寒月 8

〜はじめの一言〜
斎藤さんがどこまで我慢できるのかが見もの(失礼!)かと!!
BGM: How Soon Is Now

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「何があったのかはわかりません。でも、斎藤先生はかどわかされて薬漬けにされていたのだと思います」

セイが静かに斎藤に答えた。しかし、まだ斎藤には部分部分しか頭には入ってこない。甘い甘い、誘惑の残滓だけが頭を掠め、ひどく痛んだ。
必死に言葉を紡ごうとするが、呂律が回らずにうまく言葉が出てこない。

「どうし……らめ……が……」

げほっと咳がでると、再びセイが口元に吸い飲みを宛がう。今度は貪るようにそれを飲むと、セイが掴んでいた手が逆にセイの手を強く握りこんだ。
ぶるぶると震えるくらい強く握りこまれた手が痛んだが、それよりも、斎藤の額に冷汗が浮かんでいる。

―― 禁断症状だ

がばっと布団から半身だけ身を起こした斎藤が、胸元を押えて斜めに倒れ込んだ。目を閉じても頭の中がおかしな風にぐるぐるとまわる感覚に、強く掴んだセイの手を引き寄せた。
尋常ではない力で斎藤はセイの腕を引きこんで胸元に抱え込もうとした。ぐらっと強くひかれた腕に体勢を崩したセイは、膝ごと動いて斎藤を抱きかかえるような体勢になる。セイの柔らかな匂いに斎藤の意識が飛んだ。

「ひゃぁっ」

斎藤が圧し掛かるようにセイに倒れ込んだところを、強い力が引き戻した。
いつの間にか起きていたのか、セイの脇から滑るようにして斎藤の背後に回り込んだ総司は、斎藤の体を引き戻して床の上に抑えつけた。

歯を食いしばりながら暴れようとする斎藤に、総司の力でも撥ね退けられそうだった。セイは急いで、体を起こすと懐から捕縛縄を取り出した。暴れる斎藤の足に縄をまわして縛り上げると、その端を近くの柱に結わえた。
総司が全力で抑え込んでも、強く噛みしめた口はどうかすると舌を噛み切ってしまうかもしれない。

「神谷さん!斎藤さんに何かかませて!」

慌てたセイは、手拭いを中ほどで噛みちぎると二つに割いて、暴れる斎藤になんとか猿轡をかませた。

「ぐぅぅぅっ!!う、ううう、うう!!!」
「斎藤さん、すみません!!」

力で抑え込んでいても埒が明かないと思ったのか、総司は鳩尾に一発をねじ込んだ。

「ぐふっ!!」

猿轡の口の端からはすでに泡を吹いている。そこに思いきり当て身がわりの一発を見舞ったのだ。相当きつい状態のはずだ。しかし、薬が効いているせいなのか、その痛みすら感じていないように、斎藤は暴れた。

「周りから物を退けて!!」

セイは急いで行燈や桶を布団の周りから離す。しばらくして、暴れ疲れたのか、斎藤はなんとか徐々に大人しくなった。総司は、肩口から体重を乗せるようにして押さえ込んでいた腕を離し、斎藤の顔を覗きこんだ。

「斎藤さん?」
「む……むむ…………」

猿轡の向こうで何かを斎藤が言いかけている。虚ろな目が、離れたところで斎藤を見ているセイと目があった。総司が斎藤の猿轡を外しかけて、セイがそれを止めた。
総司は、そのまま斎藤を押さえ込んでいた腕を離して斎藤から離れた。

替わりにセイがそっと斎藤に近づいた。手拭を絞ったもので、斎藤の顔から首筋を丁寧に拭き清める。猿轡を外して、斎藤の口元に土瓶から薬湯を継ぎ足して、吸い飲みをあてがった。
先ほどよりは、いくらか少なく口に含むと、ぐったりと斎藤は眼を閉じた。

布団の位置をずらして、斎藤の体を足を縛りつけた柱の傍へ寄せた。総司が手を貸して斎藤の体を布団に戻す。総司は咄嗟にセイが縛りつけた足の縄を解いて、もう一度きちんと結びなおした。

