湯気の向こうに 3

〜はじめのひとこと〜
いっちゃいっちゃちゃっぷちゃっぷ。

BGM:
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セイが後ろを向いている間に、手早く着換えて湯殿に入った総司は、戸を閉めた後で深いため息をついた。総司も正直に言えば、恥ずかしくて仕方がなかったが、ここでもたついていて余計に話をややこしくはしたくなかった。

手拭で前を隠しても、恥ずかしいものは恥ずかしい。いや、今までもうっかり見られたことぐらい、一緒に何年も住んでいればあるものだが、今は事情が違う。はっきりとセイへの恋心を自覚しているだけに、自分が平常心でいられるかなんてわかるわけがない。

本当は下帯はつけたままで入りたいくらいだ。だが、総司が躊躇していては、セイはなおさら身動きできなくなるだろう。

手桶を取ると、湯船から湯を汲んで頭からかぶった。湯の勢いに流されて総司の髪が広がる。自分の頬が赤いことを極力気にしないように、総司は湯船に身を沈めた。腰に巻きつけた手拭が湯の中で舞い上がる。

目を閉じて普段はめったに使われない湯殿の木の匂いを深く吸い込んだ。考えないようにしていても、自身がすでに反応しかけていることは論外といえる。とにかく、入口に背を向けて湯船の奥へと進んで、腰を落とした。

「あ、あの……っ。入りますっ」

背後で少しだけ戸が動いてセイの声がする。総司の閉じた瞼がピクリと揺れた。

―― 平常心、平常心さえ心がけていれば……

背後で戸が開け閉めされて、セイの気配が近づく。
総司の喉がごくりと鳴った。

手探りで近づいているのか、思いのほかゆっくりと気配が動いて、それからようやく手桶を手にした音がする。

「……」
「……」

お互いに、異様な緊張感に包まれて一言も口を開くことができない。
セイは手桶で湯を汲むと静かに自分自身に湯をかけた。セイの白い肢体にそって湯が流れ落ちる。さらしと下帯をつけたまま湯につかるのは申し訳ないが、仕方がないと心に決めて、多めに湯で洗い流した。
手桶を置いたことん、という音に総司の緊張がさらに高まる。

「……し、失礼っ……します」
「どうぞ」

目いっぱい緊張したセイが湯船に入るために声をかけると、総司が答える。自分では冷静なつもりだったが、喉に絡まったようなかすれた声がでた。

手拭だけでも湯船に入れないようにと、縁に置いたセイはつま先からそっと湯に入る。大きくゆっくりと湯が動いて、湯船からあふれた湯が流れ出る。

「……」

ふう、と背後から総司のため息が聞こえた。びくっとしたセイが湯船の端にかじりつくように縮こまっていると、総司が口を開いた。

「ここの湯船は広いですから、そんなに縮こまらなくても大丈夫ですよ」
「えっ!あっ!はいっ」
「特に神谷さんはゆっくり屯所で風呂に入れるなんて滅多にないことなんですから、もったいないですよ」

確かに、お里のところに行った時でも、町屋の中に風呂があるような贅沢な住まいではないから、台所の片隅に置いた盥で行水するのが精いっぱいだ。
かといって、屯所では、皆が入り終わって、夜番の巡察の隊が戻った後の、深夜、ひっそりと総司に見張りに立ってもらって入るくらいである。それも申し訳ないといって、月に何度もありはしない。

後は、深夜に幹部棟の片隅の井戸端で水を浴びるくらいなのだ。

ほう、と肩から力が抜けて、セイは足を横に向けると湯船の底に座った。

「……確かに、そうですね。ここは初めて入りました」
「ここは、もともと局長や副長が清めるときや、客人がいた場合に使われるんですよ。もちろん、幹部も使っていいんですけどね。みんなあっちの湯船を使いますし、土方さんなんてここにいたら伊東参謀に襲われるっていって、隊士棟の方か、花街で入るかですからね」
「あはは、副長らしいですね」

ようやくおかしな緊張感がほぐれて、セイが笑った。

そして、互いに野暮天だからなのか。うっかり者だからなのか。

「あれ?でも離れにも風呂はありましたよね?」
「もちろんですよ。でも、この風呂を土方さんが使ってるなんて知ったら、伊東参謀なら離れの風呂くらい壊してでもここに入りに来ますよ」
「そして、副長と……」
「そう、土方さ……」

湯気の向こうに2

本当にうっかりと。
いつもの習慣で。
二人は互いに、互いの方を振り返った。

ごく自然に振り返った総司とセイは互いの姿を視界に入れた。

「あっ!!ああっ、すすすすすす、すみません!!そのっ、おっ沖田先生っ」
「ははははひっ!!」

総司を見て頭のてっぺんまで真っ赤になったセイが慌てて湯殿の入口の方へと向きなおる。心臓がばくばくしてきて、ぎゅっと目を瞑ったセイは意を決して口開いた。

「ああああのっ、こっ、こしっ、あ、いや、手拭がっ!!」
「!!」

ざばっと背後で大きくお湯が波立つ。
総司が腰に巻いていた手拭は、腰のところできっちりと巻き込んでいたはずだが、湯の中で腰を下ろしたり、後ろを振り返ったりしているうちに緩んでしまったらしい。手拭は総司が振り返った背後へとふわふわと漂っており、立派に主張をしている自身が顔を見せていた。

しかし、慌てて手拭をつかんで隠した総司が顔から火を噴かんばかりに真っ赤になっているのは、そればかりだけではない。

振り返った時に、セイの白い肢体、特に華奢な肩は以前、怪我の手当てをした際に目にしていたが、今は自分の方へと向いている。胸元の濡れたさらしが透けて、その胸の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。

―― う、うわっ。もう、勘弁どころじゃないですよ……

冷静になろうとすればするほど、自身の主張が激しくなり痛いほどだ。それに、慌てて手拭で隠したために、手拭越しに自身をぎゅっと掴んでしまっていた。

「あのっ、何も見てませんから!!」

真っ赤になったセイは精一杯の補助のつもりでそういったが、まったくの逆効果である。見てませんは見ましたが見なかったことにします、ということだ。
隊士部屋で、これほどまでに男に囲まれていれば、どういう状態がそうなるのか、セイにもよくわかっている。

大きく波立った湯船はたぷ、と揺れ動いている。消え入るような声で総司が詫びた。

「……すみません」
「いえ……。あの、よろしければお背中お流ししましょうか?」
「は、はぁ?!」
「大丈夫ですっ!あの、湯殿の入口の方を向いてくださればっ。さあ!」

湯船の中でセイは再び振り返りかけた。せめて何かと思ったのだろうがその思考回路がわからない。

再びセイの姿を見てはなるものかと、慌てた総司は湯船から飛び出した。手拭で前を隠しながら、湯船から飛び出すという非常に間抜けな姿でも仕方がない。
セイが振り返りかけた側とは反対側に湯船を背にして、風呂用の小さな踏み台に腰を下ろす。

もう総司には反論を並べる気力もなく、止められないことを諾と受け取ったセイは、そっと湯船から出て、自分の手拭と手桶を手にして総司の背後に回った。

 

– 続く –