寒月 18

〜はじめの一言〜
斎藤先生と総ちゃんのだいぶ不毛な喧嘩ですね。
BGM:Cyndi Laper Time after Time
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

昼過ぎに久しぶりに風呂に入った斎藤は、まだ髪結いに頼める状況ではないので、風呂を出るとすぐに蔵に戻った。そこに、セイが支度をして待っていた。後に立っている総司は呆れてその様子を眺めている。

「どうしたんだ、清三郎」
「えへへ、髪結いを頼むのはできないと思って、支度しました」
「危ないんじゃないかって言っても聞かないので…」

せめて気分だけでもさっぱりとさせたいと思っているセイの気持ちに男二人は呆れていた。

「別に、あと数日の我慢と思えば構わんが…」
「そうはいきません。ここまで回復されてるんですからこういう小さいことが気持の切り替えに役に立つんですよ」

斎藤は総司にどうする気だと目を向けたが、首をすくめるだけの男に仕方なくセイの前に座った。
思い他手際よく月代を剃り上げひげを当たったセイに、斎藤も総司も驚いた。剃り上げることを先に済ませると、剃刀など危険なものをすぐに蔵から外に出して、今度は髪を結いあげた。

「髪結いの髪油ではなくて申し訳ないのですが…」

そういうと、いつもセイが自分で髪を結っているものなのだろう。仄かにセイと同じ香りがしてきりりと結いあげられた髪に、確かに斎藤は気分が変わるのを感じた。

「大したことでは、と思っていたがこれほど気分が変わると思っていなかった。助かったぞ」
「それはよかったです!」

初めに総司と斎藤がそんな事をと呆れていたので、心配していたセイは本当に斎藤の顔がすっきりとしたのを見てほっと安堵した。まだ父が 存命で診療所があった頃、病人の月代やひげをあたってあげていた事があって実は手慣れていたのだ。それでも久し振りでもあるし、普段は自分の髪しかやらな いので呆れる二人に自信がなくなりそうだった。

えへへ、と嬉しそうに総司を振り返ったセイに、総司は眉間に皺を刻んだまま視線をそらした。

「さ、早くかたずけてしまったらどうですか?神谷さん。斎藤さんも急に起きだしてお疲れでしょうし」
「あ……はい。申し訳ありません」

しゅんとしたセイが急いで支度をかたずけに蔵を出て行った。後に残された斎藤と総司は気まずい沈黙の後、斎藤が口を開いた。

「沖田さん」
「駄目です」
「なぜ即答する……」
「今の斎藤さんの気持ちは手に取るようにわかりますから」

―― わかりたくなどありませんけど。

そう続いた気がして、斎藤は総司の不機嫌さが伝線したようにむかむかとした気持ちが込み上げてくる。まだ足を縛る前だったために、斎藤は立ちあがって総司の元へ向かった。総司の胸倉を掴むと蔵の壁に思いきり叩きつけた。

「……アンタに何がわかるっ」

押し殺した低い声で総司を睨みつける斎藤に、眉間に皺を寄せた総司がその視線をまともに受けて冷やかに答えた。

「止めましょう。今の斎藤さんはいつもの斎藤さんじゃない」
「そうやって自分だけが訳知り顔でいるわけか」
「じゃあ、どうしたいんです?」

斎藤は言い返されて、どちらのことだと思ったものの、息を飲み込んで掴んでいた胸倉から手を離した。

「もうここまで回復していればあとは一人で十分だ。朝晩の飯だけ差し入れてもらえればあとは一人でいるからあんた達は自分の仕事に戻ってくれ」

今度は総司が盛大な溜息をついた。
できることならばセイだけでも蔵から出したいと思ったのは総司も同じだった。だが、それはまだできない。薬湯をただ飲ませればいいわけではない。どうやら セイは時間を見て土瓶の中身を入れ替えているところをみても、斎藤の様子を見て少しずつ毎回入れるものを変えているようだ。自分にはそんな真似はできない し、そのセイの看護があればこそ、斎藤がここまで回復したのかもしれないと思えば頷けるものではない。

逆に、自分だけがこの蔵から出ることも難しい。もうこれだけ意識がしっかりしている時間が長ければ、初めの一日のように、セイを組み敷いたり首を絞めるようなことはないと思っていても、どうなるかわからない。

