寒月 10

〜はじめの一言〜
間があいたので、がんばって2話行きます。
BGM:T.M.Revolution  Imaginary Ark
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外に出たセイは、すぐに井戸端へ向かって汚れた桶と手拭を洗った。この分なら、また綺麗な水を汲んで持ち込むべきだろう。準備をすませると、セイは用意された自分の分の昼餉を握り飯にしてもらって、中に持ち込むことにした。
つい先ほど首を絞められた後だけに、今すぐにはとても食べられるものではない。

月代の伸びた斎藤のために、元結を手にしたものの、剃刀を持ち込むわけにはいかない。せめて櫛と元結を懐にいれると、新しく薬が届いたか病室に見に行った。眠り薬と届いていた南部医師からの追加の薬を手にすると、機械的に体が動く。

厠に立ち寄ってから、蔵の前に近づいたところで、セイの足が止まった。

先ほど、思いきり首を絞められたことが頭から離れない。

―― 怖い

斎藤が、普段押し殺していた感情が表に出て行動を左右するのが今の状態だ。禁断症状といっても薬を求めているのと同時に、普段抑え込んでいる感情が吹き出すのだ。
セイは斎藤のそれを自分が見てはいけない気がしていた。武士の心の内にまるで土足で踏み込んでいくようで、そして、自分に向けられたものが憎しみだったらどうしよう、という気持ちが足を止めていた。

斎藤の真剣な心の内にまさかに自分がいるとは思いもよらないセイである。

 

しかし、それを的確に感じていたものがいなかったわけではない。
総司は斎藤の苦しそうに閉じられた瞼の裏にあるものを感じ取っていた。

おそらく斎藤にとっての鍵は、セイと『斎藤先生』という言葉だろう。それを使って暗示に掛けられたか何かしたのかもしれない。それがセイを襲うことなのか、セイを止めることなのかはわからないが先ほどの様子を見ていればそのどちらかなのだろう。

斎藤の枕元で片膝を抱えた総司は拳を握りしめた。

「斎藤さん…私は、貴方が好きですよ。格好いいと尊敬してます。でも…」

―― もし。もし、私の大事な誰かを傷つけるなら、貴方だとて斬る

できればそうなってほしくない。自分にはできても、あの子は間違いなく自分を責めて、悔やんで、泣くだろうから。

「だから、斎藤さん。頑張ってください……。どうか、お願いします」

意識のない斎藤に向かって、総司は呟いた。この男が、そんなことを自分自身に許すとは、到底思えなかっただけに、よほど強い暗示なのか、薬なのか。
斎藤の足を縛っていた縄を、もう一度解いて、傷つけないように、着物越しにしっかりと縛り付けた。

蔵の中を片付けて、行燈は危険なので中二階の階段の上にあげてしまった。布団をひと組中二階へ上げて、先ほどまで自分が横になっていた布団は畳んだ。

ふと蔵の外に目を向けると、セイが懐を強く掴むようにして蔵の前に立ち尽くし、中に入れないでいる。
総司は、わざと明るい声をだした。

「はぁ~お腹すいてきちゃいましたね、斎藤さん」
「……うう、む……」

意識はないものの、やけに明るい総司の声に斎藤が微かに唸った。
引き戸越しに聞こえた声に、セイははっと顔を上げた。そして自分を奮い立たせるように片手には薬、片手には水の入った桶を持って蔵の中を目指した。

「お待たせしました!沖田先生。さあ、先生の番ですよ」
「神谷さん!待ってましたよ~。お腹はすいてくるし、厠にはいきたくなるし……回復したら、斎藤さんに何かおいしいものでも御馳走してもらいましょうね!」
「それを聞いたら、斎藤先生、死に物狂いいでさっさと回復しそうですね」
「でしょう?」

外から引き戸をあけて、セイが中に入ると、総司が桶を受け取ってくれた。土瓶の中にセイは薬を足しこむ。
斎藤から火鉢を離して、新しく土瓶に湯を継ぎ足すと、総司が見計らって声をかけた。

「さ、神谷さんは上へ」
「はい?」
「私がいない間はどれだけ斎藤先生が苦しんでも騒いでも、暴れても、上に上がっていなさい」
「そんなわけにいきません!」
「いいえ、禁断症状で暴れているだけなら貴女が傍にいても一緒でしょう?だから下にいては駄目です」
「沖田先生、さっきのことならもう大丈夫ですから!」
「いえ、神谷さん。これは神谷さんのためじゃない。斎藤さんのためにです。貴女に何かしでかして斎藤さんが後で深く後悔するのなんかまっぴらですから」

