誇りの色 22

~はじめの一言~
無頼に戦うしか生きられない人も多かったんでしょうねぇ。

BGM:
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顔も見たくないほど大嫌いな父ではあったが、春蔵が今まで面倒を見てきたのは、骨の髄まで叩き込まれた思想でも何でもない。ただ、血肉をわけたという憐みだけだった。

今にして思えば、母も母なら父も父で、どちらも春蔵のことなど、役に立つ者、程度にしか見ていなかった。それは幼いころから感じてはいたが、家を出るまでは父だけは尊敬していた。

だが、家を出て、母を斬り殺した後くらいから春蔵の中で何かが変わり始める。

父のいう世界がすべてだと思っていたが、世の中広く、おおよそ父の語る理想など鼻紙にも劣るものだと知った春蔵にとって、心の奥底に今も根付いている尊王攘夷の思想も、疎ましいものでしかない。

世の中、無頼の浪人にできることなどたかが知れているのだ。

―― 無役でなんのつても持たぬ父や俺などができることなど、せいぜいが、辻斬りや揺すりたかりがいいところだ

そう思うようになってからは、又四郎と共に、攘夷を叫ぶ浪人たちや、素性を隠して企てを行う藩士達の援助に回るようになった。うまくいけばよし、うまくいかなくても春蔵達には実害はない。
又四郎は、そんな春蔵が嫌々ながらも父を捨てきれないことを折りに触れて揶揄してきた。それももう終わる。

己が死んだら、父がどうなるか、と常に頭の片隅に居座っていた懸念も取り除くことができた今、これ以上はないという強敵に立ち向かうための支度は整った。
相手は新撰組の名の知れた組長格だ。彼らを倒すことができれば、尊王攘夷派に対しては大きな成果になる。

長屋から又四郎と泊っている店まで戻るつもりだった春蔵は腕を組みながら暗い気持ちを抱えて、いつの間にか市中を歩き回っていた。
今にも雪が落ちてきそうな空模様の下、あの時立ち向かった斉藤と総司の姿を脳裏に描く。隙はなく、剣術の道場だけではなく、実践で磨かれた動きを何度も思い浮かべた。

頭の中だけで立ち会っているはずだが、春蔵の全身から発する不気味な気配を感じた人々が次々と道をあけていく。人通りの少ない、武家の屋敷が並ぶあたりへと足を向けた春蔵は、しばらく歩くうちに見回り組か、町方の役人らしき武士を見つけた。

目の前の突き当りの道を横切る様に行く姿を追いかけて春蔵は走り出した。

「……?!何者!」

駆け寄る足音に振り返った相手が駆け寄ってくる春蔵の様子にすぐさま柄に手をかけて身構えた。
相手の目には駆け寄ってくる鬼気迫る形相の春蔵の顔と、その目の前をきらりと光る何かが映ったところで終わったに違いない。相手の目の前に走り込んだ春蔵は、父を殺したばかりの刀で相手を袈裟懸けに斬り倒した。

着物や肉を断ち切る音など一瞬のことで、どさりと崩れ落ちた相手の袖口を引っ張ると、刀を拭った。乾きかけていた父の血も今度はきれいに拭い去られ、僅かに残る血曇りを不快そうにちらりと見た春蔵は、刀を収めた。

又四郎の怪我の事もある。再び、店屋が立ち並ぶ通りへと足を向けると、目についた武具商の暖簾をくぐった。

「おいでやす」
「すまぬ。初見だが、この刀を頼みたい」

見るからに無頼の浪人という春蔵に、主人は顔色一つ変えなかったが内心はまたかと思っている。商いだけに、ある程度は目を瞑るがこうした客がここ数年、非常に増えていた。それをうまく使って店の方でも色々な情報を得てはいるが、それも相手次第である。

身なりはそれほどひどくない春蔵だったが、全身から吹き出す気配がよくなかった。

ことりと目の前に置かれた大刀を前に、やんわりと手をついて頭を下げた。

「申し訳ございません。生憎と、立て込んでおりまして初見のお客様の仕事はご遠慮させていただいております」

春蔵達のような浪人達は刀がなければ、得意のゆすりたかりもできないと踏んでの断りである。彼らは多少の不調なら金もないことだし我慢してしまう。春蔵も、その手の手合いだと思った主人は懐から懐紙にくるんだ金を差し出そうとした。