完全にその影響がないと判断されるまでは、または南部医師なりが一人でいることへの許可を出すなりしなければ勝手な判断はできない。

「だから、駄目です、と言ったはずです。斎藤さん。貴方も私も神谷さんも自分の仕事をしているだけです。今はこれが隊務なんです。貴方は一刻も早くその呪縛を振り払うこと、神谷さんはその貴方の治療を、私はその手伝いを。それ以外の隊務などありません」
「ならば、清三郎の手伝いは他の隊士でもかまわんだろう。なにも一番隊の組長がつく仕事ではない」
「それを判断するのは私でも貴方でもない」
「それを他の隊士に任せられないだけじゃないのか!」

斎藤の一言に、斎藤を床に押し戻そうとしていた総司の手が止まった。

その時、重い引き戸をあけてセイが戻ってきた。ついでに土瓶の中身を入れ替えて来たらしい。まだ少し周囲が濡れている大きな土瓶を火鉢に掛けた。

「わ、さすがに中は暖かいです。外、もう日が落ちたからかずいぶん寒くなってきましたよ」

火鉢に当たりながら明るく話しかけるセイに、斎藤は総司から離れて自ら床に戻った。その斎藤に、また縛った方がいいのかとセイが尋ねると斎藤は布団にもぐりこんで背を向けると、好きにすればいい、とだけ言った。

どうしたものかと総司を振り返ると、こちらもまたセイの方を見ずに、神谷さんにおまかせします、といって背を向けてしまった。
仕方なく、セイは柱には結ばずに、布団越しに斎藤の足を縛った。

斎藤も総司もどちらも背を向けるようにして横になっているために、少し早いとは思ったが蔵の中に置いた行燈の灯りを弱くして、セイは黙って階段の途中に座った。
本当は、途中から二人が言い合う声が聞こえて、入るに入れずに蔵の前にいたのだ。言い合う元になったことは分からないにしても、自分がここにいるために、総司も面倒をみる羽目になり、こうしてここにいるという話に聞こえた。
だからと言って、総司が言うように、自分がすることは斎藤の看病であり、それが仕事でもある。それを勝手に放棄するわけにはいかない事は確かだ。

どうすることもできなくて、言い合う声の切れ目を狙って何も聞かなかった風を装って蔵に戻った。こんなことでいいわけもないが、せめてあと一日だけでもこうしていなければならない。

セイは上に上がることも下にいることもできなくて、結局こうして階段の途中に留まっていた。

 

 

しばらくして、セイが階段にすわったまま船を漕ぎ始めると、総司がむくりと起き上がって、階段からずり落ちそうになって寝ているセイを 静かに抱え上げた。眠ってしまったセイを階段の途中で抱え上げるという無理な姿勢のため、セイの腕を自分の首に回させて、そのまま落ちないように中二階へ 運び上げた。そうっと起こさないように床に寝かせると、先ほどセイが結った斎藤と同じ髪油の匂いがする。女物ではないにせよ香りの落ち着いたさっぱりした 物を選ぶところがセイらしい。

そのまま、階下には戻らずに、総司はセイの隣にごろりと横になった。そのまま天井を見上げて静かに呟く。

「これが嫌なら早く治ってしまえばいいんですよ」

嫌がらせをしているつもりはないが、決して譲るつもりもないことは確かだ。
一度は嫁にすると言った斎藤に、そうしてくれれば自分も安心だと言ったことがあった。だがもうそれは言えない。自分が守ると思ったからには、この想いは育ち形を取り始めている。

それは斎藤も同じなのだろう。
今はだからと言って、自分が何をできるわけでもないし、今できることといえばこうして彼女を支えて一緒に仕事をし、ここで暮らすことだけだ。
それが一日でも長く続けばいい。

「寝言など真面目に聞くものがいるか」

不意にぽつりと階下から声が聞こえた。よほど寝ている振りをするつもりだったのだろうが、こちらも負けられずに言い返してしまったのだろう。
くすっと笑いながらも、総司はそれ以上は何も言わずに目を閉じた。
おそらく階下の人も同じだろう。目を閉じてその安らかな寝息に耳を澄ませる。

この眠りを守る者が自分でありたいと、願う心が二つ。蔵の中で渦巻いていた。

 

– 続く –