強く言われて、渋々セイは頷いた。それだけでは信用がないのか、セイがしっかりと中二階へ上がるまで、総司は外に出ようとはしなかった。

上にセイが上がってから、斎藤の様子をみて総司は蔵の表にいた隊士に声をかけた。外からあけてもらうと、自分がいない間にもし斎藤が暴れ出したら、すぐに自分を呼びに来るように頼んだ。
自分は副長室にいるから、と。

厠に寄ってから、副長室へ向かうと土方の機嫌がひどく悪い。

「なにかありましたか?土方さん」
「おめぇこそなんだ。まだようやく半日ってとこじゃねぇか」
「ええ、まあ。斎藤さんほどの人ですからよほど強い薬なのか、暗示でも掛けられたのか」
「本当に、薬とやらは抜けるのか?」
「……わかりません。ただ、やはり神谷さん一人では無理ですので私はしばらく蔵にかかりきりになります」

ふーっと深く土方はため息をついた。先ほどの原田の話は今はすべきではない。総司を追いだす様に軽く手を振った。

「分かったから早く行け。何かあればすぐに誰かを呼べよ」
「ええ、わかってます。土方さんもそうしてくださいね」
「お前だけは呼ばねぇ」
「冷たいなぁ」

副長室から出ると、再び蔵の前に戻った。昼餉などすっかり忘れきった総司に隊士が駆けてきて、セイと同じように弁当にした昼を手渡した。セイが置き忘れた分もきちんと重ねて総司の手に乗せる。

「沖田先生!ちゃんと召し上がってくださいね。神谷もですけど」
「ありがとう。何かあったら土方さんがなんと言ったとしても私にも教えてくださいね」
「あ……ええ、わかりました」

蔵の前に行くと、蔵の前にいた隊士が心配そうに中を覗き込んでいる。

「どうしました?」
「あ、沖田先生……、あのっ……」

はっと隊士を押しのけて引き戸を開けた。先ほどまで傍についていたらしいセイは、階段の中ほどまで逃れていた。斎藤が唸り声をあげてセイの方へ手を差し伸べている。

「神谷さんっ」

中に入り斎藤とセイの間に割って入った総司は、斎藤の目に、徐々に戻りつつある斎藤の意識を見た気がした。じりじりした苦悶の時間が過ぎると、外にいる隊士にも片手を上げた。

「……大丈夫ですか?神谷さん」
「は……い。すみません」

ゆっくりと階段を降りたセイは、総司が放り出した弁当を拾いあげて、棚の上に置いた。
斎藤の傍に行くと、きれいにしてきた手拭で斎藤の汗にまみれた顔や首元を拭い始めた。今度は斎藤も意識があるらしい。

「……清三郎、すまんが……、水をくれるか」

セイが吸い飲みに土瓶の薬を注ぐと、温い薬湯を斎藤の口元にあてがった。唇に触れた温度で、それが水ではないことがわかったが、斎藤は何も言わずにそれを口に含んだ。

「斎藤さん、わかりますか?」
「沖田さんか。面倒をかけてすまん」

ようやく斎藤が総司を目に入れたのをどこか総司もほっとしたように、安堵の息をつくと斎藤の傍に膝をついた。
ゆっくりと半身を起した斎藤が総司に向かって口を開いた。

「斎藤さん」
「沖田さん、頼みがある」
「なんでしょう?」

一言しゃべるごとに気力を使うのだろう。総司は斎藤が次の言葉を口にするまで黙って待った。セイは、二人の会話を邪魔しないよう、拭き清めた手拭を置いた。

「薬が抜けるまで、俺をここに一人にしてくれ」

半身を起した斎藤後にまわって、乱れた髪を梳きはじめていたセイは、驚いて、その手が止まった。

「斎藤先生!それは駄目です」

―― 斎藤先生……

「……うっ……くっ……呼ぶな、俺を……」
「斎藤さん!」

こみ上げるものを抑えて、斎藤が身を捩った。総司がすっと斎藤の体からセイを遠ざける。やはり、『斎藤先生』というセイの呼びかけが何かのきっかけになっているらしい。

 

 

– 続く –