのかも十分に理解している。

まっすぐに進み出た雅の姿は、呼吸と声音だけでも十分にその小さな体を何倍にも大きく見せていた。

「私がいない方が本当にこの先の、未来にとって良いことであれば私は自分の身の処し方は心得ております。ですからあなた方は不要です。お下がりなさい」

有無を言わせぬ雅の言葉に、総司と対峙していた男達が顔を見合わせた。ゆっくりと総司の方を警戒しながらも二人は後退しながら刀を収める。
斉藤と向き合っていた男たちはまだ刀を引いてはいない。

手を挙げてほかの者たちも刀を引かせた男は、周囲から手の者たちが消えたのを確認してから雅へと向き直る。その動きが浪人のそれではなく、雅の指摘通り、主家を持つものの動きに代わる。
二人そろって、軽く腿のあたりに手を置いて視線を据えたまま、頭を下げた。

目を伏せた男二人は、踵を返すと境内から走り去って行った。ほう、と息をついたセイが雅へと駆け寄った。

「雅様!」

懐剣を懐に戻しながら雅の顔を見たセイは、心配からと、急に垣間見た雅の本当の姿への畏怖とが混ざっていた。

いくらか相手に切り付けていた斉藤は、懐紙を取り出して脇差を拭うと鞘へ納める。斉藤と総司は雅から数歩だけ離れたところでひそひそと会話をした後、互いに頷き合った。

「雅様、宿へお戻りになりますか」
「まあ、どうして?まだお参りもちゃんとしていませんし、戻るならばおいしい甘味をいただいてからにいたしましょう」

たった今襲われかけて、その相手を威厳ひとつで追い返したとは思えない雅は優雅に微笑んだ。

 

 

– 続き –