迷い路 41

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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蔵の外から様子を見た総司は、小さく灯りが灯っていることに気づいて内戸を開ける前に小さく声をかけた。

「神谷さん」

蔵の中の気配が動いて、小さく中で問い返す声がした。

「沖田先生……?」

まだ起きていたと、息をついた総司は静かに内戸をあけて中に入った。

眠れずに座っていたセイは、自分がいた場所から少し奥に入って、総司が座れるように場所を作る。
セイが思いのほか、沈み込んでいる様子が気になって、総司はセイの顔を覗き込んだ。

「どうかしたんですか?まだ眠っていなかったとは思いませんでしたが……」

膝に置いたセイの手がぎゅっと強く握りこまれる。

「膳を……、膳を下げに来た相田さんから紅糸さんが亡くなったってきいて……。それで先生が出かけられたのかと思って」
「……そうでしたか」
「先生!紅糸さんは」
「亡くなりました」

淡々とつ告げた総司に、両手で口元を押さえたセイは、浮かんできた涙を必死に堪えた。何度も、大きく息を吸い込んでなんとか涙を呑みこんだセイは、はっとして震える手を離す。

「まさか……副長が?!」
「いいえ。土方さんは何もしてませんよ。紅糸さんが、押し込められていた部屋で、若い衆の隙をついて、首をくくったんです」

は……と震える手を下ろしたセイは、ほっとした。さすがに土方もそこまではすまいと、安堵したセイに、総司は視線を逸らす。

「もう、本当にどうして……。どうしてこんなことになっちゃったんでしょう。紅糸さんも柴田さんも」
「仕方ないでしょう」
「そんな!沖田先生っ」

セイの反応はわかりやすいし、おそらくそういうだろうと思っていたが、さすがに今の総司には受け止めて優しく宥めてやれる余裕はない。ざらざらと砂をかんだような苛立ちにわざと黙っているつもりだったことを口にした。

「桜香さんは土方さんの馴染みになりましたし、もう終わったことですよ」

それを聞いたセイが心底嫌な顔で総司を睨む。
結局、一人残った桜香があれほど紅糸が求めた土方の馴染みになったとはとても納得できることではない。

紅糸の想いは、柴田があれほど焦がれた桜香への想いは。

膝と膝がぶつかるほど間近に近づいたセイは、総司の腕をつかんだ。

「どうして……?どうしてですか!沖田先生!そんな簡単にいえるなら、どうして紅糸さんのところに行ってあげられなかったんですか?!だって、副長にとっては」
「大人の判断ですよ。子供のあなたにはやはりわからない」
「大人だとか子供なんて関係ないです!人の心は、そんな簡単にっ」

掴まれていた腕をセイの方へと逆に押し出すようにして、くるりと腕をひねった総司は軽々とセイの腕を外して逆に、セイの反対側の肩を押さえると、肘までを使って一息にセイを、セイが座っていた暗い隅の方へと突き飛ばした。

思い切り背中から頭を床に打ち付けたセイが、衝撃と痛みに顔をしかめていると、その上に総司が全ての動きを封じるように覆いかぶさった。

「紅糸さんが土方さんを想っていたことと、桜香さんのことを柴田さんに話していたことは別でしょう?紅糸さんは、自分を憐れんで、そして柴田さんに桜香さんのことを教えてあげるということをして、満足感を得ていたんですよ。自分の方がまだましだと」
「あ……」

目の前に迫る総司にセイの怯えた目が映る。
そしてセイから見た総司の目の中には、紅糸や柴田と同じ狂気に傷ついた色に染まっていた。

「そして柴田は、桜香さんの客をすべて殺したいはずなのに、言い訳をつけて武士を次々と斬った。自分だけが桜香さんに見合う武士だといいたかったんですよ。腕のかなわない相手や、身分が上で、桜香さんのためになりそうな相手は殺さず生かした。それは自分自身を守るためです」
「ちが……っ!」

総司の手によって床に押し付けられた肩が痛む。指の跡が付きそうなほど、強く掴まれた肩が軋んだ。

「土方さんが桜香さんを馴染みにしたのは、あのまま放っておけば、また次の何かを引き起こしかねないと思ったからです。だから傍に置いて、馴染みであるということでこれから起きることを防いだ。それが大人なんですよ。ねぇ……、神谷さん」

―― 怖い……

セイにはその怖さのわけがわからなかった。
恋情が引き起こす狂気を、その狂気に怯える自分を。

総司が囁く言葉がひどく優しくなる。

「ねぇ、神谷さん」

セイの怯えた顔を見ていると、もっと追い詰めたい衝動がこみあげてきて、総司は肩を掴んでいた片手でセイの顎を掴んだ。

「子供なら好きの嫌いので済みます。でも大人はそうはいかないんですよ。想う相手がいれば手に入れたくなる。手に入らなければ、自分の命を懸けてでもそのままではいられなくなる。それがあなたにわかるんですか」
「だって……。だって、沖田先生……。誰かを想うとき、たとえ想いが叶わなくても、胸に想うだけで頑張ろうって思えたり、不思議に力が沸いて来たり、胸の中が温かくなって、……涙が出てくるものなんじゃありませんか」

『知らなかった……愛おしくても涙が出るんだ』
『ほこほこと温かく限りない力を与えてくれる人が……』

肩の痛みからか、涙の滲んだセイの目が総司を見上げてくる。無邪気に総司を信じ切ったその眼で。

―― それでも、ただ幸せを願うだけじゃいられない時だってあるんです……

「……あなたにもそういう人が?」

その問いかけにセイの目が揺らぎ、応えに詰まった。まさかその本人から問いかけられるとは思ってもいなかったセイが即座にいると答えられるはずもない。今、この瞬間に総司を好きだと言えるはずもない。

その選択を、セイは自分自身でひどく冷静に見ていた。
ああ、これと同じように、紅糸さんも、柴田さんも、どうしようもなかったのか。

一瞬の判断の積み重ねが蜘蛛の糸に絡めとられるように逃げ切れないところまで人を追い詰めていくのだ。

「それは……、斉藤さんですか?それとも、中村さんか……いや、もっと知らない誰かでしょうか」

総司ではない誰かを想っている、と総司の目には見えてしまう。それが狂気の引き金になった。

「ほら。やはり、あなたにはわからないんですよ。柴田さんや、紅糸さんが苦しんだ胸の内がどんなものか」
「沖田先生、……違います!」
「私が、教えてあげますよ。狂気というものを……」
「!!」

薄暗い蔵の中で、息がかかったと思った瞬間、吐息ごと奪い去るように、総司の名前を呼びかけたセイの唇は冷え切った柔らかなものに塞がれた。

片腕だけで抑え込まれたまま、冷たい舌に蹂躙されながら。

– 続く –