寒月 28

〜はじめの一言〜
このあとは、切ない路線を進みます。その前に狼さん達のにらみ合いもちょびっと。
BGM:May’n   ライオン
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必要以上にその家を訪れることは避けていたから、山崎でなければその変化には気がつかなかっただろう。土方の指示を受けていた山崎が、密かにお初の元を訪ねたのは、土方が訪れた数日後だった。

裏を回って、薬の商いの荷を担いだまま山崎は声をかけた。

「毎度」
「薬屋さん」

―― 山崎様

声を落としてお初は山崎を縁側に招いた。山崎は小さな庭先に回って、縁側に荷を下ろした。

「お忙しいところわざわざお運びくださいましてありがとうございます」
「いや、お初殿。土方副長の指示ですからお気遣いなく」

手をついたお初に山崎はそれを制した。すぐ、お初は奥に入り茶を運んでくる。

「その……、誠に言い難いことですが」
「先日、土方様がおいでになりました。お話は伺っております。どうぞ、……お気遣いくださいますな」

微笑んだお初に、山崎はわずかの驚きを感じた。土方が気に入るだけはあると思う。まだ若いというのに、この潔さと意思の強さには目を見張るものがある。
なんと伝えるべきかと困りはてながら足を向けたのに、逆にお初に気を使われてしまった。山崎は、自分の気まずさをごまかす様に室内に目を向けた。

以前から、よく整えられていた室内は相変わらず、きっちりと整えられていたが、微かな違和感をもたらした。あえて言うならば、人の気配 が拭い去られているとでもいえばいいのか。この家を包み込んでいた清しい空気が拭い去られて、無機質な部屋になぜかお初がいる、という風に見える。

「お初殿は、何かお考えになっていることでもおありですか」

考える前に口をついて出た言葉に、山崎は自分でも驚いた。

―― そうだ。この家はもうお初が住んでいた家ではなくなっている

「私の身の振り方は自分でも考えがございます。山崎様のお手を煩わせるような真似は致しません。行く末が決まりましたら、お知らせさせていただきますので、どのようにすればよろしいか教えてくださいますでしょうか」

丁寧に応えたお初に山崎はどうすべきか躊躇した。土方がどう言おうと、お初を切るべきではないと思われた。仮に今お初を手放したとしても、その後の行く末を知っておくべきだと思えた。

「考えがあるんやったら教えてくださいますか。なんも知らんとほな左様なら、というわけには参りませんし」
「そうですね。とにかく、身の振りを決めましたらお知らせいたします」
「ほな……、床伝まで知らせてくれますか?文を預けてくだされば結構です」
「わかりました。そんなにお待たせしないと思います」

山崎はそれ以上何もいうこともなくなり、茶を飲み干すと立ち上がった。もう一度、さりげなく部屋の中を振り返ると、壁際にいつも活けられていたいた花がなかった。薬の荷を背負うと山崎は立ち上がった。庭先まで降りてきたお初が、裏木戸まで送った。

「もう……、お目にかかることはないかもしれませんが、御厚情は忘れませぬ。ありがとうございました」

静かに頭を下げるお初に見送られて山崎は細い路地を出て、花街の人ごみに紛れた。
山崎が去った後、お初は家の中を片付けて、外に出た。土方が来た後から、お初は引き受けていた仕立物を仕上げると、外出することが多くなっていた。

もうひとつ、山崎も気がつかなかったことがある。この日お初が着ていた着物は、これまでのものよりはるかに良い品だった。帯の締め方も異なっていたが、山崎はそれには気がつかなかった。胸に懐剣をはさみ、お初は己のすべきことのために歩きだした。

薩摩の島津屋敷から枡屋の方へ半町ほど進んだ所に、こじんまりした屋敷がある。福永義久の屋敷であり、その家の中には、長州者も長州者 ではない者達も、尊皇派と言える浪士達が集まっていた。家人は奥の屋へ引き移っているらしく、身なりも整っていない者達が各々出入りしていた。

外出から戻った福永は彼等が溜まっている部屋に入ると、その者達に言った。

「これより、数名ずつに分かれ、五条橋近くの以前、町道場だった地に移ってもらう」
「福永様、いよいよでございますか」

腕が鳴る、という声とともに、幾人かから声が上がった。福永はこの者達を引き受けることが嫌で仕方がなかったが、これで追い払えると思うと、いくらでも彼等に声をかけてやることができた。

「うむ。皆の新撰組の暴挙をこのままにはしておかぬ、という思いが必ず藩の上の方々にもきっとおわかりいただけよう」

そう言って、町人姿の者も混じる中を声をかけて歩き、二人、三人と屋敷から送り出した。他にも薩摩方からも人が出るはずだ。
中には、尊皇派とは名ばかりの、金目当ての浪人たちも随分混じっている。しかし、福永にはそんなことは関係なかった。

後は、万右衛門に任せるだけだ。

 

花菱の二階から久しぶりに外に出た横山は、ゆったりと歩きながら、西本願寺のあたりを進んだ。何がということもない。近くを一回りした後、はずれにある竹藪を見つけると、分け入っていき、手頃な場所まで来ると刀を抜いた。
久しぶりに加減なしで刀を振るう感覚に、横山は血が騒ぐものを感じる。

 

あの強い男たちと闘うことができる。

 

その口元には笑みが浮かび、脳裏には藤堂や総司、原田の動きがある。幾度もその影に向かって斬り込んでいく横山は、日暮れごろになって手応えを覚えると、刀を納めた。再び花菱にむけて戻る道すがら、巡察から戻る隊士達を見かけた。

笠をかぶっていた横山は、面白半分にその巡察とすれ違った。

先頭を歩いていたのが、藤堂であれば間違いなく、笠をかぶっていても気がついただろう。しかし、その日は永倉が隊士達を率いていた。笠の際から通りすがりに視線を送った双方は、それぞれお互いがただ者ではないことを知覚する。

すれ違ってから、笠に手をあてた永倉が振り返ることなく、横山の気配を追う。隣を歩く隊士が、夕暮れ近いのに笠に手をあてている永倉を不審に思って声をかけた。

「永倉先生、どうかしましたか?」
「……すげぇのがいたもんだ」
「はい?」

隊列から横山の気配が離れたのを確認して、永倉はふっと息を抜いた。幾分その足が早くなる。

「今、すれ違った奴……。並のやつじゃねぇよ」
「は……」

隣を歩いていても全くわからなかった伍長は、恥いるように視線を逸らした。後を歩く隊士達も永倉と伍長との会話に耳を傾けている。

「もしかして、今の奴は今回のことに関わりのある奴だったかも知れねぇ。捕まえりゃよかったかもしれねぇが……」

―― あの腕では、自分はさておき、組下の者達を全員無事、というわけにはいかなかっただろう

いくらか回復し始めたとはいえ、まだ屯所の中はギリギリの人数で回している。その躊躇が永倉を止めた。藤堂の話をきいてもいたし、戦うことを避けるわけではなかったが、それが今ではない、と本能が告げる。
常に闘いに身を置くものだけに、目に見えぬ何かに操られるように動く。それが命をつなぐことを経験からも重々知っているだけに、永倉はもう目と鼻の先になった屯所へ急いだ。

来る。

売られた喧嘩に始末をつけると気が来る。

 

– 続く –