寒月 27

〜はじめの一言〜
終わるのが寂しいですねー終わりが見えてくる~。
BGM:Chage & Aska   太陽と埃の中で
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暇を出された文蔵は、自分の小部屋から金だけを持つと、いつもの外出のように外に出た。

―― 潮時やな

まだ文蔵が仕込んだものは残っているが、あれを使わずに、すべて新しく買いだしてきて調理されればすぐに分かってしまう。金さえあれば身の回りの物などどうとでもなる。

ありったけの金を懐に入れて、足早に伏見まで向かうと、船に乗って大阪に向かった。伊勢屋のもつ船宿のひとつに宿を取るとすぐに花菱の万右衛門宛に文をしたためた。店のものに二分を渡し、折り返し京の花菱宛に文を頼んだ。

それぞれ暇を出された者達は、皆実家へ帰ったり、身内の家を訪ねているが、行く先が違ったのは文蔵だけである。花菱に直接向かわなかったとはいえ、監察方の目は文蔵に向いた。

文蔵からの文を手にした万右衛門はそのまま使いの者にわかったとだけ言伝を伝えさせるために大阪へ帰した。万右衛門から見ても文蔵にはもう監視の目がついているだろう。

花菱の奥の部屋で、火鉢で文蔵から来た文を燃やすと万右衛門は喜助を呼んだ。

「お呼びでしょうか」
「横山先生の様子はどないや」
「へえ。先ほども部屋の中やのに脇差抜いてはりました」
「そうか。ちょいとお邪魔してこようか」

喜助に横山の様子を聞いた万右衛門は花菱の二階に寝起きしている横山の部屋に向かった。

「横山先生、よろしいか?」
「元締めか」

すらりと障子を開いた万右衛門は部屋の中で飽くことなく脇差を抜いていた横山の前に座った。ついてきた喜助は、万右衛門が腰を据えたのを見てから茶を運びに下に降りて行った。

「そろそろどうです?お怪我の具合もよさそうな」
「うむ。ことのほか治りも良いようだ。道庵先生の膏薬は匂いがたまらんがよく効く」

にっこりと笑ったその顔は子供のように嬉しそうで、剣を振えるということが横山にとってどれほどの楽しみなのかその顔だけでもわかる。
万右衛門にはそこのところがよくわからない。恐ろしいほどに腕がたつのに、子供のような無邪気さがある。

「新撰組に入りこませておいた文蔵という小者が隊を抜けたと知らせてきましたよ。時間稼ぎに薬をつこてましたが、そろそろばれてしまいそうやて大阪の船宿に向かったそうですが、もうあれは駄目ですわ」
「駄目というと切り捨てるのか?」
「へぇ。文蔵ほどの男であれば捕まって責め問いを受けても何もしゃべらんでしょうし、万一しゃべろうにもあれはろくに仕組みのことも知らへん。だからかまへんのや」
「元締めは怖いなぁ」

さして感慨深くもなさそうに、横山は言った。横山にとっては元締めから切られてもどのようにしても生きていける。町人の文蔵とは違うだけに、自分には関係ないことには関心の薄い横山である。

「ほな、そろそろ仕上げとさせていただきますよ?こういってはなんですが、先生だけではあれだけの相手に心もとない。枯れ木もなんとやら、長州の尊皇派の血の気の多い方々に囲んでもらうように手筈をつけるつもりや」
「ふむ。俺は構わん。どうせこの家の中に待つわけでもない」
「と言いますと?」

万右衛門の策は、この花菱に新撰組の核になる者達を呼びよせて、始末をつけるつもりだった。万が一外に逃がしたとしても、尊皇派の血気 盛んな者達を福永の手引きでかき集めておけばよいと考えていた。一人や二人ならまだしも、いくら腕の立つ連中でも囲まれてしまえば手も足も出まい。そこに 横山を配置するつもりでいたのだ。

横山は脇差を収めた左腕の動きを満足げに確かめながら、簡単なことだ、と言った。

「元締め。奴等はその程度の男達ではない。それが信念のためであろうが、元締めが付き合いのある長州や薩摩の連中とも違う。あいつらは生粋の狼なのだ」

嬉しそうにいう横山の言葉が万右衛門にはわからなかった。なんであろうと、武士は武士。今どき武張った者達が何を正義と叫ぼうと、何を信念と言おうと腕が立つかどうか、それだけではないのか。

「なんぼ腕が立っても田舎者の集まりやないですか。そないなもん……」
「こればかりはいくら言ってもわかるまい。武士として、剣をもって生きる者だからこそわかるのだ。あいつ等は道場で偉そうにしている奴らとも、信念を叫び ながらも結局はそのほとんどが単なる不逞浪士の集まりとも違う。一人一人が鋭い牙と闘う腕を持つ狼なんだ。たまたま群れで行動しているだけであいつ等は一 人であっても恐ろしい相手だぞ」

