夕焼けの色~「喜」怒哀楽 3

〜はじめのつぶやき〜
舞い上がるだろうなぁ。先生の目の前からセイちゃんを借り受けて半日二人きり!

BGM:Superfly 輝く月のように
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斉藤に連れられて出かけることがあっても、茶屋に上がることはこれまでなかった。縄のれんか、うまい飯屋か、大体はそんなところだったのに、今日は、向かう方向が全然違う。

格式のある店ばかりが並ぶ通りに向かうと、その中でも派手さはないが落ち着いてこじんまりした店に入った。

「おいでやす。斉藤先生」
「頼んでおいたものは」
「へぇ。ご用意できてます。どうぞ、おあがりやして」

現れた女将も、うっと言葉に詰まりそうなくらい美しい女でその色香といい、入った瞬間から店の雰囲気が艶やかでそのくせ、浮ついたところが少しもない。
不作法だと思いながらもついついあたりを見回してしまう。

斉藤がさっさと腰のものを預けているのに、周りに見惚れていたセイは、振り返った斉藤が呆れた顔をしていることに少し遅れて気づいた。

「何をしている」

仕方のないやつだ、と呟いた斉藤がセイの手から大刀を引き受けると、女将に差し出す。

「あ、すみませんっ」
「いいえ。さ、どうぞ」

にこり、とほほ笑んだ顔に女のセイも見惚れてしまう。さすがにこれだけの店を背負っているだけはある。仕草の一つ一つが美しくて、無意識にセイは、その仕草を真似そうになった。

―― いけない!今は清三郎なんだから、女の人の仕草なんか真似ちゃいけないんだった!

草履を脱いで斉藤に続くと、奥に向かう廊下を女将の案内で進む。庭に面した部屋は、障子も開け放たれていて、心地よい風が流れていた。

「連れが来るまでにはまだだいぶ時間がある。すまんが昼餉を何か頼めるか?」
「ご用意させていただきます。その前にお着替えなさりますか?」

なぜか、上座ではなく、その下にあたる庭を背にした場所に座った斉藤が女将と共にセイを見た。二人にまじまじと眺められるとセイの方が困ってしまう。

「な、なんでしょう」
「……そうだな。慣れてもらう時間も必要だ。頼む」

心得顔で頷いた女将は、次の間の襖を開いた。空っぽではあったが、普段なら床の支度があったり、供の者が控えるための座が用意されているはずの部屋である。
今日は、部屋の隅に乱れ箱と衣文がかかっているだけだ。

「こちらにご用意は。お着替えもお手伝いしましょうか?」

何のことだかさっぱりわからないセイが斉藤と女将の顔をかわるがわる眺めていると、斉藤がひとまず説明の時間がいるといった。

「必要ならば声をかけよう。その時は頼む」
「いつなりと」

そう言い残して女将は部屋を出て行った。残ったセイは、斉藤の傍にぺたっと腰を下ろす。

「あのう、斉藤先生……?まさかとは思いますが」

うすうす、もしかしてという考えが頭をよぎり始めて、嫌な予感を覚えたセイに、斉藤は両ひざの上に手をついて頭を下げた。

「すまん。実は、会津藩の持田殿という方から見合いの話がきた」
「……はぁ?」

いきなり話が飛んで、訳が分からないセイはぽかん、と首を傾げた。

「見合いは、持田殿の二十一になるご息女との者だが」
「えぇぇ?!駄目ですよ!私にはお里さんという心に決めた人がいてですね」
「馬鹿。お前ではない。俺だ」

早合点したセイに呆れながらも、斉藤はとにかく先方が断っても断っても、一目でいいから見合いの場を設けたいというので、仕方なくこの場を設けたのだといった。

「見合いといっても、顔を合わせて少し話をする程度のものだが、とにかく何を言っても承知してくれぬので相手がいると言うことにしたのだが、その相手も連れて来いということになってな」
「はぁ……。って、えぇ?!何をさらりとおっしゃってるんですか!相手って、相手って……」
「お前だ」

ずさっと、音をさせてセイが斉藤から離れる。見る見るうちに顔が真っ赤になって、動揺したセイは、急いで自分を納得させる理由を見つけようと頭の中でこれまでのことを思い浮かべた。
月夜の決闘の時も、総司の江戸行きの時も、総司の見合いの時も、いつも斉藤はセイを助けて、俺のものだと言い切ってきた。

―― え……。まさか、だって、斉藤先生には雪弥さんが……

だが、花街にも足を向けることがあることも知っている。まして、セイが女だということは知られているのかどうか、微妙なところで互いに触れずに来ている。

どちらにしても、斉藤がセイを想っていることはその場をしのぐための方便と思ってきたがそうではなかったのかという結論しか出てこなくて、ますますセイは動揺してしまった。

「落ち着け。神谷」
「おち、落ち着けって……」
「別に俺はお前を取って食おうという話をしているわけではない」
「当たり前です!」

反射的に噛みついたセイに、く、と珍しく斉藤が笑った。

「そうだ。あいにくと、俺には相手役を買って出てもらえそうな知り合いがいないものでな。口が堅く、身分を調べられてもお前ならばわからないし、以前の特命で女装慣れもしている。うってつけの相手はないと思い、副長に相談した」
「あ……。それで、副長の許可もって……」
「そうだ。もっとも、さっさと嫁を貰えとも言われたが、それには順序が違うからな」

土方にいったのと同じことを言うと、セイもああ、と納得の顔になる。
総司の時にもそのとばっちりで、永倉や土方のところにも見合いの話が舞い込んだのだった。

「そういうわけで、今回は町娘というわけにもいかぬ。一応は武家娘の恰好をしてもらわねばならんのでな。早めに着替えて慣れておいてもらいたい」

『慣れておいてもらいたい』、とあっさり言う方は簡単だが、慣れる側の意志はほとんど無視されているに近い。
ぱくぱくと口を動かしたセイがようやく、言葉をひねり出す。

「斉藤先生って……。ものすごい我儘なんじゃ……」

どうにもほかに言いようがなくてそういうと、ぷいっと、斉藤が横を向いた。

「……これは仕事ではないから断ってもらっても構わん」

ここまで説明もせずにつれてきておいて、断っても構わないという斉藤に、呆気にとられたセイは、少しずつ口元が緩んで思わず笑いそうになる。口を一文字に引き結んで堪えていたが、どうにも耐えられなくなってくすくすと笑いだした。

「今更そんなことできるわけありませんよ。斉藤先生」

いつも大人で、理路整然としている斉藤が、そっぽを向いて拗ねている姿などほかの誰が目にしただろうか。

そう思うと、可笑しくて、不覚にも可愛らしくて、笑いすぎた挙句、涙が浮かんできたセイは、目尻を拭うとすっと立ち上がった。

「着替えますので、少しばかり失礼します。髪だけは一人ではどうにもなりませんので、女将を呼んでいただけますか?」

にこっと笑ったセイが立ち上がると、驚いた顔の斉藤を置いて、隣の部屋の襖を閉めた。

– 続く –