寒月 9

〜はじめの一言〜
次は直接攻撃かな。周りから攻めていく感じですかね。蔵の中の三人はまだどんよりしてます。
BGM: 目眩
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「元締、そろそろ斎藤先生が苦しんではる頃やろなぁ」
「ほっほっ。お才、おまえにずいぶん可愛がられたようやから今頃地獄の一丁目を彷徨うてはるやろ」
「いややわ。元締がいわはったのに、いけずいわんといてくださいな」

行儀悪く、床に寝そべったまま万右衛門は煙草を吸っていた。その隣に同じく寝そべったお才は万右衛門の肩口にべったりとしなだれかかっている。

部屋の中は火鉢も置いていないのに、蒸し暑く、むっとするくらいの男女の匂いが立ち込めている。起き上がった万右衛門は煙管から火を落とすと、煙草盆の上に投げ出して胡坐をかいた。

「さあて。次の仕掛けにかかるとしよか」
「元締?」
「せやなぁ。次はじわりじわりと周りを取り囲むもんに消えてもらおか」

そういうと、喜助が調べたあれこれをとりだして仕掛けの目標を決めはじめた。

 

 

屯所にいた原田の元に、至急だといって文が届けられた。
屯所に留め置きになっていた原田が文を受け取ると顔色が変わった。急いで副長室に向かうと、土方の元に文を握りしめたまま、声をかけた。

「土方さん、いるか」
「おう。原田か?」

障子を開くと、難しい顔で文机に向かっていた土方が顔を上げた。原田が個人的に副長室に現れるということは少ない。何かあった、とすぐに顔を上げた土方の前にずいっと原田はまさが書き送ってきた文を差し出した。

「なんだ?」
「おまさの実家の小女が襲われた。嬲られた揚句に、胸元を短刀で一突きだ」

おまさの文は、女ながら苗字帯刀御免の家柄だけあって、達筆なものだった。そのおまさが震える手で書き送ってきたものには、原田が言っ たように、朝から使いに出たきり戻らない下働きの娘が、原田の家のすぐ近所の道端で発見された、ということだった。その姿はむごく調べにきた町方のもの も、目をそむけるほどの嬲られようで、しかも胸に突き立てられていた白鞘の短刀には“新撰組 怨”とかかれていたという。

「原田、今すぐ家に向かえ」
「すまねぇ。土方さん、おまさはこのまま実家に連れて行って預けてくる」
「ああ。身の回りに十分に注意するようにおまささんの実家の者にも厳しく伝えてくれ」
「……わかった」

原田はすぐに立ちあがって屯所から飛び出して行ったが、土方以上に辛いところだろう。望んで町人の娘を嫁にもらったものの、こんな風にその実家の身辺に害が及ぶことは、原田も思っていなかっただろう。
いずれことが落ち着いたら、土方が詫びに出向かねばならないと思った。

―― 斎藤のかどわかしの次はこれか

後は妾宅を囲っている者は、近藤と伊東、そしてセイである。土方はすぐに平隊士を呼んだ。それぞれ近藤と伊東の妾宅には護衛を送り、お里の元へは迎えを送った。そのまま正一とともにすぐに八木家に預かってもらうように文を書いて持たせたのだ。

しかし、それでは不足かもしれない。身内を近くに置いている者達は十分に警戒するようにふれを回した。

 

蔵の中では、混沌が広がっていた。

斎藤が戻したものをきれいにして、再び斎藤を横にならせようとした総司は、斎藤の手によって投げ飛ばされた。受け身を取るにも、狭い蔵の中である。したたかに背中を打ちつけた。
人の動きとは思えない程の素早さで斎藤はセイを引き寄せて膝立ちのまま、組み敷いた。

