水の底の青~喜怒「哀」楽 5

〜はじめのつぶやき〜

BGM:ケツメイシ こだま
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「お前、ちゃんと寝てるのか」

隊士達が心配したように、土方は巡察の報告に現れた総司から報告を聞き取りながら、その顔色の悪さに眉を顰める。
一番隊の隊士だけでなく、あちこちから心配の声が上がってきていたが、仕事は変わりなくこなす上に、何か支障があるわけでもない。

意地になるのも目に見えているだけに踏み込むには限界があった。

「寝ていますよ。ご心配には及びません」

―― その顔で言うか……

そう思ったが口には出さない。
あれ以来、一日たりとも非番の日を設けていない総司に何を言っても無駄だろう。はらりと巡察の報告書をめくった。

「あいつに心配かけるような真似はするなよ。お前、ここ一月、一度も休んでいないだろう。明日は非番にしてやる」
「休みなんていりませんよ」
「いいから。副長命令だ。一日休んで、もう少しましな顔になってこい」

―― 休みなんていらないんですよ

それ以上、土方と論じていてもどうしようもないと、それ以上は口を挟まずに総司は土方の部屋を出た。

今、暇な時間を与えられても、何をしていいのかわからない。

隊部屋にいて、隊士達が気を遣って話を振れば、笑いもするし、答えもする。だが、それは、上辺だけのものでしかない。頭の中にここで笑う、ここで応える、という経験則が積み上げられているからだけで、総司が本当に反応しているわけではないこともわかってしまう。

いっそ、仕事がある方がまだましだった。

何をすればいいのかの結論が見えているからこそ、逆算していけばいい。途中でうまくいかなくても、結論にたどり着くための方策を考えればいいだけだ。
だからこそ、ほんの僅かもぼんやりと座り込むような時間さえ作らないようにしてきた。

―― 神谷さん。あなたがいないのに、どう笑えばいいのかわからないんです

後悔だけが繰り返し、繰り返し、頭の中に湧き上がってきて総司の胸を締め付けた。

土方の厳命は山口と相田にも伝わっていたらしい。

翌日、朝稽古に出ようとした総司を二人がかたくなに止めた。

「副長より、沖田先生を休ませるように言われております」
「そうですよ。沖田先生。今日はお休みになってください」

二人がかりでそう言われても、初めは苦笑いを浮かべて聞き流していたが、総司が稽古着に着替えようとすると、山口が力づくでそれを奪った。
顔が噛みつきそうなくらい真剣だ。

「お叱りならいくらでも受けます。でも、せめて今日一日、頭を空にして休んでください」
「そうです!このままでは……。俺達が神谷に叱られます」

面差しがすっかり変わってしまった総司の手から稽古着を無理矢理、奪うのは懲罰さえ覚悟した彼らの本気である。

セイを失ったことで、彼らもまた悲しみに打ちひしがれていたのだ。皆、セイを愛して心から二人の事を想っていた。

それでも、今の総司を見ていられなかった。
笑いもするし、一見、これまでと変わらない。変わらないからこそ、まるで出来の悪いからくりのように、心を封じ込めた総司が痛かった。

皆に拝み倒された総司は、行き場をなくして渋々、屯所から表に出る。

市中を歩いていてもどこへ向かえばいいのかさえ分からずに、ふらふらと彷徨っていると、決まって足が向くのはセイと出かけたところばかりだった。
甘味処、小間物屋、そして、一度だけ、セイを抱いた茶屋。

どこも足が向くたびに違う、と思い最後に小さなが団子屋の前を通りかかると、少しだけ団子を買って竹筒に茶を入れてもらった。

頂妙寺に向かった総司は、寺の片隅の方へと足を向ける。本当は富永家として一緒にするか、せめて隣にということも考えたが、結局一番はずれの片隅に、ぽつんと小さな墓を建てた。

朽ちかけた古い墓のもっと奥の方にある、真新しい墓の前に行くと、汚れるのも構わずに腰を下ろす。

「今日はこんなに早い時間に来ましたよ」

静かに語りかけると、団子と茶を墓の前に置いた。
ここにセイが眠ってから一日も欠かさずに足を運んでいる。早朝であったり、深夜であることもあったが、雨降りであっても必ずここに足を運んでいた。

「土方さんにも山口さんにも叱られちゃいましたよ。神谷さんに心配かけるなって」
『当たり前です!』

頬を膨らませたセイの顔が浮かんだ。
今日もまた会えたことに総司の顔が嬉しそうに綻ぶ。

『お食事だってちゃんと召し上がってませんよね?!それでいざという時に、一番隊の組長が務まるんですか?』

厳しい言葉にも、総司は微笑むだけだ。

「大丈夫ですよ。皆さん、心配し過ぎなんです」
『沖田先生の事だから、当然です!もう……』
「そんなに怒るならあなたが一緒にいてくれればいいのに」

拗ねた顔をした総司に、セイが困った顔を見せる。
困らせても、こうしてセイを目の前にできる方がはるかにいい。

「また我儘を言っちゃいましたね。あなたにだけは、どうしても駄目なんですよねぇ」
『……先生が我儘ですか?』
「そうですよ。武士として生きると心に決めてから、ずっと自分を律してきたんです」

他の見本となるのが武士である。

近藤や土方の下で、ずっと武士であること、そして、一番隊の組長、沖田総司。この名前が背負ってきた使命と責任を誰よりも身近で見てきたのもセイだった。

「……斉藤さんが聞いたらきっと、笑われちゃいますね。女子のことでこんなに揺さぶられているなんて」
『沖田先生……』

月代のある清三郎が総司の目の前で膝を抱えてしゃがみこむ。そこにはいないはずなのに、本当にいるような気がして総司は愛おしそうに首をかしげてセイを見た。

– 続く –