霧に浮かぶ影 11

〜はじめのひとこと〜

BGM:帝国の逆襲のテーマ
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「本当に知らないみたいだね。……って、もう聞いてないか」

男から取り上げた鞘を無造作に放り出すとからん、と乾いた音が響いて、斬り合いと恐ろしいほどの悲鳴にあたりで様子をうかがっていた者達がその音にぴしゃりと戸を閉めた。

「怖がるくらいなら覗かなきゃいいのにな」

冷ややかに言い捨てると、藤堂は再び歩き始めた。途中で番屋に顔を出すと、男二人の亡骸の始末を頼んで、再び小走りにセイ達を探し始めた。夕餉も取らずに駆け回っているせいか、苛々が増している。

空腹と腹立ちは相乗効果がある。今は向かってくる相手を闇雲に斬り倒したくなっていた。

「やべ。近藤さんにばれたら殴られるくらいじゃすまないな」

自分に言い聞かせるようにして自重しようと、深く息を吸い込んだ。

その頃、人の気配を避けたセイとしのぶは屯所とは全く違うあさっての方角へと身を隠していた。抜け道をたどれば屯所まで一直線ではあるが、そのあたりは人家も少なくなって、こじんまりした寺社が立ち並ぶあたりである。

ところによっては、守り手のいなくなった寂れた寺の跡がある。ひとまず、休憩のためにセイはしのぶを連れて、荒れた小さな寺の境内へと身を隠した。

「ここならしばらく休んでられる」
「は、はぁ。助かる……。死にそうだよ……」

近づいては離れ、近づいては離れを繰り返していたセイとしのぶはそれでも、少しずつ屯所へと近づいていた。
ぼろぼろとはいえ、寺のほうは何者かの隠れ家にでもなっていたらかえって困るので、塀の内側に沿って、石灯籠の影に身を隠してしゃがみ込んでいる。

「今、何時頃かなぁ」
「さあ……。五つか、四つ半かなぁ」

セイもしのぶも鐘が鳴っていたのはわかっていたが、もう疲れ切ってそれを気にする余裕などなかった。

ここまで来るとさすがにセイは不安になっていた。確かに法度に触れるわけではないだろうが、武士がここまで逃げ回るという無様なことも許されるのだろうかと思う。本当は立ち向かっていって、戦うべきなのではないかと何度も思った。
しかし、そのたびに腕を上げることさえ億劫なほど疲れ切っているはずのしのぶが、健気にもセイを気遣って、何とか無事に逃げようとする姿を見ては、無謀にも敵方に突っ込むことなどできなかった。

途中で番屋を見かけたときは、そのまま助けを求めようかとも思ったが、その場合、この事件の手柄は町方に持って行かれてしまい、新撰組が出動したとしても何の意味もないことになってしまう。

それにも躊躇があった。

「面倒だなぁ」

もう、敵も諦めていなくなってるかもしれない。
疲労感が思考を鈍らせるというのは確かで、セイはすでに落ち着いて物事を判断する余裕をなくしていたのかもしれなかった。それは、総司達と明らかに違う、 経験と判断の差であり、上の判断によって動くセイと、決める側の総司や藤堂とはくらべものにはならないのだ。

「ねぇ。神谷さん、もうさぁ。奴らもお腹が減ったらあきらめて帰ってるんじゃない?」

くたびれきったしのぶがひどくだるそうに呟いた。そこは年の差があっても、セイとほとんど同じで、疲れと未熟さが楽な方へと思考を向けさせていた。

「そう……だね」

それに反論するだけの気力がないというより、セイには焦りのほうが強い。藤堂が戻っていれば法度破りにはならないだろうが、このままでは大事になってしまう。

すでに大事になりかけているのだが、それは逃げ回っているセイにはわからないことで、とにかく屯所までたどり着きたかった。
セイは、隠れている寺の目の前の小道を指さした。

「この道をまっすぐ抜けて、途中の町屋の裏庭も通らせてもらっていくと、まっすぐ屯所の真横に出るんだ」

力を失くしていたしのぶの目がまっすぐに屯所の方角を見るセイを見上げた。その向こうには、月が雲に隠れて、光が弱くなっていた。

「いける?」
「いくよ。行かなくちゃ。俺のせいであんたまで巻き込んじゃったもんね」
「確かに。ちゃんと責任とって一緒に屯所まで行ってもらわないとね」

力強い瞳で振り返ったセイをみて、しのぶはそれまでのセイとは別人を目にしているような気分になった。気が短くて単純なのはすぐにわ かった。連れの藤堂と名乗った男と同じくらい童顔だったが、中身は全く違う。藤堂のほうがえらい様子は見てとれたが、判断も腕も、向こうのほうが強いこと が不満だった。

いっそ、自分を連れて逃げてくれるのが藤堂だったらと思っていたしのぶは、今、初めてセイを見た気がする。

「あんた、思ったよりもかっこいいかもしんない」
「生意気」
「本当だよ」

この人なら本当に一緒に連れて行ってくれるかもしれない。

しのぶは立ち上がると、セイの肩に手をかけた。セイが顔をあげるのに合わせて、その頬に軽く自分の頬を寄せて口づける。
いきなり、自分の頬にぴたりと触れた感覚に、セイは何をされたのかよくわからないまま、触れられた場所に手を当てた。

「何をする!」
「先払いだよ。俺、あんたの事、気に入ったよ。無事に帰れたら、一日あんたの相手ただでする」
「馬鹿なことを」

しのぶは本気だったが、そこは野暮天女王のせいである。自分にはお里もいて、総司もいるのに、何を相手にすると勝手に頭の中で話のけりをつけてしまっている。
冷え切った頬が手のひらの熱で、温まるのを感じると、疲れ切った体に力が戻ってくる気がした。

「もうひと踏ん張り、いける?」
「うん。俺、もうくたくただけど、あんたが連れて行ってくれるっていうから頑張る」

自分の体に腕を回したしのぶの言葉にセイは、腰の刀に手を添えた。片手は懐の矢立の存在を確かめる。

「よし。じゃあ、行こうか」

もうすぐ、月が雲の間から顔を出す。その明りを頼りに、セイとしのぶは歩き出した。

 

屯所に戻った斉藤は、伍長の話を聞いてすぐ土方のもとへと向かった。
咳き込みながらも、簡潔に事の顛末を語った土方は地図を指して、初めに襲われた場所、藤堂がセイとしのぶを逃がしたはずの場所を示した。

「なるほど。そして、この時間になっても探しに出た藤堂さんもあれも戻っていないということですか」

眉をひそめて確認した斉藤に、土方が頷いた。
副長室の中はこれでもかというくらい暖められていて、蒸気もたっぷりと火鉢の上から上がっていたが、夕餉に粥をわずかにすすっただけの土方は薬湯を口にして、少しでも咳を押さえている。

「それではうちの隊を連れてこれから探しに出ます」
「……悪いな」
「いえ、それよりも、うちの隊だけでなく、一番隊もつれていきましょうか?」

遠出になった総司はいまだに戻っていない。一番隊の隊部屋では、外出したまま戻らないセイをそろそろ小川たちが心配し始めていた。

「う……、ごほっ。なら、頼めるか」
「承知」

頷いて、刀を手にした斉藤はすぐさま隊部屋の方へと向かった。

 

– 続く –