寒月 19

〜はじめの一言〜
副長が一番繊細でデリケートというA型体質だから、もてるのかもしれませんねぇ
BGM:Bon Jovi   You Give Love A Bad Name
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花菱の二階で傷の養生をしていた横山は退屈しのぎに左腕で脇差を抜いていた。繰り返し繰り返し、何度も抜いては納め、抜いては納める。
元より、右も左もほとんど変わらずに使うが、こうして利き腕の右側をやられていると、やはり浅手とはいえ、些細な動きに痛みが走る。実戦ではその一瞬が命取りになる。

だから、慣れない左で脇差を扱うことができれば、その間をつなぐくらいはできるのではないかと思ったのだ。

「よう飽きることなく繰り返されますなぁ」

喜助が薬を持って部屋にやってきた。傷口は縫合されたし、もう表面はかさぶたになりつつあるが、浅くても切られたことに変わりはない。まだ皮膚の内側は完全に繋がったわけではないのだ。

脇差を収めた横山は子供が手当を嫌がるように顔をしかめた。

「また膏薬を貼り替える時間か。どうにかならんものかな。俺はどうにもその膏薬の匂いと前のをはがすのが嫌でたまらん」
「何をいわはります。ちゃんと早う治していただきませんと、私が元締に叱られてしまいます。次の手を元締めはお考えですから」

渋々と横山が右肩を出し、その肩に巻かれていたさらしを外すと、膏薬を塗りつけた布きれをそっと傷口からはがしにかかる。あまり手荒にしてはせっかくふさがりかけた傷口が開いてしまうのだ。

喜助は仕事柄多少の切った張ったの手当には慣れている。べろりと布をはがしてしまうと、すぐにそこに新しい膏薬を塗った布きれをあてがった。その匂いに横山が顔をしかめるのをみて、思わず笑ってしまう。

「先生ほどの腕をお持ちならもっと痛い目にも会われてきはったでしょうに、このくらいでなんです。元締めがみたら情けない言うて怒られますよ」
「そう言われても好かんものは好かんのだ。それに、いまどきの道場は皆、幇間稽古ばかりで道場破りをしたとて相手にもされぬ。金子を渡されて体よく追い払われるだけさ。だから言うほどの痛い目にはなかなか会えぬというわけだ」
「へぇ。だからよけいにあのお人らが気に入ったんですね?」

元締めに包み隠さずに報告したあと、横山は子供のように嬉しそうな顔でもう一度機会をくれ、といった。

「そら、確かに先生に出張っていただきませんことにはどうにもなりまへん。そやけどどないしたんです?こんなケチのついた仕事に乗り気な先生はお珍しい……」
「元締めにはわからぬかもしれんが、それほどの腕の男やもっと腕の立つ男がいるのならぜひ立ち合ってみたい。いや、ぜひ戦ってみたいのだ」
「剣術のことは私らにはわかりまへんがそんなもんですやろか」
「ああ、そういうものだ。自分より強い者がいれば、立ち会いたい、その太刀筋を見てみたい、そして自分の剣が敵うのか、敵わぬのか、相手を仕留められるのか、自分がやられるのか。ぜひともそれを確かめたくなるのだ」

うっとりと酔いしれたように言う横山に、万右衛門は首を振った。いくら気に入っていても、この男の突如として無邪気な子供のような姿は理解できない。剣術馬鹿とはこうしたものなのか。

「なんでもかましませんけどな。もう一度確かに先生には出張ってもらいますよ。次はもう少し人を増やさなあきまへんし」
「なまじな腕の奴ならいるだけ無駄だぞ?あいつらは本当に腕が立つ」
「そうやかて、先生ほどの腕のお人は早々いるわけやありまへん。……あの斎藤先生くらいのお人がうちにもいてくれはったらなぁ」

元締めの言葉に横山が苦笑いを浮かべた。これから襲う相手の身内の腕を惜しんでどうするというのだ。

それから万右衛門は、横山のほかに幾人か手持ちの浪人に声を掛けてそれなりの金を与えて待機させておいた。仕掛けの準備には時間をかけるが、いったん仕事にかかれば万右衛門は調べ上げたもので次々と臨機応変に仕掛けを変えていく。

「横山先生が使いものになるまでに、斎藤先生もそろそろ動いてくれはるやろし、切り札にもそろそろ動きだしてもらおか」

万右衛門の言葉に頷いたお才は早速使いを立てた。万右衛門は奥の部屋へ引き取っていった。

 

