霧に浮かぶ影 1

〜はじめのひとこと〜
沖田先生の不在って意外とありそうですね。

BGM:POP MASTER 水樹奈々
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まだ朝靄が立ち込めるくらい早い時間に総司は外出の支度をしていた。土方の仕事で今日は単独で遠出である。早々と用意された朝餉もそこそこに、きちんと羽織に袖を通した総司はきれいな足袋を履いた。

「沖田先生。お寒いですからお気をつけて」
「ありがとうございます。今日はちょっと遠出になるので、いない間に何かあったらよろしくお願いします」

総司の傍で支度を手伝っていたセイは、にこりと笑って頷いた。今日のような仕事は総司の一番隊組長という肩書が物を言うような場である。
以前なら供をさせてほしいと頼み込むところだったが、ぐっとこらえて総司の支度を手伝っていた。

「ご不在の間、今日は屯所を見てらっしゃるのが藤堂先生と永倉先生なのでお二方にご相談いたしますね」
「そうしてください。まあ、神谷さんがいてくれれば大抵のことは大丈夫でしょうけど」

懐紙や手拭いを懐に入れながら顔を上げた総司の言葉に、照れくさそうにはにかんだセイは、お任せください、と請け合った。
笠を手にして総司が出かけていくと、しばらくしてから起床の太鼓が鳴り始める。そのまま起きて、廊下で明けていく空を見ていたセイは両手で真っ白な吐く息を受け止めると、よし、と一人気合を入れた。

組長が不在でも流石は一番隊と言われたいと思うのはセイのささやかな自尊心である。起き出した一番隊はいつも通り、朝の身支度を終えると全体稽古に参加することになった。

全体稽古は永倉が二番隊と共に竹刀を振った。

「おらおら!!おめーら、総司がいないからって手抜いてんじゃねぇよ!」

ぱぱーん、という小気味いい竹刀の音が響き、二番隊と立ち会った隊士達が打ち込まれては離れ、再び向かい合っていく。その腕のほどに差は大きくないとはいえ、日頃から捕り物に関しても得意とする戦い方も全く違う一番隊と二番隊の稽古は、新鮮で面白いものになった。
セイも皆に交じって順繰りに立ち会っていくと、小柄ながらなかなかの立ち合いを見せる。

巡察の当番でもないので、稽古が終わればそれぞれ待機だ。めいめい、汗を拭い、隊部屋に戻ると、着替えを済ませて、刀の手入れをする者、将棋を始める者など、いつもの姿に戻っていた。

セイは、自分の行李の中を整理した後、そういえば手持ちの菓子がもうなかったと思い出した。何かあれば総司だけでなく、土方やほかの者 にも分けることが多いために、なるべく切らさず、日持ちのする物や急な客人にも差し出せるようなものを買い置くようにしていたのだが、今はもう乾きものの 八つ橋が少しあるだけだ。

少し悩んだ後、幹部棟へ足を向けた。総司を遠出の所用に駆り出した本人は、体調を崩しているくせに、全体稽古の前にセイが様子を見たときには文机に張り付いていた。

「神谷です」

部屋の中からごほっという咳が返事の代わりに聞こえてきて、渋い顔で障子を開ける。肩の上に綿入れを乗せて、部屋の中には煎じ薬の匂いが微かにしているというのに書き物をしている主にじろりと冷たい目を向けた。

「副長。休まないと治りませんって今朝方も言いましたよね?!」
「う、ごほごほ。このくらい、すぐに、ごふ」

乾燥した空気に喉をやられて、すっかり声の出なくなった土方が、かすれた声で言い返してくるがいつもの迫力の半分もない。喉を潤そうと手を伸ばした湯飲みが空だったらしく、持ち上げてすぐにまた机に戻した。

セイは、 蒸気を上げて部屋を暖めている鉄瓶を持ち上げると、にじり寄った土方の机から湯飲みを取り上げた。火鉢の傍に用意されていた盆の上から葛湯の元を湯飲みに 入れて、熱い湯を注ぐ。刻んだ柚子を乾かしたものが入っていて、ほわりと湯気と共に香りが立ち上った。
混ぜ合わせるための竹串でぐりぐりと湯をかき回すと、再び湯飲みを机に戻す。