名目はこれからほかの武具商をあたる手数を詫びるためのものだ。

「お武家様にもご事情がおありかと存じますが、手前どもも職人の数が限られております。今回はこれでほかの店をあたってくださいまし」

すすっと差し出した懐紙の中で、小判がちゃり、と音をさせた。こういう時は金をけちるような真似はしない。相手が相手だけに店で暴れられたり、仲間を連れてこられても困るからだ。

だが、春蔵は懐紙の包みには手も触れずにずいっと刀を押し出した。

「これから店を探すのも手間だ。急ぎでみてはくれぬか」
「急ぎと申されましても、磨ぎにはどれほど早く見積もらしていただいても、十日いえ、半月はかかります。お急ぎでしたら、違うお刀を探されてはいかがですやろか」

春蔵の刀は父から譲り受けた、無名だが相州、素性の良いものだ。どうせならと思ったが、途中で考えを変えた春蔵は、素直に大刀を引いた。

「そうか。ならば、代わりになるようなものを見せてくれるか」
「承知いたしました。お好みがおありで?」
「あれば相州ものを頼みたい」

頷いた主が一度頭を下げて、懐紙の包みを下げると奥へ入っていく。
しばらくして、金には手を出さなかった春蔵の様子から、一両、二両の金には困っていないと見た主人は、それでも十両が限界だろうと踏んで、無名ながら相州もののたちの良いものを三振りほど運んできた。

懐紙と共に差し出した主人から、それを受け取ると、一振りずつ刀を抜いて確かめる。

「……お気に召したものがありましたやろか」
「主人。なかなかの見立てだな。俺の懐具合まで読んでいるとは」

どれもなかなか春蔵の目にもかなった物らしいが、その中でも手に程よい重さの一振りをもう一度握りこむ。

「これだな。拵えもそのままでいい。いくらだ」
「お気に召してようございました。八両二分ではいかがでございましょうか」

それほどの目利きではないが、これから立ち会うにしては良い品だと思う。妥当な金額だとは思ったが、春蔵は自分が腰に差していた大刀を差し出した。

「額に不満はないが、これを代わりに引き取ってはくれまいか。これもまた相州、無名だがよいものだ」

鼻白んだ主人は、それでも承知した、といい、懐紙を懐から取り出して口に咥える。手を添えて真横に引き抜いた刀を柄の部分からじっくりと刀身まで眺める。重さといい、塩梅といい、確かに春蔵が手にしたものと似通っている。

納得した主人は鞘に納めると、目の前にそっと置いてから懐紙を離した。

「つい最近、お使いになったばかりですなぁ。多少の刃こぼれはありますが、確かに良い品や。これを手放されるので?」
「ああ。俺にはもう無用だ。こいつがある」

すでに腰に差した刀を軽くぽん、と叩いた春蔵をみて、無頼者ではあるが筋は通っているとみた主人は、目の前の刀をじっと見つめた後、片手を上げた。

「いずれにしてもこちらのお刀はそのままというわけには参りません。それを差しい引いて、今ほどお渡しさせていただいた刀を三両で、そして、こちらをお売りいただくのではいかがでしょう?」
「いいだろう」

すぐ懐に手を入れた春蔵は紙入れの中から三両を取り出すと、すっと今までの刀の傍へすっと差し出した。

「主人、世話をかけた」
「いえいえ。こちらこそよい商いをさせていただきました。またおこしやす」

すぐに立ち上がった春蔵を見送りに主人が草履へと足を延ばすと、すでに春蔵は暖簾に手をかけていた。後ろを振り返ることなく去って行った春蔵を見送った主人は、無事に済んだことへの安堵と共に、何とも言えない表情を浮かべる。

立ち振る舞いからしても、武家の出だろう。こんな風にいきなり武具商へ現れて、急いで刀を整えるには深い事情があるのだろう。

いちいち、買い求めにきた客の無事を祈っていてはきりがないとはいえ、金払いもよく暴れもしなかった春蔵を少しだけ惜しいと思った。

 

– 続く –