「沖田先生」
「次に斎藤さんが暴れた時のために」

セイは、斎藤の乱れた着物を整えると、ほつれた髪をそのままに元結いを解いた。
そのセイの着物を今度は総司が手をのばして整えた。

「あ、すいませんっ」
「いえ、いいんですよ」

二人の間に微妙な空気が流れた。
斎藤は、さっき明らかにセイを襲った。セイだと認識したうえで。

「神谷さん、さっき……」
「すみません、沖田先生がいてくださってよかったです」

遮るようにセイが言うと、それ以上総司は何も言わなかった。セイの気持ちは分からなくても、斎藤の気持ちはわかる。無意識にセイに助けを求めたのだ。

―― 斎藤さんと貴女を二人にしたくなかった

斎藤のためといいながらこんな我儘な自分もいる。
総司は、初めてこの三人だけの蔵の中がひどく辛い空間だということに気がついた。今更だということも分かっているが、あの時はセイだけに負担をかけるのが 嫌だった。自分や土方が寝ていないことは仕方がないし、この状況で誰もが疲れている。自分にできることをしてやりたかったのは本当だ。

総司は、斎藤の傍から離れて、先ほど自分が横になっていたところに戻った。とはいえ、横になっても眠る気にはなれない。

セイは、斎藤の額に冷たく絞った手拭を乗せる。いくらもしないうちに斎藤が薄らと目を開けた。

「兄上?わかりますか?」

セイの呼びかけに、先ほどより少しだけ斎藤の意識が戻る。総司は、すぐに身を起してセイの隣に移動した。

「かみ……」
「はい」
「なぜ……」

斎藤の目がセイだけを捉えている。一瞬、きつく目を閉じた総司はセイの横から斎藤に話しかけた。

「斎藤さん、覚えてますか?何があったのかを」

しかし、総司が呼びかけても斎藤にはその声が聞こえていないのか、視線はセイから外れない。セイは再び斎藤に近づこうとして、その手を総司に止められた。
先ほどのように暴れては、と思ったらしい。だが、セイは首を横に振って総司の手を離した。

「兄上、薬が抜けるまでお辛いと思いますが、この数日が初めの山だと思います。後は薄れて行くだけですから頑張ってください!」
「う……、薬……?」
「ええ、そうです」

斎藤の中で、薬という言葉が逡巡する。
薬と女と……。

かっと眼を見開いた斎藤が半身を起した。今度こそ、斎藤の意識は己の置かれた状況を正確に理解し、その様に歯噛みして、混濁の中へ引き込もうとする己の中の力に逆らった。

「斎藤さん?」
「沖田さんか……ということは、ここは屯所か?俺はいつ戻った」
「昨夜です。門前に放り出されていました」

半身を起こし、掛け布団を握りしめた斎藤にセイが答えた。
斎藤は、頭を押えて記憶を呼び戻そうと必死に頭を巡らせた。

火事騒ぎがあった。三番隊は出動し、一段落したところで、自分は屯所へ戻ろうとした。

セイと総司は顔を見合せて、斎藤の反応を待った。斎藤が記憶を呼び戻そうとしていることはわかるだけに邪魔をしないようにじっと見守る。

「火事騒ぎ、があった……。出動して、終わって……誰かが……」
「誰かがどうしたんです?斎藤さん?」
「あ……ぅ……誰かが……俺を……、俺に、呼んだ」
「誰に呼ばれましたか?」

少しずつ、先ほど気力で押しのけたものがこみあげてくる。いてもたってもいられないほどに、体の自由を奪い、こみあげてくるものに、斎藤は必死で自分の体を抱き締めるようにして、抑え込もうとした。
目の前がぐらりと歪んでどこが天地かわからなくなる。

「がはっ……」

飲ませた薬湯がせり上がる吐き気とともに喉元にこみ上げてくる。胃液と混ざり合ったその味に耐えきれず、ごぼっと布団の上に吐き出した。一度吐き出してしまえば、次々と吐き気がこみあげて、胃の腑ごと吐き出してしまいそうな感覚が襲う。
はっと手を差し出したセイは、斎藤が戻したものを受け止めようとして、総司に払いのけられた。総司は斎藤が吐くに任せて、蔵の入口に向かった。強く強く引き戸を叩くとすぐに重い扉が開けられて隊士が顔を覗かせた。

「どうされました?」
「桶を2つと、手拭いを幾枚か用意してください」
「わかりました」

外にいた隊士に指示を出すと、水を張っていた桶に手拭を浸し、斎藤が戻した後を拭った。すぐに桶が汚れていく。引き戸の前で隊士が用意ができたと声をかけてきた。総司は汚れた桶を代わりに渡して新しい桶と手拭を受取ってすぐに引き戸を閉めた。

 

– 続く –