恋咲く旅路 後編<拍手文 106>

〜はじめの一言〜
指令が来たので、うぉおおおっとね。

BGM:
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「今日中に着くのは無理ですから途中で旅籠に泊まりましょうね」

順調とは言え、山道を歩くのは平地を行くよりかかる。日頃から鍛えている二人だけに歩みは早いが、その二人でも丸一日はかかるのだ。

「昨日のうちにおっしゃってくださっていれば、今日のうちについたのに」

思わずそう呟いたセイは、口に出してから慌てて言い換えた。けっして、特命が不満というわけではないのだ。

「あ、でも、別に仕方ないですよね。朝のうちに言ってくださったのでこうして出ていられますし」

くすっと笑った総司はわざと足を速めてからぽつりと言った。

「私は朝に言ってくれてよかったと思いますけどね?」
「えっ?!」

聞き取れなかったセイは早足になって問いかけたが、総司は笑うばかりでもう教えてはくれなかった。
セイが疲れているのは総司も気づいていた。いくら休めと言っても休まない。
非番だとしても、何かと雑用に動き回るセイの事を休ませたかったが、総司の方もこのところ忙しさにかまけて、甘味処に連れ出すこともなかなかできずにいた。

そんなセイを近藤や土方が気遣ってくれたのはありがたかった。行き帰りを考えると、宿に入るには少し早い時間だが訪ねた先で気を使わせないために も、峠の途中にある温泉宿に宿をとった。ここならば、今日泊って、明日相手を訪ねても長居せずに戻ってきてもう一泊すればちょうどいい。

「ここはかけ流しの温泉を引いてますんでございます。内湯もございますが、表に露天の湯もございますのでどうぞ」

宿の女に案内されて、部屋に入った総司とセイはひとまず荷物を置いた。小さくても内湯を構えられるだけはある宿は、応対もよく、感じの良さに満足して部屋へと入った。
時刻も早く、まだ部屋が空いているということでセイの事を考えた総司は、離れの部屋を頼んだ。この時代の宿は障子や襖で仕切られているだけですぐ隣にも泊り人が入る。

男姿であっても真実は女子のセイにとって、せっかくの旅なのに気を遣うだろう。

「よろしかったんですか?こんないいお部屋」
「ちゃんと路銀はいただいてきましたから大丈夫ですよ」

離れには、小さいが寄せ掛けに風呂がついている。それも温泉というので、セイには持ってこいと思えた。

「じゃあ、先生。お先にお風呂どうぞ」
「そうですか?じゃあ、お先に」
「半分、露天みたいですよ?」
「へぇ。じゃあ、お先にいただいてきますね」

手甲や脚絆を外して羽織も脱いだ総司は手拭を手にすると、からりと離れの入口の戸を開けて表に出て行った。
セイも、旅姿から羽織を脱いで落ち着いたところで、総司の脱いだ羽織の始末をする。このあたりは、近いとはいえ、大阪への出張など、旅慣れているだけはある。

明日の着替えを整えたセイは、袴を脱いで襷をかけまわした。

「よし!」

気合の声を上げるとからからと表に出た。

寄せ掛けの湯殿は、完全に囲われているわけではなく、半分表になっていて敷地は囲われているが屋根がないため、周囲の野趣あふれる趣を味わいながら温泉に入ることができる。総司はこじんまりした湯に浸かるとはぁ~と深いため息をついた。
源泉を抱えている上に、近くには他に宿も少ない場所で宿にしても風呂の数は多い。だが、泊りを取るには前後の宿場との間が短いために、遠出の客は素通りしてしまう場所なのだ。

「いいお湯だなぁ~」

湯に浸かってうっとりと目を閉じていると、からからと戸の開く音の後、下駄の音がした。

「あれ?」
「沖田先生!お背中流しますよ!」
「か、神谷さん……」

恋咲く旅路

慌てた総司は、さりげなく手拭を湯の中に入れて、腰回りを隠した。

「お疲れですよね。少しでも先生にはお休みいただけるようにしたくて」
「お疲れなのは貴女でしょうに……」
「はい?」

空を仰いだ総司がぼそりと口にしたのを、セイは聞き逃してしまう。 それよりも、温泉で急ぎの旅でもなく、気の張る仕事でもないということで、総司にはゆっくりしてもらえる機会だと張り切っていた。
木の椅子を持ってきて手拭を用意したセイは、やる気満々で腕をまくり上げた。