「あっ!……さい……」

セイの体に半身を載せるようにして押さえ込んだ斎藤がセイの首を思いきり絞めた。今の斎藤の中では、幻覚の中のお才がセイで、セイがお才になっている。

「っ……」

セイの細い首など一息にへし折ってしまいそうなくらいの力で斎藤は締め上げた。セイの顔が赤黒くなり、息ができずに斎藤の手を掴んだ。

「神谷さん!」

総司がはね起きて斎藤に飛びかかった。今の斎藤は斎藤であって斎藤ではない。飛びかかった総司が斎藤の腕を掴んで、手を放させようとしてもびくともしない力に、思いきり斎藤の顔を殴りつけた。
その衝撃に緩んだ手からセイが逃れた。

「ごほっ、ごほっごほっ、うぐっ」

仰け反るようにして斎藤の手から逃れたセイは、空気を求めて咳き込むと、その苦しさから今度はのど元までこみあげてきたものに、口を押さえた。
総司は殴りつけた斎藤が、自分を見ていないことにすぐ気づいた。殴りつけたのにその眼は総司を見てはおらず、セイを追いかけている。苦しむセイに伸ばされた手を総司は押さえ込んだ。

「斎藤さん!!」
「違うっ、駄目だ」

まだこみ上げるものと、喉の痛みと息の戻った苦しみに咳き込みかけたセイの足を斎藤が掴んだ。何を止めたいのか、セイの足を押えようとする斎藤に、総司は後ろから抱きつくようにして腕ごと押さえ込んだ。
力と力のぶつけ合いに総司の方が負けそうになる。

「ぐっ……斎藤、先生っ」

セイの切れ切れの呼びかけにびくっと斎藤の体が止まった。
必死で記憶と現実との間で斎藤の意識が戦っていて、かろうじて意識の方が強かったらしい。ぎりぎりと自分の意志とは違う動きをする体を押さえ込んだ斎藤が、伸ばした手を引いて、布団の端をきつく握りしめた。
総司は、斎藤の動きに少しずつ押さえ込む力を弱めて行く。
元結いを切ってあるので、ばさりと広がった髪と伸びかけの月代や伸びてきたひげが、斎藤ではなく全く違う人物のようだ。

「神谷、か?」

どちらに向けて、何を問いかけているのか、量りかねる問いかけが斎藤から洩れた。

 

お前は神谷なのか。
本当にあれはお前だったのか。
ここにいるお前と幻惑の中のお前のどちらが本物だと。
自分が首を絞めたのはお前なのかと。

 

「……清三郎」

がくりとそれきり倒れ込んだ斎藤は意識をなくしていた。
ほう、と息を吐いて、総司は手を離して斎藤の体をそのまま横にした。すぐにセイの傍に行き、こちらも倒れ込んでいる所に膝をついてセイの顔を覗き込んだ。
まだ苦しそうなものの、なんとか息も戻ったらしいセイに安心したのか、総司は立ち上がった。先ほど斎藤の戻したものを拭き清めたのと同じように、手拭を持ってきて床を拭き清めた。
そして、別な手拭を手にすると、新しい水で湿らせて、セイの口元を優しく拭った。

「……げほっ、すみま、せん」

総司は黙ってセイが首にあてていた手をどけさせた。蔵の中の薄灯りの中とはいえ、はっきりと色が変わっている。

「しばらく、痛みますよ。それ」
「……え?……ああ、はい」

セイは一瞬、何について云われたのかわからなかった。首の斎藤に絞められた場所を言われたのだと分かって、ぼんやりと答えた。
セイにとっては、首を絞められたことより、自分をめがけていたことが痛かった。薬によるものだとわかってはいても、日頃から斎藤がそんな風に思っていたから、セイを殺したいくらいの嫌悪がこうしてでてきたのではないか。

がたん。

ちょうどそこに蔵の扉が外から開けられた。引き戸の前で隊士が声をかけてきた。

「沖田先生、昼餉をご用意しましたが」
「ああ、ありがとうございます。ちょうどいいので、神谷さん、交代で一度外に出ましょう。貴女は先にでて、この桶と手拭を洗ってきてくれますか?」
「あ、はい」
「そうしたら、私も一度外に出ます」

総司に促されて、セイは汚れた桶を持って外に出た。呼びにきた隊士は、セイと総司の朝の膳を一緒に下げて行った。

 

– 続く –

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