寒月 39

〜はじめの一言〜
意地っ張りなんです、副長さん
BGM:YOKO KANNO SEATBELTS Tank!
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セイが朝、目が覚めると、泣いて目をこすりすぎたために瞼が腫れぼったくて、なかなか目が開かない。
しかも、変な時間から夕餉も取らずに眠ってしまったために時間の感覚がおかしい。

外はようやく明るくなりかけた時間のようで、そっと部屋から廊下に滑り出ると静かに幹部棟の方の井戸端に向かった。足音を忍ばせて向かった先に、思いがけない人の姿を見つけて、セイは驚いた。

「……副長?」

昨日の着物のまま井戸端で顔を洗っていたらしい土方は、じっと屈みこんでいた。何と言っていいのかわからずに、近くまで行ってそっとそ の背に触れると冷え切った体に、一体、いつからこうしていたのだろう、と思う。自分も昨日のままの姿だったので、羽織を脱いで冷えた肩にかけた。

「お風邪を召しますよ。こんなに冷えて」

何度も冷たい水に繰り返し顔を洗っていたのだろう。その手に、セイも屈みこんで懐から出した手拭を握らせた。目の前にあった桶をどけて、セイが立ち上がると、不意に腰の辺りを引き寄せられた。
冷え切った体が縋るようにセイを抱き締めた。

「副長?」

加減なしに抱きつかれたセイは、慌てたものの冷たく震える肩に手を置いた。

「……温かいな、お前は」

くぐもった声が聞こえてセイは目を閉じて、懐に抱えて温めるるように腕を回した。

「副長が冷え切ってるからですよ」
「子供は体温が高いからな」

微かに笑った気配がして、セイは回した腕で軽くその背を叩いた。

「……俺に出会わなければあいつは今頃幸せになっていたかもしれん」
「違いますよ、副長。お初さんは、副長に出会わなければ人の温かさも知ることなく今も辛い日々を送っていたかもしれません。短くてもお初さんは、副長に出会えて、一緒にいられて幸せだったと思います」

セイの華奢な体にお初を重ねるように、抱き締めた腕に力がこもる。
それから、緩んだ腕がゆっくりと離れて、セイの顔を見ないようにして土方は立ち上がった。ずっと屈み込んでいたために強張る体を持て余しながら、握った手拭をセイに押し付けた。

「もうすぐ起床だ。お前も支度しろ」
「……はい」

自分の部屋へ向けて戻っていく土方が、濡れ縁に上がる直前に、立ち止まった。後姿を眺めていたセイは、なんだろう、と首を傾げた。

「神谷」
「はい」
「アレを…お初の声を最後に聞いたのがお前で、あいつも喜んだと思う」

―― ありがとう。

口には出さなかった土方の心を聞いた気がしてセイは深く頭を下げた。

泣いてくれて。
声を聞いてくれて。

何事もなかったように部屋に戻っていった土方を見ないようにして、セイは急いで水を汲んだ。またあふれそうになった涙を冷たい水でざぶざぶと洗い流すと、ぱんぱんっと自分の頬を叩いて気合を入れなおした。

「よしっ!」

ぼってりと感じていた瞼も、冷たい水でだいぶ引いたようだ。自分が借りていた小部屋に戻って布団をしまうと副長室に向かう。その途中で起床の太鼓が聞こえた。

「副長。おはようございます」

声をかけて中に入ると、部屋の真ん中に大の字になって横になっている姿が目に入った。文机の上には、昨日セイが渡した手拭が置かれている。
先ほどセイが土方の肩にかけた羽織は部屋の隅にたたまれている。くすっと笑ったセイは、土方の着替えをそろえて頭の脇に並べると、敷き布団だけ片付けて、上掛けを土方にかけた。

「朝餉の支度の前に、もう一度参ります」

そういうと、セイは副長室を後にした。

 

 

昼前に巡察から戻った藤堂は、斉藤を見つけると一緒に副長室へ向かった。

「土方副長、藤堂です。入ります」

いつものように眉間に皺を寄せていた土方が振り返る。

「なんだ」

部屋に入った二人を前に、いつものように聞き返した。

「巡察の途中で横山に会ったんだ」
「横山?」
「ほら、俺が巡察中に斬りかかられた……腕の立つ妙な浪人の話したじゃん」

そういうと、横山が自分達と立会いたいと言ってきたことを告げた。

「そういうことで話をつけたから。やる?やらない?二人が行かないなら俺が行くよ」
「副長。自分は立ち会いたいと思いますが」
「……馬鹿野郎。そんな奴等の話にのっかって新撰組の副長がのこのこ行ってられるか。総司!!」

土方の怒鳴り声を聞きつけた総司が副長室にやってきた。障子を開けた先の面子に不思議そうな顔をしていると土方が面倒くさそうに言った。

「呼びましたか?土方副長」
「例の腕の立つ浪人者が仕事抜きで俺達とやりたいといってきたそうだ。お前行って来い」

たったそれだけの説明ではいくらなんでも話が見えない。まして藤堂が前回巡察で出会った時は、総司は蔵にいて報告も聞いていない。かいつまんで藤堂が説明すると、ようやく総司にも話が飲み込めた。

「いいんですか?私で」
「ああ?」
「せっかく藤堂さんが配慮してくれたのに」
「うるせぇ。斉藤。お前は行って来い」
藤堂と総司は顔を見合わせて、それ以上は何も言わずに、わかりました、と答えた。
副長室を出ると藤堂は原田と永倉を探して、二人にも話をすると一も二もなく、二人も同行する、と言い出した。

「総司と斉藤が負けるとは思わねぇけど、他にも連れてこないとは限らねぇからな」
「おうよ。本命は二人に任せて、俺らは万一、多勢で現れたときのその他大勢の担当な」

二人は豪快に笑い飛ばしながら、刀の手入れをするために道具を持ってきた。

結局のところ、土方のことも斉藤のことも、何が起こったのかはその場にいた者達が口をつぐんでいるために詳細はわからずじまいで、ただ町人を使った襲撃だったのだとだけが事実になっている。
斉藤が捕らえられたことだけは周知になってしまったが、それをどうこう言うものたちはいない。
そして土方については、平隊士達の間で囁かれる密かな噂話をこの二人が次々と叩きのめして潰していっているらしい。

捕らえた福永について問い合わせを受けた長州藩では、その者は藩士ではなく、当方としては預かり知らぬことという返答が返されている。
福永は会津藩預かりのまま、人知れず切腹になり福永の自宅も召し上げになったらしい。りくは縁戚を頼りにしてとうに姿を消していた。

– 続く –