「文句言わずに早く休んでくださいよ。そんな様で沖田先生に代わりを頼むくらいなら早く横になって休んで下さい」
「も……、ごふっ、ごふっ」

咳き込んだ土方を置いて、セイは鉄瓶を持って部屋をでる。すっかり軽くなった鉄瓶に賄いから水を汲んでくると、副長室に戻って火鉢に乗せた。
相変わらず文机に向かっている土方の肩をとんとん、と軽く叩いた。

「あ゛?」
「お客様が来た時のための菓子がきれそうなので、買い求めてきます。何か欲しいものでもありませんか」

どうせ寝ろと言っても傍で見張っていない限り休む人ではない。
正面からまともにぶち当たることだけではないと思えるくらいには、土方の扱いに慣れてきた。

「……粟餅」
「粟餅ですね。わかりました。なるべく早く横になってくださいね」

こふっと喉の奥で咳をした土方は、湯呑に手を伸ばした。とろりとした葛湯が乾いた喉を流れて行った。

 

 

隊部屋に戻ったセイは、羽織に袖を通して山口に声をかけると表に出るために冷えた廊下を歩き出した。永倉にも声をかけようかと思ったが姿が見えなくて、仕方なくそのまま大階段へ向かうと藤堂と行き会った。

「あれぇ?外出するの?」
「藤堂先生!」

おいでおいで、と手を動かした藤堂の傍に駆け寄ると、セイはわずかに頬を膨らませた。

「聞いてください。もう副長ったら、あれほど朝に言ったのに、横になりもしないで仕事してるんですよ?!」
「そりゃ、まあ……。今日は近藤さんも総司も居ないからなぁ。おまけに神谷もこうして傍にいないんじゃ仕方ないんじゃないの?」

鬼副長だもん、という藤堂の言葉に思わず頷きそうになって、セイは首を振った。
そうやって皆が仕方がないというからああして土方の病はよくならないのだ。腰に片手をあてたセイが柄に手を添えながら藤堂に渋い顔をして見せる。

「駄目ですよ。藤堂先生までそんなこと言って!」
「だってしょうがないもんはしょうがないじゃん。それよりさ。神谷はどこに行くの?」
「それよりって!……買い置きの菓子が少なくなっているので、買い出しに行こうと思いまして」
「そんなの小者に頼めばいいじゃん」

確かに、屯所での買い置きなどは小者の仕事でもあるのだが、セイは自分の趣味もかねて、賄の片隅を私物化させてもらっていた。だからこそ、客用にもいざとなれば出せるような菓子が多いのだ。

「それは……、副長も気がまぎれる物を買ってくればいいかなとか……」

もぐもぐと苦しい言い訳を始めたセイに、ぴん、ときた藤堂はひょいっと肩を竦めて見せた。

「ああ、はいはい。どうせ、遠出した総司が帰ってきたときにでも食べさせようって思ったんだろ。わかりやすいなぁ」
「そんなことはないですよ!だって、本当に」
「いいからいいから。ほんとに神谷ってさ、そういうところ、可愛いよね」

赤くなって反論したセイを軽くあしらって藤堂はセイの顔の高さまで膝を屈めて同じ目線で笑った。
セイの素直さとは別に、藤堂も思ったことはまっすぐに口に出す方だけに、そんな言葉をうけてセイが口ごもってしまう。

「そ、そんなことはない、です……ケド」
「あはは。いいなぁ。じゃあさ、ちょっとだけ待っててくれる?」
「はい?」

ぽんぽん、と月代に手を置いた藤堂は、すっと身を起こすとセイの目の前でにっと笑った。
総司の大きくて、指が長い手とは違って、藤堂の手が思いのほか小さくて指も短いのに、太くてがっしりしていることに目が行く。
いつもの笑顔と童顔な姿からは、少し意外なほど無骨な手がひらひらと動いた。

「支度してくるから。俺も一緒にいくよ」
「え?えええ?!そんな、ちょっとした買い出しですから!」
「うん。だからさ、一緒に行きたいなと思って。ちょっと待っててよ」

そういうと身軽に大階段を段を飛ばして駆け上がると、あっという間に隊部屋の方へと走って行った。足元の悪さから下駄を用意しようとしていたセイは、あんぐりと口を開けて藤堂の走り去った方を見送った。

 

– 続く –