暗闇に堕ちて~喜「怒」哀楽 10
〜はじめのつぶやき〜
あったかもしれないいつか。そのいつかが目の前に突き付けられたら。
BGM:また君に恋してる
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土方の小姓というより、手伝いとして預かりになってから三日目。総司達、一番隊が稽古の最中に、セイは隊の用向きで外出した。
用立ててもらっていた金の払いと、礼を兼ねて菓子折りを持参するということで、対外的にもそつなくこなせるセイが出向いたのだ。
「とても助かりました。こちらはつまらないものですが、お礼に」
「いえいえ。こちらも商いですから。それより神谷さんもこないなときばっかり駆り出されて大変ですなぁ」
「いやぁ……」
確かに、金を借り受ける時もセイが顔を出すことが多い。ほかの隊士では押し借りのような有様になってしまったり、卑屈に出過ぎてしまったり、なかなかどうして、商人とのやり取りがうまくできるようなものは少ないのだ。
頭を掻いたセイは、具合のいいところで話をきりあげた。
「それじゃあこれで」
「はいはい。どうも御苦労さんどした」
主人に頭を下げたセイは、店を出て屯所に戻るために歩き出した。大店の並ぶ大きな通りで、人通りも多い。
近くの店の子供だろうか。セイの少し先を供の小女に連れられてはしゃぎながら歩いていた。
「早く行こうやー」
「あはは」
ごくありふれた光景を見ながら、セイはいい天気だな、と空を見上げた。
「何をする!小僧!」
その声にはっと視線を戻したセイは、先ほどの子供達が用心棒風の武士に蹴倒されているところを目撃した。
「ちょ、何をしている!」
慌てて駆け寄ったセイは、子供を抱き起した小女が地面に額をこすり付けるように頭を下げている前に飛び出した。
「なんだ!お前は。この小僧はな、我らに向かってぶつかって来たのだ」
「申し訳ございません!どうか、お許しください!」
大声でなく子供を抱えた小女が必死に頭を下げる。それを背にかばったセイはきっと相手の武士二人を睨みつけた。
「ふざけるな!子供にぶつかられたくらいで何を大人げない真似をしている!それでも武士か!」
「何を?生意気な小僧め!何者だ、お前」
すぐに周りには人だかりができて、セイ達を中心に人の輪ができる。先ほどの大店の主人が慌てて姿を見せた。
「神谷はん、あきまへん!」
セイに駆け寄った主人が、相手はたちの悪い用心棒で、近くの評判の悪い金貸屋に雇われていると囁いた。だから、事を荒立てずにおさめた方がいいと言って、子供と小女を後ろに下げてくれた。
大きく息を吸い込んだセイは、半歩、後ろに引いた。腹が立ったがここで揉めればどうなるかくらいはわかる。
「ここは天下の往来。子供がしでかした些細なことに目くじらを立てるのも無粋。私も一緒に詫びる故、ここは一つおさめてください」
腹に力を入れてセイが頭を下げたが、それが相手をますます駆り立ててしまう。
「私も一緒に詫びる故?何を気取ってやがる。子供の悪さにはしつけもいるんだろうよ!」
そういって、用心棒の一人は刀を抜いた。
脅しも兼ねて、子供を斬るつもりで浅い打ち込みをかけたのを見て、反射的にセイは子供に覆いかぶさって脇差を鞘ごと引き抜いた。相手の打ち込みが浅いのはセイにもわかっていたので、鞘ではじき返す。
その動きを見て、用心棒たちの顔が真面目になった。
だが、周囲の囁きを耳にした男たちはセイが新撰組の隊士であるとわかったらしい。ひそひそと何かを囁き合って刀を納める。それをみて、事がおさまったと周囲の人垣もばらけはじめた。
子供を抱き起してセイが立ち上がると、もう一度用心棒二人に向かって頭を下げる。一刀を向けられたとはいえ、それでも刀を納めてくれたには変わりない。
ほっとして子供達も小女が連れて帰りかけた。
「!!」
立ち上がったセイが振り返ったところに、両脇からぶつかる様にして用心棒二人がセイの傍をすり抜けて行った。
「あ……」
「神谷はん?どうかなさいましたか?」
立ちすくんでいるセイに気づいた大店の主人が、周囲に頭を下げながらセイに近づいてきた。
「神谷さん?」
がくん、とセイの膝が折れて、腹を押さえたセイが倒れこんだ。
「神谷さん!!」
新撰組の名前は、京の町でも知られている。用心棒の二人も十分にそれはわかっていた。だからこそ、セイが大人しく場をおさめに出たことが面白くなかったのだ。
刀を納めてその場を去り際に、わざとセイにぶつかる様にして両脇をすり抜けざまに、脇差でセイの腹を刺したのだ。
「う……あ」
「神谷さん!!誰ぞ、戸板の用意!お医者を呼びにいってきてや!」
痛みに頭が真っ白になりそうな中で、主人の声が遠くで聞こえる。
用心棒たちも、だてにその腕を買われているわけではない。両脇から上に向かって刺し貫けば、脇差は、胸や心の臓まで届いて、その場で息絶えたかもしれない。
だが、彼らはわざと真横に向かって突き刺した。
助からないほど、致命的ではあっても、すぐには死なせない。そのためだけに。
「こふっ」
込み上げてきたものが苦しくて生温かなものを吐き出したセイは、戸板に乗せられながら、手の届いた誰かの袖口を掴んだ。
「木屋町の……」
「えっ?!」
「木屋町の……、南部医師のところに、……運んでください」
苦しい。
でも、今、見知らぬ医者に診てもらうことも、屯所に連れて行かれるわけにもいかない。女であることが知れるだけでなく、今、この体を見られるわけにはいかない。
この場所からは遠いと戸惑った主人に、セイは重ねて頼み込んだ。
「どうか……、遠くても。構いません……。南部医師のところへ!」
店の若い衆がセイを乗せた戸板を担ぎ上げる。頷いた主人が、木屋町へ向かってや!というのを聞いて、若い衆が走り出した。
なるべくセイに負担をかけないように急ぐ戸板の上で、セイは、何とか意識を維持しようと爪を立てて手を握りこんだ。
– 続く –