大人のシルシ 8

〜はじめの一言〜
先生、今時だと十台の小僧のような。。。。(苦笑

BGM:
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「……いた……」

総司が部屋を出て行って、その間に起き上がろうとしたセイは下腹部に走った痛みに顔をしかめた。

セイも知識ならある。だが、まさかこんなに恥ずかしくて、痛いとは思っていなかった。乱れた裾を直そうとして自分の足についた血の跡に初めて気付く。

「あ、あ、どうしよ」

頭と知識が全くつながらない。慌てたセイが周りを汚していないか周りを見ようと起き上がった瞬間、体の中から流れてくる感覚にびくっと動きを止めた。
初めての感覚に動揺したセイが、中腰でおろおろとしているところにさらりと襖が開いて総司が戻ってきた。

「あ、きゃっ!」
「すみません。あの、どうしたらいいのかわからなかったんですが、とりあえず、湯をいただいてきたので……」

部屋に現れた総司に驚いて、背を向けたセイに向かって気まずそうに総司が声をかけた。
とりあえず、自分は厠に立ったので身仕舞は済ませてあるが、セイはまだ襦袢姿である。セイの傍に湯の入った桶を置くと、部屋の中を見回して、ほかにはどうしようもないことを悟ると、壁に向かって腰を下ろした。

「私は、こうして背を向けてますから、落ち着いて、ゆっくり支度をしてください」
「は、はいっ!ありがとうございます!」

恐る恐る、ゆっくりと振り返ったセイは、総司が背を向けていることを確かめると、ほう、と肩から力を抜いた。先程、長着を脱ぎ散らしたあたり一抱え、着物らを取り上げると部屋の隅の方へと運んだ。

一体いつの間に総司が長着を羽織っていったのかと思いながら、肩に長着を引っ掛けると、その陰で晒を締め直した。とにかく、身支度をしなければと言う焦りの方が先で、締めてから湯を思い出す。

「……あ。もう、いいや……」

小さく呟くと、帯の間から懐に挟んでいた手拭いを探し出すと、湯の中にそっとつけて絞る。ちらっと背後の総司を振り返りながら、手早く身を清めると、まだ鈍い痛みを感じながら下帯を身に着けた。
きちんと着物を身につけ直すと、手櫛で髪を整え直す。

「すみません!お待たせいたしました」

とにかく、総司に気を使わせているのが申し訳なくて、座り直したセイが恥ずかしさに俯いたまま頭を下げた。一呼吸置いてから、振り返って座り直した総司は、セイの姿を見てすっと立ち上がった。

ひた、ひたと、畳を歩く足が見えて、セイの背後に総司が回った事だけはわかる。えっと思ったセイが顔を上げかけたところに、そっと髪の生え際に総司の手が触れた。

「神谷さんの髪は、私と違ってさらさらですからきちんとしないと」

根付を使っていい加減に結い上げていたセイの髪を総司がきちんと結い直した。襟足の髪を何度も手で撫で上げると、その細い肩から離れがたい気がする。

「神谷さん」
「……はい」

どき、と顔をあげられないセイが、震える声で応えた。
そんなセイの髪を何度も結い上げているのに、優しく総司の手が撫でつける。

「……ずっと、子供だと思い込もうとしていました。そうすることで、私の中の想いに蓋をしておけるならと。でも、貴女はもう大人で、立派な隊士として私の傍にいてくれるだけじゃなくて、なくてはならない人になっていたんです」

ゆるく穏やかに一言ずつ総司の言葉が落ちてくる。今となってはもっと早く伝えるべきだったと思う。夢中になってただ流されたわけではないと、ちゃんと伝えたかった。

「順番が逆になってしまった気がしますが……。神谷さん。大好きですよ」

話を聞いている間にセイの目から涙があふれ出す。自分が泣いていることも気が付かなかったが、何をどうしていいのかわからない。総司が受け止めてくれたとしても、それが自分の想いを受け止めて愛おしんでくれるとは思っていなかったのだ。

嫌われてはいないなら、受け止めてくれるだけで十分で。
思い出をもらえればそれでよかった。

「私が、普通の男としての責任をとれるかと言われたら、それは応えられないかもしれませんが、それでも私はあなたが好きで、ほかの誰にも渡したくありません」
「……はい」

黙って聞いているセイの表情が見えなくて、沈黙が怖かったが、小さく応えたセイの声が湿っていることに気づいた総司がセイの顔を覗き込んだ。

「えっ、ちょっ、神谷さん?!」
「はい……」
「はいって……。泣いてるじゃないですか」
「はい」

ぼろぼろと泣いているセイにおろおろしている総司に向かって、ぎゅっとセイが抱きついた。

「ひぃっく……」
「神谷さん……。どうして泣くんですよう」

胸元でふるふると頭を振ったセイをぎゅっと抱きしめると、しばらくセイが落ち着くまで待つ。震える背中を撫でていると、徐々に落ち着いてくるのがわかる。

「神谷さん……。大好きだから、貴女に泣かれるとどうしていいのかわからなくて困るんです」

―― だから笑ってください

ひどく困りきった、情けない声を聞いたセイが、ぷっと吹き出した。

「ひど……。いきなり笑えって言われても笑えませんよ。もう……」
「よかった。だって、神谷さんがいきなり泣き出すから、どうしていいか……」

真っ赤に泣きはらした目でセイが総司を見上げた。決して責任を取ってほしいなど、考えていなかったセイに精一杯、誠実に応えようとしてくれる。そんな不器用な総司がやはり大好きだと思う。

「先生……。これからも、先生を大好きでいいですか?ただ、お傍にいられればいいんです。決して大それた夢なんて見ません。今まで通り、先生のお傍にいて、一緒に戦ったり、笑ったりして、毎日を過ごせたらそれで十分なんです」
「神谷さん……」

ふわあっと自分の方が笑顔になった総司は無欲なセイの願いに、ぎゅっとセイを抱きしめた。
本当は、嫁にしたいくらいだと思っているのは自分の方で、誰にも見せずに大事にしまいこんで起きたくらいなのは総司の方なのだ。

一度、この腕に抱いてしまえば手放すことなどもう考えられない。

―― 強欲なのは私の方ですよ

「いいも悪いもありません。私の方こそ、貴女が私の傍を離れることを許せそうにありませんから」

ぎゅっと、総司の着物を掴んでいたセイの手に力が籠って、まだ夢のような今を確かめる様に強く握りしめる。にこりと笑った総司が悪戯っぽく最後に付け加えた。

「何かが急にかわるなんてできませんけど、どうか、こうして……。時々でいいので、二人きりで過ごせたら嬉しいんですけど、……いいですか?」

ひどく、不安そうに問いかけた総司に、セイがぷうっと頬を膨らませた。そんなことは聞かれるまでもない。総司の胸に手を突っ張ったセイが、口を尖らせた。

「私が駄目って言えるわけないじゃないですか。そんなの……」

今度はぷっと総司の方が吹きだす。互いに笑い出して、ぎゅっと互いの体を抱きしめあった二人は、帰りましょうか、という総司の手に手を重ねる。

ぎこちなく歩くセイの姿に、時折照れくさそうな顔を見せる総司と共に店を出ると、セイは屯所へと歩き出した。総司の手を引っ張って、喉をからからにさせながら来た時と、景色さえ違うように見える。

「神谷さん」
「はい。先生」
「今度はぜんざい、食べに行きましょうね」

頷くセイの横顔がまぶしく見えて、総司は目を細めた。
手の中には互いの手を、そして胸の内には互いの心を抱いて。

目には見えないけれど、確かに今そこにある。大人のシルシ。

 

– 終わり –