「さ!先生どうぞ」
「どうぞって……、なんで貴女がそんな真似をするんですよぅ」

ぼやきながらも手拭で腰回りを隠した状態で総司が振り返った。

「だって、先生にゆっくりしていただきたいんですもん。父や兄の背中はよく流しましたよ?」

それとはだいぶ違うと言いそうになったが、その違いをセイがわかるならそもそも三助の真似をしようなどと思いもしないだろう。いわゆる五右衛門風呂 でもなく、木製の湯船でもなく、地面を掘って石を積んで作られた湯船である。周囲に歩くための簀子は敷かれているが、どれも温泉の湯をかぶっていた。
手拭を濡らすために湯を汲もうとしたセイが、片足を簀子に乗せてかがみこんだところで急に体勢を崩した。温泉の湯でぬるぬるになった足元に滑ったのだ。

「あ、あ、あっ」
「ちょっ、神谷さっ」

ざぶーん。

桶を掴んだまま頭から露天風呂に落っこちたセイは、危うく周囲の石積みに体を打ち付けそうになったが、小柄な体と、総司が受け止めたのでずぶ濡れになった以外は事無きを得た。

「ごほっ、ごほっ」

湯にむせたセイに呆れた顔を向けながら総司はセイの体を引き上げてやった。

「何やってるんですかもう。貴女って人は……」
「す、すみません……」

あまりの粗忽っぷりに、落っこちたセイも赤くなる。滑った勢いで蹴っ飛ばした下駄は方々に飛んでいっており、濡れ鼠姿に穴があったら入りたいくらいだと、頭を下げて湯から上がりかけた。

しかし、その手を総司が、ぱっと掴んだ。

「待って。そのままじゃ風邪ひいちゃいますよ。どうせ濡れたんだし、着物を着てるなら恥ずかしくないでしょう?」

このまま一緒にはいりましょうよ、と言われてセイが赤くなった。確かに自分は着物を着ているので、恥ずかしくないとはいえ、一緒に露天風呂に入るなんて、考えてもみなかった。

「あの、でも……」
「ぷっ。神谷さんらしい……」
「沖田先生!私だって、わざとじゃないんですっ!」

吹き出した総司にセイが真っ赤になって抗議する。ばしゃっとかけられたお湯に総司が片手を上げた。

お湯を吸い込んだ長着に襦袢ではあまりに重いので、帯を外して長着だけは脱ぐことにした。湯の中だけに、もたもたと帯を解いているセイに総司は視線を逸らしながら話しかけた。

「わざとじゃない事くらいわかってますけどね。それより、このお湯、ぬるぬるして気持ちいいですよ。きっと神谷さんのお肌も明日にはつるつるですね」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。知らないんですか?相手の方が泊っているところは硫黄のお湯なので、また違いますよ。ああ、それに、硫黄のお風呂は濁ってますから着物を着なくても一緒に入れるかもしれませんね」

セイをからかうつもりでうっかり口にした総司は、よく考えれば風呂に入る、という当たり前の姿を想像してしまい、ぶわっと真っ赤になった。

「あ、いや。その、変な意味ではなくてですね」
「ああああああ、そ、そうですよねっ。私だって、二晩続けて粗忽なことしませんし!!」

慌てふためいた二人は互いに顔を逸らしあう。

「じゃ、じゃあ、着物始末しなきゃいけないので、私、先に上がりますね」

あたふたと湯から出たセイが去っていくと、総司は湯の中に沈めていた手拭を引き上げた。

「本当に勘弁してくださいよ……」

セイだけでなく、総司にとってもいろんな意味で癒される出張になったらしい。

– 終わり –