種子のごとき 7

〜はじめの一言〜
悪意がなくてもきっとそうに違いないっていう被害妄想が膨らむこともありますね

BGM:
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セイにとってはもやもやと鬱屈の晴れない日が続きはじめた。目覚めて着替えと手拭いを手にしたセイが、隊部屋を出て中庭に降りると戻ってきた浅羽に行き会った。

「おはようございます。神谷さん。神谷さんがまだお休みだったので先に掃除を済ませてしまいましたが構いませんよね?」
「あ、浅羽さん。申し訳ありません。おはようございます」

穏やかな顔で淡々とした口調の浅羽だが、何かに引け目を感じるのか、セイにとってはたったこれだけの言葉も起床が遅いと責められているような気になる。
頭を下げたセイから、用は済んだとばかりにさっさと離れていく浅羽は、総司を起こそうと声をかけていた。

「沖田先生!起床のお時間ですよ」
「う~ん。神谷さん、あと少し……」

いつもセイを相手にした総司のたわ言にどっと隊部屋が沸いた。笑いながら相田が総司のことをかけ布団越しに揺り起こす。

「ほら。沖田先生!神谷じゃありませんよ。せっかく起こした浅羽がかわいそうじゃないですか」
「へっ……?!あ?ああ……。おはようございます」

ぼさぼさの頭に寝ぼけ眼で飛び起きた総司が周りを見てがくん、と頭を下げた。いつもならセイが起こしてくれるところをここ何度か、浅羽が起こしに来ている。

「すみません。浅羽さん」

周りの隊士達が気にするな、と浅羽の肩を叩いて去っていく。総司もようやく目が覚めてきたのか生あくびをかみ殺して詫びを口にした。
浅羽の中で、ちりっと癇に障ったのはほんの一瞬で、苦笑いを浮かべると手拭いを総司に差し出した。

「構いませんよ。それよりも沖田先生。顔を洗ってらしてください」
「どうもありがとう」

手拭いを受け取った総司は、続けて出る欠伸をしながら廊下に出た。
中庭に降りたところには、ぼうっと手拭いを握りしめてセイが立っていた。浅羽とすれ違った後、セイは、その背中に全神経を集中していたのだ。
浅羽が総司を起こしに行くことも、そのあとに聞こえてきた皆の楽しげな笑い声も、何もかも。

今のすり減ったセイの神経をさらにすりおろすような出来事だった。

「神谷さん!おはようございます」
「……おはようございます」
「さっき、浅羽さんが起こしてくれたんですが、いつも神谷さんが起こしてくれるものだから間違えちゃいましたよ」

立ちすくんでいたセイの背後から近づいた総司が明るく声をかけた。離れていたセイには聞こえなかったろうと軽い気持ちで話しかけたのだが、セイはどこかぼんやりとしていて総司の顔を見ようともしない。そんなセイがぽつりと呟いた。

「……すみません。私がいつも起こさなければよかったです」
「ええ?どうしたんです?誰もそんなこと言ってませんよ?」

驚いた総司が怪訝な顔でセイの顔を覗き込んでくる。前を見ているようで見ていなかったセイがはっと顔を上げた。
いつもの総司の笑顔が目の前にあって、セイは急にわけもなく泣きそうになる。

「どうしたんです?神谷さんらしくないですよ?」

―― ああ。先生の笑顔も久しぶりな気がする

そう思えば思うほど、総司の笑顔が、声をかけてくれたことが嬉しいほど、セイは自分が汚くて、小さくてどうしようもない者のような気がしてきて、ぐっと浮かんでくる涙を堪えて唇を噛み締めた。

「申し訳ありません!」

今にもこぼれそうになった涙を見られないようにぱっと頭を下げたセイは急いで井戸端へと駆けて行った。
残された総司は肌蹴た胸元をぽりぽりと掻きながら首を傾げる。

「……神谷さん?」

ぽつりと呟いた後、総司も井戸端へと足を向けた。

走り去ったセイは中庭を通り抜けて幹部棟の井戸端へと走り込んだ。そこならば日頃使うのは土方くらいでそれも起床の太鼓の後、これだけ時間がたっていたら、とうに部屋に引き上げているはずだ。
はたして誰もいない井戸端に来ると、セイはたくさん、水をくみ上げてざぶざぶと顔を洗う。袖口が濡れるのも構わずにセイは繰り返し水をかぶると乱れた水面を眺める。

ついこの間まで、あの笑いの中にいたのは自分のはずだった。総司を起こすのも。
なのに、今はこんなにも遠い。

決して浅羽が悪いわけではない。浅羽は、与えられた雑務と呼ばれる仕事を嫌がりもせずにこなしているだけだ。ただそれだけなのに、なぜこんなにも自分が落ち込んでいるのかを思うと、頭ではわかっていても辛くて仕方がなくなる。

嫌ならば見なければいい。
皆もセイも何も変わらないのだから気にしなければいい。

呪文のように自分に言い聞かせたセイは何とか気持ちを立て直すと、幹部棟の廊下に上がって着替えるために歩き出した。

 

一度、狂ってしまった歯車を戻すのは容易なことではない。それは、日増しにセイを蝕み始めた。
給仕をしなくていいとなった朝餉の最中、並んだ隊士達は総司をはじめとして賑やかに箸を進めていた。時折、声を潜めるとその後にどっと笑いが起こり、話題になっていたのかちらちらとセイの方を窺う者がいる。
話の中身など大したことではないのだろうが、たったそれだけでもおろし金で神経を逆なでされているように感じてしまう。

「そりゃ、そうですよ。これまではそうですけどね?」
「私はそんなこといってませんってば」
「いやいや、先生はそう思ってても二人はそうじゃないんですよ」

切れ切れに会話が聞こえたかと思うと、再びどっと笑いが起こって隊士達と共に給仕についていた浅羽が声を上げて笑っていた。何を言われたわけでもないのに、セイは耐えられなくなって膳を抱えると、早々に賄いへと下げに向かった。

「……なんでもない、私は知らない、聞かない」

一人呟きながら歩いていくセイは、ふと今までならこんな時に、斉藤や藤堂の顔をみていたはずだと思った。

『どうしたのさ?神谷』
『なんだ、その顔は。また沖田さんがらみか』

耳の奥に残る声が聞こえる。

―― そうだ。今までは兄上も藤堂先生も気にかけてくれて……

どれだけ自分が甘やかされて来たのかと思う。
何くれとなく、構ってもらい、気にかけてもらう。そんな優しい手があったことにさえ気づかなかった自分が情けなかった。たった一人でも何があっても総司の後をついていけると思っていたのに、こんなにも現実は違う。

ほとんど残ってしまった朝餉を小者に詫びながら膳を返したセイは、隊部屋には戻りたくなくてのろのろと廊下を歩き始めた。寝ても気持ちが少しも休まらないために、セイはひどい頭痛を抱えてとぼとぼと歩いて行った。

 

– 続く –