衣通姫の涙<拍手文>

〜はじめの一言〜
原田さんってこういう優しいけどざっくりしてるよね~的な。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –
「もう、原田先生なんか嫌いです!」
「んな怒らなくってもいいじゃねぇかよぅ」
「怒るにきまってます!」

ぶらぶらと隊部屋でくだを巻いていた原田の元へセイが訪ねてきてしばらく話をしていたと思ったら、急に怒鳴り声が響いた。
肝心なところはさすがの原田も声を落として話しているので、経緯はわからないが、セイがひどく怒っている。

「俺は、俺なりに心配してんだって」
「余計なお世話です!!以後、二度としないでください」
「お、おい……」

烈火のごとく怒ったセイにしぶしぶと頷いた原田は、ポリポリと頭をかいた。怒りすぎて涙目になったセイが足音も高く、隊部屋を出ていく。セイが隊部屋からいなくなると、隊士達が原田を取り囲んだ。

「組長、なんですか?どうしたんです?」
「神谷がえらく怒ってましたけど、また何かしたんすか?」
「ん~……」

唸り声をあげて頭を掻きむしった後、顔を上げた原田はくいくいっと指先を動かして、隊士達を近くに呼び寄せた。

「お前らさ。くれぐれも俺が神谷に怒られてたって話、広めんなよ?」
「はぁ……、そりゃあまあ」
「つまんねぇ話だからよ」
「……わかりましたけど、なんで怒られてたんです?」

口外するなと言われた隊士達は、納得したようなしないような顔で互いの顔を見合わせた。小声での会話だったが、事柄だけを

「そりゃ、お前らにいう話じゃねぇよ。ただ、特に土方さんや総司の耳に入るような真似すんなよ?」
「承知ぃ~」

しぶしぶと頷いた隊士達だったが、この面子でこの場所だ。黙れと言って人の口に戸が立てられるなら苦労はしない。
セイが原田に向かって怒鳴ったという話は早々と屯所中に広まり始めた。

「左之~」
「なんだよ、ぱっつあん」

隊部屋の端で鼻をいじりながらぼけ~っと春画本を眺めていた原田の元へ永倉がやってきた。

「お前、何やったんだよ?」
「あぁ?」

胡坐をかいている原田の前に屈みこんだ永倉がにやりとあごひげを撫でる。いきなり、何やったと言われても当然、何が?と答える。

「神谷に嫌いだって泣かれたそうじゃねぇか。ついに押し倒したか?」
「ぶっ!……ってぇ!!」

慌てた瞬間、鼻に突っ込んでいた指をひっかけてぶすっと思いきり突き刺してしまう。引っこ抜いた後からは鼻血がだらだらと流れ出した。

懐から懐紙を出した永倉がしらじらとすまん、と一応、詫びを口にした。まさかそこまで大げさな反応が返ってくるとは思っていなかったのだ。
鼻に懐紙を丸めて突っ込んだ原田の顔を覗き込むと、上目づかいの恨みがましい顔にぶつかった。

「あんでしってんだよ。おりゃ、泣かせてねぇ……いや、ちびっと……」
「泣かしてんじゃねぇか。何やらかしたんだよ?」

ううむ、と唸った原田が膝の上に肘をついて、顎を乗せた。
やはり、口止めしていても組下の隊士だけではなく、廊下にも通りかかるものはいるだろうし、やはり興味を引きそうな話題ほど広がるのは早い。

「ちょっとなぁ」
「ちょっとなんだよ」
「言うわけにはいかねぇ」

気を持たせるようにのんびりした口調で言いかけた原田が、肝心なところはやんわりと拒否してきた。
軽く眉を上げた永倉に原田がため息をついて見せる。
ぼけっとしたいつもの顔に見えるが、こういう時の原田は存外、頑固で口を割らない。

「なんだよ。意味深じゃねぇか」
「ふふん。まあな」

聞いても無駄だと思ったのか、とん、と原田の肩を拳で突いた永倉は何も聞かずに立ち上がった。隊部屋を出ていくと、廊下の先まですたすたと歩いていった先に藤堂が待ち構えていた。

「どう?」
「駄目だな。あれは」
「うーん。どうしたんだろうねぇ?」

腕を組んだ二人は原田のいる方へと視線を向ける。
原田がセイを泣かせたという話が出てから、原田の様子もどことなくおかしいし、セイはセイで元気がない。あちこちで心配する声が出たのを聞きつけた永倉が、原因を聞き出そうとしたのだがあえなく撃沈という有様だった。

「総司の方はうまくやってるかなぁ」
「神谷も総司になら……いや、かえって意地をはるか?」

うーん、と再び二人は顔を見合わせて唸った。

噂の通り、原田のところへ泣きながら怒鳴り込んだというあたりからセイはどことなく元気がなかった。
隊務の最中もいつものような元気がなく、初めは噂に気付かなかった総司がたるんでいると厳しくあたっていたのだが、どうにも様子がおかしい。

総司に叱られてもむっつりと落ち込んで詫びるでもなし、泣くでもなし、どんよりと暗くなるばかりなのだ。
いつもよりも落ち込んだ様子で頭を下げるセイに、さらに総司が追い打ちをかけてしまったため、ここしばらくは一番隊の隊部屋がまるで通夜か葬式かというほど暗い。

初めはそのくらい、と思っていた総司だが、これはまずいと思った隊士達が密かに総司に噂を伝えて今というわけだ。
どう話しかけたものかと悩んでいる総司に、周りで見ている皆がはらはらと気を揉んでいた。無言の後押しを背に、総司が思い切ってセイの傍に近づいた。

「か、神谷さん」
「はい」

隊部屋の片隅で自分の足袋を繕っていたセイが顔を上げた。
いつもならにこっと笑うはずのセイが、どことなくぼんやりとした顔を向けてくる。はっきりといつもと違うセイに、総司は自分がずきりと衝撃を受けたことを自覚した。

いつも当り前のように自分に向けられるはずの笑顔がないことがこんなに胸に響くと思っていなかった。

「ちょっと付き合ってください」
「あ、はい」

素直にセイは針を置いて、繕いかけの足袋をしまうと総司の後について隊部屋から出て行った。
どこに行って話したものかと思案した総司は、結局、これといういい場所が思いつかずに土手に向かった。どこまで歩いていても仕方がないので、ぴたりと足を止める。

「沖田先生?」
「……座りませんか」
「あ、はい」

どことなくぼんやりした返事を返すセイと共に、土手の途中に腰を下ろす。
素直に総司の隣に腰を下ろすしたセイは、さわさわと吹いてくる風に目を細める。そろそろ肌寒いくらいだがよく晴れた空に流れる風が目に見えるようだ。

「いい天気ですね」

そう口にしたセイのいい方がまるで天気なのが悪いような言い方だったので、総司は隣に座ったセイの横顔を眺めた。

「どうしたんですか?神谷さん」
「はい?」
「貴女らしくないですよ。このところ元気もないみたいですし、何かあったんですか?」
「別に……何もありません」

徐々に上げていたセイの顔が俯いていくのを見ながら総司は困惑してしまった。何があったのか話してもらわないことにはどうしていいのかわからない。 土方に理不尽な仕事を言いつけられたとしても、こうして総司が問いかければいつもなら話してくれたというのに、今回は余計に閉じこもっている気がする。

– 続く –