誇りの色 21

〜はじめの一言〜
先生は非常に真面目さんなのでお仕事に励むのです

BGM:
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散々、妓達を嬲りつくした又四郎と春蔵はそれぞれに湯を使うと、部屋へ膳を運ぶように言いつけた。店にはたんまりと金をはずんである。お松もお妙も上客にありついたと思っていた。

金払いもよい上に、二人とも妓あしらいに長けていて、男達が満足するまでに、何度も追い上げられてくたくたになっているが、十分に楽しませてもらっているだけに、不満はなかった。

「怪我の具合はどうだ?」
「怪我の内には入らねぇ。聞こえていただろ?」

二つの部屋は襖をあけ放っていて、妓達は湯を使いに行っている。二人はゆっくりと酒を飲みながら腹を満たしていた。
遊ぶだけ遊び、よほど腹が空いているらしく、あっという間に膳の上の飯を平らげて、今は追加を頼んでいるところだ。

「聞きたくもなかったが、聞かされたと言うべきだな。お前は妓を派手に啼かせすぎる」
「よく言うぜ。お前なんか、休みなく朝まで運動した挙句に、寝起きでまただろ?よほど、屈託が溜まっていたと見える」

屈託と言えば又四郎も同じだった。

腕には覚えがある。誰を相手にしても負けるなどあり得ない。当然のごとく、負けはすなわち、即、死につながるからだ。しかし、あの時対峙した二人は初めて又四郎と春蔵を手負いにして退けた。

「あの二人……斉藤と小僧は知らんが、後から現れたのは沖田総司だろう。やはり並の使い手ではない」

ずずっと酒をすすりこんだ又四郎の目が暗い色に染まる。

「やるか。あの二人」

隠れ家はすでに奴らに知られているだろうから、こうして居続けを決め込んでいるわけだが、斉藤と総司を誘い込むなら隠れ家に戻ればいい。

あえて語らずとも春蔵にはその意思が伝わる。
このまま逃すことなど、もちろん考えていなかった。

空っぽになった茶碗をかん、と箸で弾いた又四郎の杯に春蔵が酒を注ぐ。

「まずはお前の傷が癒えるのを待つ」
「大丈夫だぜ?俺は」
「駄目だ。僅かでも判断を鈍らせるような何かを抱えて奴らを倒せるわけがない。二、三日様子を見る」

断定的に告げた春蔵に、珍しく又四郎は不快さを露わにした。これまで二人組でやってきて、どちらが上でも下でもない。その時に応じて対等にしてきた二人だったが、春蔵の命令口調が癇に障る。

「……俺は大丈夫だって言ってんだろ。それより、お前こそ、親父さんの顔でも見て来いよ。何があってもいいようにな」

ぎろ、と春蔵が睨み返す番だった。癪に障った又四郎の意趣返しに、不快さだけではなく、怒りを滲ませる。

「余計なことを……」

残っていた酒を飲みほした春蔵は、杯を膳に放り出すと春蔵は立ち上がった。長着の裾を払って又四郎を振り返る。

「気に障ったなら謝ろう。だが、二、三日はここから出るな」

そう言い置いて、春蔵は部屋を出て行く。
春蔵の触れてはいけない場所に触れたのは確かだが、又四郎の指摘は当たっていた。外出すると言って店を出た春蔵は、腕を組んで袖口に腕を差し入れたまま、陰鬱な顔で歩いていく。

町屋ではなく、市中でも貧しい者達が住む長屋のあたりまで来ると、一度足を止める。足元のどぶ板も今にも崩れそうな汚い長屋も、京の中では珍しいとはいえ、いかにも貧しい者達が住むあたりである。

再び歩き出した春蔵は、もっとも荒んだ長屋の一つに足を向けた。

一番奥から二つ目の、もはや戸とは言えないような物を押し開いた春蔵は、鼻をつくような異臭に顔をしかめながら薄暗い中へと踏み込んだ。

「……誰だ」
「私です。父上」
「春蔵か……」

しわがれた、張りもない声にも関わらず、尊大に相手を誰何する物言いが春蔵は嫌いだった。義母を斬り殺した後、傾いた家は見る見るうちに困窮を極め、一人長屋住まいまで身を落とした父を時折、春蔵は訪ねていた。

病ではない。ただ、その日の一度の飯さえ困るほど困窮した父の元を訪れるたび、いくばくかの金を置いていくがそんなものは焼け石に水だ。
それ故、やせ細り、今にも死に絶えそうなくせに、未だに昔の身分と思想のままに夢を見ている父のことが春蔵は嫌いだった。

「どうだ。同士は集まっているか」

いつまでも、同士を集め、尊王攘夷派として幕府にはむかう集団を作っていると信じて疑わない父を見る春蔵の顔は暗くてよく見えはしない。

ただ、一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。

夢を見るのは、見る資格があるものだけだ。そして、大きなものに立ち向かい世の中を変えるなど、できるものはほんの一握りに過ぎない。
剣の腕ごときで世の中が変わるなら今頃、戦国の世に戻っているはずだ。

―― そんなこともわからなくなったくせに、何を偉そうなことを……

懐からちゃり、と小判を二枚ほど手にした春蔵は懐紙に乗せて小判を差し出した。畳というより、筵というほうが正しい、床の上に置かれた懐紙を見て、驚くほど素早くしわくちゃの手が伸びてくる。

「いつもすまんな。だが、これも武士として当然の事。お前は森家の主なのだ。家長が年配の者を労わるのも当たり前。それよりも早く朗報をもってはこぬか」
「申し訳もござらん。されど父上。此度は少し長い旅に出ることになりそうなので、ご挨拶に参ったのでございます。手練れの者をもう少し集めるべく諸国を回り、腕の強いものを集めてこようかと思った次第にて……」
「そうか。それはよいことだ。うむ。わしの事は構わんでよい。腕の立つ者達を選りすぐってくるのだぞ」

少しも喜んでいないのは歴然としていたが、口先だけでそういうと、よろよろとふらつく体をおして、ぶるぶると震える手が粗末な手文庫から色の変わり果てた文を掴む。
端は擦り切れて、ところどころ染みのついた文を春蔵へと差し出す。

「これは、わしが世話をした各地の知人の者達の名がかかれておる。これを持っていけば何かの役に立つだろう」
「……ありがとうございます。父上」
「……よし。お前はわしが育てただけはある。わしの薫陶を受けたお前なら」

―― 薫陶?誰がだ。……虫唾が走る

立ったままで父親を見下ろしている春蔵の周りをうるさく飛び回る小蠅も不愉快さを増すだけだ。

「父上。もはやこれまで」
「春蔵。お前は……!」

何の感慨もなく片手をふるった春蔵の手には刀が握られていた。ともすれば刀の方が重いかもしれないくらい、軽くなった父の体を春蔵の刀が深々と貫く。すぐに引き抜いた刀を振るうと、近くに引っかかっていた雑巾のような手拭いで刀を拭った。

声も上げずに目をむいて、何か言いたげな顔をした父親の亡骸をそのままにして春蔵は長屋を後にした。

 

– 続く –