横山の顔にはそれまでと全く違うものが浮かんでいた。先ほどまで強い相手と戦うこと、剣を持って再び戦えることに喜んでいた顔ではない。
その顔もまた、狼の一人なのだと。

目つきが変わったわけではない。その口元も、何もかもそれまでと全く変わらないままに、横山の全身から噴き出す闘気とでもよべるようなそれに、万右衛門は眼をそらした。

万右衛門ほどの男でも、その気迫に背筋が寒くなる。ふっと、その気がひいた。

「なに、必ず一人はこの家の外にでて、自分達のいる場所へ帰ろうとする。俺はそこで待つさ」

それ以上、なにも言わずに万右衛門はよろめくように立ち上がると、部屋を出る直前に立ち止まった。

「ほな、段どりがつきましたらお知らせしますよってよろしゅうお願いしますよ」
「うん。分かったよ、元締め」

今度は怪我をした右腕で脇差を抜き払う仕草をしはじめた横山を置いて、今度こそ万右衛門は部屋を後にした。廊下には、茶の支度を持ったまま入りそびれた喜助が控えていた。しかし、喜助の姿など目に入らぬように万右衛門は階下に下りて行った。

 

 

そのころ、セイは賄い所で忙しくしていた。半数に暇を出しても、残った者達は古参の者達だけに、手際もよいのだが、それにしても今の新撰組の人員の腹を満たすには人手がいくらあっても足りぬ有様であった。

「じゃあ、申し訳ないですが、作り置きのきくものを多く作りましょう。組み合わせを変えてお出しさせてもらえばいいし、米と汁物だけは必ず温かなものを用意しましょう」

セイの取り仕切りと、賄いの頭の仕切りで、早くから次々と作り置きのきく甘露煮や煮物などが作られていく。食材や調味料はすべて新しく購入したものだ。昔よりはましになったとはいえ、それはなかなかに費用がかさむものだったがこれ以上繰り返すわけにいかなかった。

膳の整えに回ったセイの心配りで、いつもより簡素な膳も逆にこそ見えて、不満に思う者はいなかった。盛りつけに工夫し、ひと手間を惜しまずに作られたものに、皆喜んだ。後に、賄いの者達から近藤達に、セイがいなければどうなっていたかと思う、と報告があがったほどだった。

そして、その日は、誰も体調を崩すことなく、皆徐々に回復に向かい始めた。

「はぁ……」
「大活躍だな」
「兄上!お体は大丈夫ですか?」

隊部屋の前の廊下で休んでいたセイに、斎藤が声をかけた。これまでの分を補うわけではないが、次々と体調を崩す者達の代わりに、続けて巡察に回って帰ってきたところだった。
あちこちで斎藤の復帰に心配と安堵の声をかけられてばかりである。

さすがの斎藤も寝込んでいた後に続けての巡察で疲れたのか、セイの隣に腰を下ろした。

「動いている方が、気分がいいな。時折、不快感はあるが、堪え切れぬものではないし、南部医師の薬も飲んでいる」
「そうですか!よかった……。良かったです」

本当に、一時はどうなる事かと思ったのだ。まだすべてが良い方向に転がったわけではないが、斎藤の回復とともに、動き出している気がする。

「お前にも迷惑をかけた」
「駄目です!謝っていただくのはすべてが終わってからです。沖田先生と言ってたんですよ。兄上に美味しい生菓子でも奢っていただこうって」
「……甘味か……」

完全に辛党で酒は飲むが、甘い物の得手ではない斎藤は、その様子を思い浮かべただけで胸が悪くなりそうだった。こめかみを押さえて、出資するというのでは駄目なのか、と問い掛けたが、あっさりとセイに却下される。

「だめですよ!兄上にも美味しく召し上がっていただけるようなお店を選びますから!」
「……そうか」

くらりと本来とは違う目眩を感じて斎藤は立ちあがった。

「アンタも早く寝ろ」
「はい」

返事をしたものの、セイはそのまま廊下に座っていた。何かを待っていたわけではない。ただ、そうしていたかったから座っていただけだ。
しばらくして、通りすがりにぱさりと綿入れがかけられた。藤堂が自分が着ていた綿入れを通りすがりにセイの肩にかけて去っていった。ぽんぽん、と頭を優しく叩かれた。永倉が労いの代わりに叩いて行った。

ぽん、と温かい手が頭の上に置かれた。

「今、貴女が風邪をひいたら困るんですけど?」
「お帰りなさい、沖田先生」

顔をあげずに答えたセイに、頭上から笑いを含んだ声がかえった。

「ただいま」

 

– 続く –