花菱の裏口に現れた小男は、あたりを伺ってからそっと勝手口に入り込んだ。普通に客のために忙しく動き回る下働きの者達の間をぬって奥の部屋に上がりこんだ。そこには喜助が待ち構えていた。

「わざわざ面倒なことで。文蔵さん、早くきてくれたようで助かりますわ」
「ちょいと油を買い足しにと言って抜けてきましたんで、急ぎます」
「そうか。どないな感じや?斎藤先生の様子は?」

文蔵と呼ばれた男は、実は屯所で働く下働きの男である。賄い方の小者として雇われて半年がたつ。下働きであれば、あれこれと詳しく身元を調べられたりすることもない。

頬冠りしていた手拭を握りしめながら、文蔵は丁寧に答える。

「昨日、神谷さんが賄いに来て斎藤先生の分は重湯にしてくれと言われてましたから、回復されてきているのかと」
「ほお。そりゃ随分と早いなぁ。なんぞ薬でも飲まされてるのやろか」
「土瓶でずっと神谷さんが薬湯を作られてるようです。蔵の中に籠っておいでなので詳しくはわかりませんが」

賄いにいれば深い話は分からずとも人々の動きの浅いところは一番早く耳に入る。文蔵は次々と屯所の中の動きを伝える。
原田がおまさの実家から戻ったこと、近藤を初めとした幹部たちの動揺が大分収まったように見えること。

「土方副長が、刀剣商へ詫びに歩かれてました。その話にはだいぶ不機嫌そうだったと聞いとります」
「鬼の副長はんの機嫌が悪いのは困るやろなぁ」

そういうと、喜助はいくつかの薬包を文蔵に渡した。

「ちょいと具合の悪くなる薬や。幹部の皆さんを避けて、平の隊士はん達に薄めて飲ましてくれるか。汁もんにでもいれればええ。一度に一つや。食事のたびに混ぜてくれればええ」
「わかりました。ほな、もう戻りますわ」

再び文蔵は来た時と同じように懐に薬包を忍ばせて、花菱の裏口から帰っていった。

三日目が過ぎようとしていた。

 

夜半、土方の部屋には山崎の姿があった。

「すまんが、事が収まった後、お初の身の振り方をなんとかしてくれ」
「切れるおつもりですか?」

半ば呆れた口調になるのは、土方がどれほど無理を重ねてもお初を身請けし、密かに囲っていたのかを知るからだ。それだけこの鬼の副長がお初という妓を大事にしているかということでもある。

「ああ。このままでいいわけがねぇ。少し長く遊びが過ぎたな」
「遊び……ですか」
「そうだ。新撰組の副長が妾を持つことも、嫁をもつなんてこともあるわけがない」

淡々と告げる土方に、山崎はそっとため息をついた。このことをせめて近藤でも総司でもいい。知っていれば、止めてくれただろう。だが、 固く口止めをされているために、漏らすことなくこの半年を過ごしてきた。その間に数えるほどしか通っていない土方が、それでもお初を可愛がっているからこ そ手放そうとしていることもわかる。

近藤よりも、原田よりも、この男が一番寂しがりで、一番繊細な気がした。癒されたくて、お考を傍におく近藤も、一目ぼれした女を嫁にした原田より、一番切なくて悲しいのが土方に思える。

「ほんに、副長は不器用ですなぁ」
「……毎度のことだが、誰にも漏らすなよ」
「分かってます。斎藤先生の様子はどうです?」
「夜が明けたら南部医師の往診を請う。それ次第だが、もうそろそろ二人も貼り付けておくことはないだろうな」
「それはそれでまた気が揉めますなぁ」

南部の診察で、完全な回復とは言えなくても、だいぶいいようなら総司は一番隊に戻すつもりだった。他の隊が不足分を補っているとして も、一番隊と三番隊の組長が使えないというのは痛い。巡察は原田や永倉、藤堂達がそれぞれ一番隊と三番隊の者達を連れて回してはいるが、やはり普段とは違 う。

こんな時に、不逞浪士の動きが活発になれば怪我人が出てもおかしくない。l

「ほな、そろそろ」
「ああ。すまんな」
「そんなこと言わんといてください。局長よりも副長の方がまいってる場合じゃありまへん」
「んなこた、分かってる」

―― だから、お初を傍に置けばいいのに。

そう思ったが、山崎は賢明にも口には出さなかった。夜陰に紛れるようにして、幹部棟から滑り出ると裏門から静かに屯所を後にした。

 

 

– 続く –