黒き闇の翼 1

〜はじめの一言〜
史実ばれあり。ダーク色満載。本誌にやられた方は避けることをお勧めします。

BGM:
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「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

布団の上で深々と頭を下げた総司に、近藤が苦い顔をしてその手を掴んだ。

「やめてくれ、総司。いいか。大病といってもこのトシのように病み抜けることだってできるんだ。しっかり養生して、早くよくなってくれ」
「はい。承知しました」

部屋の隅に控えていたセイは無表情なくらいその顔に感情を見せずに座っていた。総司の病に気づき、それでも隠してほしいという願いを聞いて、できる限りのことをしてきた。
密かに薬を整え、咳を堪える瞬間を誤魔化せるように常に総司の居る場所に神経を向けて、その一瞬をやり過ごす手伝いをしてきた。

だが、どうやったとしても、その身で経験した者の目を欺くには限界がある。赤子の生まれたばかりの近藤や、幕臣になり増々その責務を肩の上に背負い込んだ土方にうつしてはならない。

さりげなく、傍にいる時間を減らし距離をあけ、何事もなかったように努めても、日に日に変わっていく病状を隠しきれなくなった。
露見した時にはもう、このところいつもの事と思っていた顔色の悪さが、病の進み具合を確実に表に出している事をはっきりと示す。

総司には横になる様に言って、近藤と土方が立ち上がった。
床に寝かされた総司のもとから離れて、廊下にでた瞬間、問答無用で土方の拳がセイの体を軽々と殴り飛ばした。

「なぜ、もっと早くに言わなかった」

総司を怒りたくても怒れない土方の怒りと叱責はセイに向く。殴った後もまだ震える拳をもう一度振り上げそうになった時に障子が開いて総司が飛び出してくる。

「やめてください。神谷さんは組長の私の命令に従ったにすぎません。……っ!」

急に起き上がって、部屋を飛び出した勢いで、胸を押し上げるような咳がこみあげてくる。口元を押さえて、それを押し殺した総司の元へとセイが跳ね起きて駆け寄った。
丸められた背のどこかを探る様にセイが擦ると、少しは楽になるのかこふっと小さく咳をしてから総司が大きく息を吸い込んだ。

「……もう、大丈夫ですから」
「お休みになっていてください。沖田先生」

なんとか部屋に押し戻そうとするセイの手を払って、総司が床の上に手を付いた。

「土方副長。神谷さんに責はありません。すべては、己の保身のために私が勝手に命令したことを守ったにすぎません。どうか罰なら私にお願いします」

ぐっと握りしめられた手の中で爪が食い込む。深い、深い怒りを抱えた土方は、床の上に這う総司を睨みつけた。

「ふざけるな。お前への罰は完治してからくれてやる。とっとと、床に戻れ。これは命令だ」
「ですが……」
「報告を怠ったのは神谷の職務怠慢だ。俺の命令よりもお前の命を聞いていいとはいってない。神谷。そいつを床に押し込んだら俺の部屋に来い」

セイの返事を待たずに踵を返した土方は足音も高く自室へと戻って行った。隣の部屋を抜ければすぐだというのに、わざわざ廊下を回っていくところが土方らしいといえる。後ろを振りかえりながらも土方に押されるように近藤も姿を消す。

セイは床に手を付いたままの総司の肩にそっと手を置いた。

「先生。さあ、お戻りになってください。床の上は体が冷えます」
「……、私は暑いのでちょうどいいくらいなんですけどね」

乾いた笑いを浮かべた総司の手は、僅かに触れただけでもその熱さが伝わってくる。寝間着も汗を吸い込んで湿っている気がして、セイは強く総司の腕を引いて立ち上がらせた。

「当たり前です!今は熱を出されているんですから、汗をかいた体でこんなところにいたら、どんな人でももっと熱が上がるにきまってます!さっさと部屋に戻ってください。しばらくしたら着替えをお持ちしますから」
「はいはい。そんなに大きな声を出したらここが痛むでしょうに」

土方に殴り飛ばされた顔を寝間着の袖越しにそうっと撫でた。口の端が切れて血が飛んでいたのだ。乾きかけの血をきれいに拭うことはできずに、ほんの少しだけ総司が顔を歪める。
急いで総司の体の向きを部屋に向けてその背を押したセイは、痛むのも構わずに自分の袖口で思いきり口元を拭った。力任せすぎて、止まりかけた傷が開いて新しい血が滲む。

ぐいぐいと総司の背を押して床の傍まで来ると、膝をついて、布団をめくった。
さあ、と言わんばかりのセイの目に負けて、苦笑いした総司が大人しく横になる。その額に枕元の桶で濯いだ手拭いを乗せた。

「いいですか。もう先生のご命令は聞けません。これからは私のいう事を聞いていただきます。私が戻るまでこうして大人しく休んでいてください。よろしいですね?」
「はい。わかりました。でも、少しだけそこの障子をあけておいてもらえませんか」
「駄目です!」

噛みつくようにそう言うと、廊下に出たセイはぴしゃりと障子を閉めた。自分の部屋に戻ればすぐだというのに、土方の後を追う様にセイは、大きく回って土方の部屋の前まで行き、膝をついた。

「神谷です。入ります」

総司を寝かせたら来いと言われているから、応じる声を待たずに障子を開けた。あれだけ怒っていれば、待っていてもどうせ返事など帰ってはこない。

文机に向かったまま、部屋にはいったセイには背を向けた土方は、しばらく黙って筆を走らせていた。文を書いていたらしく、最後のところで筆をおくと、墨が乾いて行くのをじっと見ていた。

背後に控えたセイも、あえて何も言わずに黙って座っている。しばらくして、かさ、と音をさせて文を整えた土方が、さらにそれを油紙でくるんだ。

きっちりと折りたたんだ文を置きかけたところで、ぐっとこみ上げてきたものを堪えるために口元を押さえて背を丸めた。

「うぐっ!!」
「副長!」

腰を上げてすぐに傍に近づいたセイは、総司の時とは違ってこみ上げた吐き気を堪える土方の背を強く擦った。文机の上に胃の腑からこみ上げた酸をわずかに落とした土方にすぐ、懐から手拭いを差し出す。

「……大丈夫ですか?」
「すまん……」

汚れを拭った土方に白湯をと、後ろを振り返りかけたセイの腕を跡が残りそうなくらいの強さで土方が掴んだ。

「ふく……」
「……なぜだ」

噛み締めた奥歯が嫌な音を立てる。低く、きっと耳を澄ませているだろう、総司には聞こえないように、抑えられた声がセイの耳元で響いた。
その苦悩が手に取る様に伝わってくる。腕を掴む指先が白くなるほど、強く震えている。

「なぜ、今、なんだ?なぜ、あいつなんだ!」

―― 身代わりならいくらでもこの腐った世の中にいるだろうに!

それが幕閣の、役にも立たないお偉方でもよかったはずだ。
薩摩や長州のこの世の中を変えようとする奴等でもよかったはずだ。

―― なぜあいつだ!なぜ、今なんだ!

「なぜだ……っ!!」
「病を選べるものなどおりません」

どこにぶつけていいかわからない怒りに震えた土方とは対照的に、冷ややかと思えるほど冷静な声が聞こえた。

– 続く –