水の底の青~喜怒「哀」楽 6

〜はじめのつぶやき〜

BGM:ケツメイシ こだま
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『先生は、私を困らせて楽しんでらっしゃるんですか?』
「そんなことはありませんよ。ただ……」
『ただ?』

好きすぎて、自分の感情しか見えなくなるほど、自分の足元を見失いそうになるほど愛おしい存在ができるなんて思いもしなかった。

にこりと笑うと首を振る。

「いえ。いいんです。神谷さんなら、我儘を聞いてくれそうな気がしてしまっただけなんです」
『先生ったら……。でも本当にちゃんと食べて、休んでくださいね?』
「わかってますよ」

ひょい、と団子の串にてを伸ばすと、ぱくりとひとつ口にした。

―― ああ。ちゃんと味がする

甘い醤油のたれがうまいと思う。こうしてここで食べているときだけは。

「やっぱり神谷さんてすごい」
『えぇ?なにがですか』
「だって。おいしいなぁって思うんです」

それは先生がお腹がすいてるからですよ、とセイが笑う。

―― 違う。違いますよ。あなたがいるからです

「今日は、一日休みになったんです。だから、一日いられますよ」
『駄目です!ちゃんとお休みになってください』
「ここにいることがお休みだからいいんです」

我儘だなぁ、とセイがつぶやく。

「いいんです。あなただけは私の我儘を聞いてくれないと」

少し腹にものが入れば、睡魔が襲ってくる。隊部屋でも疲れ切って床に横になれば、いつでも眠れるが、それは体が眠っているだけで、頭は眠らない。夢の中でも市中を走り回っていて、その眼はいつもどこかにセイを探していた。

「……少し、眠くなってきました」
『お休みになってもいいですよ』

この場所を決めたのは、ここに桜の木があったからだ。まだそれほど育っているわけではないが、寄り掛かれるほどには育った若木が生えている。もうとうに葉桜ではあったが、ちょうどいい木陰になっていた。

「ああ。ここ、いいですね」

そよそよと風が吹いていて、心地いい。気に寄り掛かった総司が目を閉じる。

そこにいるはずのないセイは、総司の隣に寄り掛かって、総司に肩を貸すように空を見上げた。

「こんなところにいたのか」

肌寒いと思って肩を震わせた総司は、ぼそりと聞こえた声に目を開けた。

「……斉藤さん」

寝起きでぼうっとしている総司の目の前には、食べ残りの団子と、茶の入っていた竹筒が風に倒れていた。
総司を見下ろした斉藤は、真新しい墓を見て屈みこんだ。

「こんなところにあったのか」

松本も南部も、セイを引き取った後、どこに墓を建てたのか教えなかった。教えれば、いつまでも後を引くからといって、頑なで、近藤や土方にさえ口を割らなかったと聞いていたのだ。

総司が休みと聞いて、皆がその行く先を気にしていたのを知った。市中に出たついでに、ふと富永の墓に参ることを思いついて、立ち寄ったのだった。

まるでセイの月代を撫でるように、小さな墓石の上をそっと撫でようと手を伸ばしかけて、総司を振り返る。

いいか?と、目線で問いかけると、総司が黙ってうなずく。

ざらざらした墓石をそっとなでると、しゃがみこんで手を合わせた。長いこと、手を合わせていた斉藤が手を下ろして総司を振り返る。

「こんなところで寝ていたのか」
「そういう……わけじゃありません」
「そうか……。少し付き合わないか?」

あの少し前、セイが斉藤に付き合ってから、ろくに斉藤とは口をきいていなかったのだから、同じ屯所にいて一月ぶりくらいに話をする。それがいきなり付き合えと言われて、総司が視線を逸らした。

「すみませんが……」
「あんたが不機嫌になったあの日の、俺が見合いをした日の神谷を会わせてやる」

倒れた竹筒を拾い上げ、残った団子を包みなおすと、斉藤は立ち上がってさっさと歩き出した。

“あの日の神谷に会わせてやる”

その言葉に引き寄せられるように、気に寄り掛かって座り込んでいた総司は立ち上がると、汚れを払って斉藤の後に続いた。

連れだって歩いていても、言葉を交わすようなこともない。
斉藤はあの日の見合いと同じ部屋に総司を連れて行った。

女将の案内で部屋に通された斉藤は部屋に入るなり、庭に面した障子を開け放つ。

「あの日。会津藩の持田殿から持ち込まれた見合いを断るためにここに来た」
「会津藩……?」
「いくら断っても、一度でいいから会ってほしいといわれてな。困り果てて、相手がいるといった」

それがセイだったのかと、ようやく腑に落ちる。あの時、土方もセイを行かせてやれとは言ったが、事情はあまり説明しなかったのはそのせいだったのか。

「神谷には無理を言って、女子の姿をしてもらった。おかげでようやく相手も納得してもらえた」

背を向けて、庭を向いたまま語る斉藤が顔だけを振って、総司に傍に来るように呼んだ。斉藤の隣まで近づくと、斉藤が腰を下ろしたので、総司もつられて腰を下ろす。

あの日と同じように晴れた空に庭の草木の葉が揺れていた。

– 続く –