霧に浮かぶ影 5

〜はじめのひとこと〜
いつの間にかこのお話間男話とされていますが違うんですよ

BGM:POP MASTER 水樹奈々
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「とにかくここじゃまずいんだよ」

辺りをきょろきょろと見ながら、おびえた様子でセイの腕をつかんだ。その必死さにセイが驚いていると、藤堂は少年から腕を放さないままぐいっと引っ張って歩き出した。

「え?!藤堂先生?」
「神谷」
「はい」

呼ばれたセイは、藤堂の一瞬の視線で周囲の気配に視線を向けた。何もないと思われたが、明らかに周囲に尖った気配がする。すぐ名前を呼ばれた意図を察したセイが頷いた。

「行くよ」
「はい」

急に顔が変わったセイと藤堂に引きずられるようにして少年は不安そうに周囲に目を向ける。

「ねぇ、何?なんなの?なんかいた?」

ちゃらちゃらとした遊び人風の姿からは想像もできないくらいの怯え方だ。
逃がさないように軽く押さえているように見えて、藤堂はさすがに腕が立つだけあって、少年は逃げられそうもない。早足で歩きながら次々と町屋の間の細い路地を抜けて歩いていく。

「ねえ。君、なんていうの。さっき神谷にぶつかったときは女の姿だったんだよね?」
「ああ。俺、仕事で表に出るときは女の姿になるんだよ。宮川町で働いてるんだけどさ」
「そうなの?」
「まあね。店には出てないんだけどさ」

―― 俺、こんな背だし

少年は、しのぶと名乗った。宮川町の富士屋という店にいるのだという。

「俺はさ、こんなだから店に出てももう客はつかないんだけど、長年働いてるから、いい旦那衆知ってるんだ。その旦那方のところに呼ばれて、表で会うんだよ」

料亭だったり、出会い茶屋だったりするわけだが、しのぶであればちょっとやそっとでは男と見破られることはない。それだけに、しのぶを伴っていてもおかしな目で見られることはないのだ。

「それがどうしたの?」

早足で次々と場所を移動しているのに、周囲に漂う尖った気配が離れることはない。藤堂が先頭を歩いて、なるべく人通りの多い道と、通り道をすり抜ける道とを繰り返し、不穏な気配から離れようとする。

「俺、今日も仕事だったんだよ」

駕籠に乗って七本松のあたりまで来て、ぶらぶらと旦那と散歩の後、昼餉とともに茶屋で過ごすはずだった。だが、会ってすぐ時間が無くなったといわれ、茶屋で過ごした後、金離れのいい客だったために、予定の時間分のお代を受け取ってしのぶはお役御免になった。

こんな時間から一人で、しかも金もある。

少し浮かれていたのか、天満宮まで足を延ばして参拝をしようとしたのだ。ところが、ふとしたはずみで茶屋ですれ違った武家の男を見かけて、興味本位で後をつけていった。

めったに見ないような上玉を連れていた武士だが、相手の女が花街のものではないことで興味をそそられたのだ。その立ち居振る舞い、お高祖頭巾に包み込んでいるものの、人目を引くほどの顔立ちにしのぶはすぐぴんときた。

しのぶのような店に出ない者たちは、時に、女の相手もする。武家の奥向きの侍女や公家に仕える者など、順当に夫を持つことができず、主の手はついたがそれと知られることはない者たちは、その身を持て余すこともある。

「だから、てっきりそういう女を相手にしてる武家ってどんなかなって思ったんだよ」

ほとんどが主のお手付きであって、まれに家臣に下げ渡されることはあっても、仕えている間に、しかもあれほどの女が隠れて会っているならばさぞや名のある家なのかとついていくと、途中でぽとりと男が何かを落とした。

通りの人が徐々に増え始めたあたりだが、いかにも女になりきって歩いていたしのぶはさりげなく男が落としたものを拾い上げた。

「何、これ」

初めは、煙管でも入れるためのものなのか、くすんだ細い竹でできた何かに、なんだ、と放り出しそうになった。くるりと指の間で回した瞬 間、蓋が開いてぽとりと筆が飛び出して驚いたのだ。そこで初めて矢立なのだと思ったが、墨を入れる場所もない矢立などあまり聞いたことがない。

歩きながら筆を元に戻すと、少し離れてしまった男の後を追って歩き出した。これ以上、人ごみに入ってしまっては追い付けなくなると思いきることにして、境内に入る手前でしのぶは男に声をかけた。

「もし」
「うん?」

端正な顔立ちに彫の深い濃いめの顔立ちをした男が何用かと振り返った。しのぶは得意の笑みを浮かべて袂から矢立を取り出した。

「これ、落とされました」
「む!」

さっと顔色の変わった男がしのぶの手から矢立を取り上げると、すぐに中を開いて筆を取り出すとすぐ顔をあげた。

「貴様、これをどこで拾った」

振り向いた時とは全く違う、ぎらぎらとした目がしのぶを射抜くように見つめており、てっきり礼の一つでもあるかと思っていたしのぶはむっとしながら、ついさっき道で拾ったのだといった。

「お武家様のお足が速くていらっしゃるので、追い付くのが遅くなってしまって」
「中を見たな?!」

ぐいっと肩をつかまれて往来だというのに迫ってくる男に、しのぶは徐々に恐ろしくなった。背が高いとはいえ、しのぶよりも体格もよく、ただの屋敷勤めの武士というより、どこぞの金を持った剣客という姿に逃げようとした。

「うち、何も……。拾ってお届けしただけです」
「嘘をつくな!!筆の向きが変わっている」
「本当です。ほな、これで……」

後ろを向いてそそくさと立ち去ろうとしたしのぶの首に手を伸ばしてきた。首筋を男の大きな手が掴んで、片手だというのに締め上げてくる。

「ぐっ……」
「言え!!女!何者だ」

周囲の人々も異常に気づき始めたところで、首を絞められる苦しさにしのぶは男が握りしめていた矢立と掴むとぱっとその手から引き抜いた。
時には悪さをしたこともあるだけに、指先で巧みに抜き取ると、男の手が緩んだ。

―― 今しかない!

その隙をついてしのぶは男から逃れると、人ごみの中へと一目散に逃げ込んだ。とんだ相手に絡んでしまったと思い、急いで逃げる間に、追い抜きざまにセイにぶつかったのだ。

小柄なセイと藤堂の童顔な二人連れを目に留めていたしのぶは境内に隠れると、先ほどの男が人を増やして戻ってきたのを見て、ますますまずいと思った。そして、参拝を終えて楽しげに昼餉の話をしているセイ達の後について、姿を隠すように逃げ出したのだ。

天喜の近くまで、振りきれずに男たちがついて来ていたが、前に旦那に連れてきてもらったことのある店だけに、裏口から入り込むと庭先に周り、廊下に上った。
すぐ、表から入ったセイ達が座敷に案内されて、すれ違う前に手前の小座敷に通されてしまい、機会を伺っていたところにセイが厠に立ったのだ。

―― ついてる。今ならやれる

そう思ったしのぶは、わざとセイと視線を合わせて、ぎりぎりに近づいてすれ違った。セイが、壁際に体を寄せるために両手を挙げていたのを幸いに、その手を避けるふりをして袂に矢立を放り込んだ。
後は、天喜の裏で女物の着物を脱ぐと、内側に着ていた袷を裏返して、男物として着なおした。仕事柄、急場をしのぐときのために、着物にはそんな仕掛けがされていたのだ。

 

– 続く –