寒月 1

〜はじめの一言〜
続きます!

BGM: How Soon Is Now
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

火事騒ぎへの出動は多い。今日もそんな日になるはずだった。

祇園での火災に出動した三番隊は鎮火とともに撤収するはずだった。斎藤は襷を外して組下の者たちに帰営を告げた。隊服の汚れを払って、終わって帰るはずだった。

「もし、もし、お武家様」
「はい?」

振り返った先には笑みを浮かべた初老の町人が立っている。訝しげに視線を向けた斎藤は、話しかけてきた町人をどこかで会ったかと記憶を手繰った。

「お呼び留めさしてもろて申し訳ございません」

腰の低い姿はどこぞの大店の主人のようだ。相手の言葉を待っていると手にした小さな巾着を下げながら男はこちらへ、と道の脇へと斎藤を導いた。

「お忙しいところ、あいすみません。先ほどはありがとうございました」
「……先ほど、でしょうか」
「ええ。この火事騒ぎで娘が……」
「ああ……いえ……」

つい今しがたの火事騒ぎでの娘を助けた、ということだろうか。これだけの騒ぎとつぎつぎと反射的に対応した町人の中に娘がいたかまでは記憶にない。曖昧に頷きながら、礼だけを聞いて早々に立ち去ろうとした。

「仕事ですので、礼には及びません。では……」
「あ、どうか。今しばらく、お礼をさせていただきたく、こちらへ……」
「仕事ですので……」
「いえ、そうおっしゃらず。どうぞ、少しこちらまでお願いできませんでしょうか?お願いしたき事がございますし」

いわくありげな男の言葉に斎藤は引っかかるものを感じた。
主人らしき男の後について、ついて来いという細い路地の先まで行こうとして、表通りに出る手前で斎藤の体が崩れ落ちた。男は、当り前のように崩れ落ちた斎 藤の体を支えてその先の表通りまで進む。どこにそんな力があるのか、斉藤の体を軽々と支えていく先には、待たせてあったらしい駕籠がいて、駕籠かきの手を 借りて男は駕籠の中に斎藤を乗せた。

一度、男は振り返って後ろを見る。慌ただしい後始末の中から、そっと斎藤をここまで連れてきた。気づいて追ってくる者がいないことを確かめて、男は駕籠かきに頷いた。

いずことも知れずに男と駕籠は歩み去った。

それぞれ、屯所に戻った三番隊の隊士達は、いつまでたっても戻らない斎藤を心配して、伍長が副長室に向かった。

「何?斎藤が戻らん?火事騒ぎが終わってから飲みにでも行ってるんじゃないのか?」
「いえ、出動の後に報告もせずに斎藤先生が飲みに行かれるなんてことはあり得ません」
「たまたま、知り合いにでも会ったか、どこかでまだ手伝いをしているのか」
「我々は最後に一回りして確認したところで、斎藤先生に確認しました!その上で、斎藤先生から帰営の指示をいただいたんです。その先生が戻らないなんてことはおかしいです」

思いつくことを次々挙げて行く土方に伍長である隈部は片っぱしから否定した。すでに四つを回った。この時間まで連絡もなく斎藤が戻らないということは何かがあったということだ。

「総司はどこにいる?」
「隊部屋に……」
「ここにいますよ」

土方の言葉に、この部屋に来る前に隊士部屋で総司を見かけた隈部が言いかけた所に、廊下から声がかかった。すらりと障子があいて、総司が入ってくる。

「斎藤さんが戻らないとか」
「ああ。心あたりはあるか」
「そうですね。飲みに行っているか、または……」

―― 何か用があって黒谷から呼ばれたか

斎藤が会津藩にかかわりがあるということは総司しか知らない。その先を噤んで、総司は腕を組んだ。確かにそうだとしても、あの斎藤がこんな不手際をするわけがない。そこだけは土方も同じように感じているらしい。

「探せ。人を出していい。三番隊は出動の後だから……」
「いえ、俺達も探します」
「じゃあ、一番隊と三番隊でやってみろ。不足なら明日、もう一度同じ時刻を狙って聞き込みをしてこい」
「承知」

総司と、隈部が頷いた。
すぐに総司は隈部を伴って隊部屋に向かった。隊士達に声をかけて集める。

「斉藤さんがもどらないということで、これから探しに行きます。まだ何もわかりませんし、ひょいっと帰ってくるかもしれませんしね。今夜のとこ ろは立ち寄りそうな飲み屋、揚屋などを回ってみましょう。回り終えたら一度今夜はそれで終わりにします。みつからなければ明日、もう一度探しましょう」

副長付きのセイは、捜索に加わることはできない。副長室の前の廊下に出たセイは、走り出て行く一番隊と三番隊を思いながら胸元で手を握りしめた。
先ほどの話を部屋の片隅で聞いていたセイは、隈部や総司と同じように斎藤がただ戻らないということはあり得ないことを知っている。
それだけに、単なる火事騒ぎへの出動で戻らなくなった斎藤が心配だった。
今宵は花街だけの探索だとは思っていても、こんな遅くになってからだ。何が起こるかわからないだけに不安が胸を押しつぶそうとする。

「そんな所にいても何もならんぞ」

背後から声をかけられてセイは副長室に戻った。先ほどから気忙しげにしている土方も、気にしていることは分かっている。

「何があったんでしょうね」
「わからんな。斎藤を見つけないことにはそれは分からんだろう」
「早く見つかればいいんですけど」

セイは土方の背後で、床の支度をしながら心の不安を口にした。

―― 早く見つかればいい

その祈りは、見つからないかもしれない、という不安が強いためだ。見つかるものと思っていれば、そんなことは思わない。

無事ではないかもしれない。
見つからないかもしれない。

斎藤ほどの使い手がそう易々とやられることはないと思ってはいても、新撰組という場所にいる限り、いつ誰が戻らなくなるかもしれないことをこうして思い知らされる。
土方は、途中まで書いた筆を置いて、硯をしまった。

「何かあれば知らせが来る。お前ももう休め。俺も休む」

セイは、頭を下げると、局長室に下がった。
がらんとした部屋の中にいると、よけいに不安が大きくなる。とても眠れそうもないだけに、セイは局長室の真ん中にひっそりと正座した。目を閉じると、静かな屯所の中の気配が大きくなる。

横になっているはずの隣の部屋の土方も眠ってはいないことを感じながら、セイは捜索の手が戻るのを待った。

 

 

– 続く –