寒月 37

〜はじめの一言〜
どこまで土方さんは分かってたのかなぁ
BGM:安全地帯 あの頃へ
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遊里で、わざわざ土方を水揚げに指名して初めて会った時、父から聞かされていたような悪漢で冷たい男だと思っていたお初は、その手の暖かさに驚いた。

優しい仕草も女慣れしている扱いも、お初にとっては福永の家に引き取られてから、初めて人として扱われた気がした。三日の間に、単に水揚げを引き受けただけだと分かっていても、お初は生まれて初めて夢を見たのだ。
例え、たまにしか会えなくても、それでも良かった。時折、優しくしてもらい、その一時だけは想い人のように居られたから。

幸運にも気に入ってもらい、身請けもしてもらった。数えるほどしか訪ねてはもらえなかったけど、たった半年が至福の時間だった。

身請けされた後、伊勢屋からは執拗に仕掛けを催促された。しかし、まだだと繰り返し、いつか土方から捨てられた時に、一人でも生きていけるようにと仕立て物を始めたりして、伊勢屋からも福永の家からも逃れて生きていく方法を探した。
一日でも長く、土方の傍に居たいという気持ちを押し殺して。

今度の仕掛けがついに始まってしまった時、初めお初には何の知らせも来なかった。ところが、あの日、心配して現れた土方に、まさかと思った。自分はまだいいと言っていない。

しかし、花菱を訪ねたらお才が笑って言った。

「何を言うんやろねぇ?お前さんはもう商品として売られた妓なんだよ?そんな妓の言い草など、誰が本当だと聞くものかね」

嘲るように嗤われて、その場で喜助がお初を抑え込んだ。すっかりと土方に慣れたお初の体に、すぐ嘘がばれた。

「随分と可愛がられたようやのう」
「違うっ、身請けされる前は半年も店にいたんだから!」
「身請けされて半年も経つんやからなぁ」

背筋に冷たいものが流れるようだった。
確かに初めは土方を虜にするために遊里にその身を移したのだった。しかし、今は自分を人として、妓として、大事にしてくれた土方に迷惑をかけるようなことはできない。

土方に迷惑がかかる前に何とかしなければいけない。

お初は花菱を出ると、今度は福永家に向かった。殊更、酷薄に土方に飽きられて打ち捨てられる事を告げ、思うような仕掛けにはならないと告げた。その上で、再び遊里に戻り、他の隊士なりを目標にしてはどうかとも言った。

父を前に、お初は淡々と告げた。心中は必死であったが、それを気取られては逆効果になってしまう。しかし、福永は、お初がそのようなこ とを言いに戻ってきたことも気に入らなかったようだ。家から出した後、一年も家には近寄りもしなかったお初がわざわざ出向いてきただけでもそう思う。
「そなたごときがあれこれと出すぎたことを申すでない」
「ですが、父上!父上の失策となればお家にも障りが出るはず」
「ふん。そなた……まさかに土方に惚れたのではあるまいな」

どきっとしたもののなんとか表には出さずに済ますことができた。
首を振って、否定するとお初はそれ以上言わずに、福永の家を後にした。

それから、考えて、考えて。おそらくどんなに否定しても自分は土方を貶めるために使われるだろう。その時に、土方に少しでも負担を、迷惑をかけずに済むか。

「お初さんは、確かに副長を落とすために遊里に身を売ることになったそうですが、それでも副長と一緒にいられた間だけは人として扱ってもらえたと言っていました」

喉が痛い。こみあげてくる涙をこらえると、セイは喉がきゅうっと痛んだ。

「副長を裏切っていたことには変わりがないからって、言って……ました」

本当は、少し違う。

お初は必死にセイに頼み込んでいた。どうか裏切った女のことなど、構わずその手で斬り捨ててください、と。
初めから、土方に気にかけてもらえるような女ではなかったのだからと。それが、どれだけの覚悟でいるのかも、お初がどれほど土方を想っていたのかも、痛いほどセイには伝わってきて胸が痛くなった。

セイが、どれだけ今のうちに逃げてと言ってもお初は聞かなかった。

「だって!今だったら副長にも障りなくできますよ!店の外には隊士も控えています。すぐに保護を願いますから」
「いいえ。土方様は、私ごときで煩わせていいお方ではないのです。私は、私の始末をつけます」

そしてお初は、代わりにといって懐から大事そうに手拭に包んでいた簪をセイに手渡した。

「どうぞこれを……土方様にお渡しいただけますでしょうか」
「……わかりました」
「もうお行きになってくださいまし。神谷様」
「はい」
「最後にお目にかかれてよかったです。土方様からお話を伺ったことがございましたので」

そういって、最後に微笑んだお初の顔が忘れられない。
セイは懐から預かった手拭を取り出した。

「副長に、これを渡して下さいとお預かりしました」

つい、と畳の上にセイは差し出した。中には、着替えた後に遺体のところへ行ったセイが、お初の髪をひと房切り取っていたものも挟んであった。

土方は振り返りもせずに、黙って聞いていた。

セイは静かに障子を閉めて、立ちあがった。ちょうど片づけをしていなかった蔵の中を片付けるつもりで、蔵に向かう。
蔵の中には斎藤と総司の分はすでに片付けられていたが、中二階にあげてあったセイの布団と荷物はそのままになっていた。下を向いて蔵に入ったセイは、階段に上りかけて両手で顔を覆った。

「~~っ……」

心が痛かった。

お初の気持ちも、土方の気持ちも、それに今回の件では操られた斎藤も。

 

武士だから。武士の娘だから。

 

だからと言って、心を踏みにじっていいわけではない。矜持を踏みにじっていいわけじゃない。
心が痛まないわけはない。

開け放したままにしていた蔵の引き戸を静かに閉めた音がした。
顔を上げかけたセイを背後から大きな腕が包み込んだ。

「……貴女がまたこうして、誰かの分も泣くんじゃないかと思って」
「……~ぅぅっ」

言葉にならない思いが溢れだしていて、応えることもできずにその腕に抱えられたまま、泣き続けた。

 

 

– 続く –