金木犀奇譚 8

〜はじめの一言〜
ちょっと不思議なお話を。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

ふわぁ……、と盛大な欠伸をした総司は、隊士達が笑い出したので慌てて顔を引き締めた。小川が笑いながら総司が欠伸を堪えたときに落とした調べ書きを拾い上げる。

「本当に眠そうですねぇ。どうしたんですか?沖田先生。お珍しい」
「いや……うん。なんか、いつ眠ったのか覚えてないんですよねぇ」
「そりゃ当り前ですよ。自分が眠った時間なんかわかるもんじゃありませんて」

笑い声に押されて曖昧に頷いたが、そういうことではないのだ。
斉藤と話をした後、隊部屋に戻った記憶がない。どうやって部屋に戻ったのか。

ひどくだるくて、眠いと思っていた。朝起きて、隣でぼうっとしていたセイも同様で、何度も何度もこみあげる欠伸に、ついに大きな口を開けた。ごきっと耳の付け根が鳴って嫌な音がする。

「わっ、なんだろ。顎はずしちゃった?私」
「おいおい、大丈夫かよ」

慌てて近くに寄ってくる隊士達に、かくかくと顎を動かしてから、大丈夫みたいです、と言った。

「なんかずれたのかなぁ」
「きっ、気になるなら俺が見てやろうか!!」

異様に大きな声で中村五郎が少し離れたところから叫んだ。
その瞬間、何かが自分の中から溢れだしそうな感覚に、総司ははっと胸を押さえた。切ないような胸を突く想いになって膨らんだそれは総司から飛び出していき、金色の靄となって中村五郎を突き飛ばした。

「うわっ」

何もないはずなのに、ふわりと何かに吹き飛ばされたように背後の方へと吹っ飛んだ中村に、周囲にいた隊士達はただ笑った。てっきり本人が体勢を崩したのだろうと思ったのだ。

だが、総司とそしてセイは顔を見合わせた。

何かが動いた。

セイは急に朝、胸の中にあった切なさが再び、ぎゅうっと心を締め付けるようで先ほどの総司と同じように胸のあたりにぎゅっと拳を当てた。何があったわけではないのに、こんなにも心が苦しい。

―― この寂しさを、埋めてあげたい

不意にセイの中でそんな想いが生まれた。不安を抱きしめてあげたい。

女だからだろうか。不意に生まれた感情にセイは戸惑うことなく自然にそれを理解した。あと少しあれば、あの靄の正体も何もかもわかったかもしれないのに、無情な声が告げる。

「さ!いつまでもこうしてないで行きますよ。一番隊、巡察に出ます!」
「承知!」

ぴしりと立て直した総司は皆を連れて出発した。

 

何事もなく平和な巡察が終わると、仕事から解放されたセイは総司の姿を探した。離れたところに総司を見つけたセイは真横から総司に駆け寄った。

「沖田先生!……あの、巡察の前にっ」
「神谷さん」

黙ってセイの口を手で塞いだ総司は、その柔らかな感覚にかっと頬を染めた。掌に触れったセイの唇や吐息がかかり、どきっとして手を引いた総司は人差し指を口元にあてる。

「ここでは……」

そういうと、総司は何事もなかったように隊部屋へと戻って行った。セイは狐につままれたような顔で、総司の後に続いて隊部屋へと引き上げたセイは、着物を着換えてもう一度総司の傍へと近づいた。

「沖田先生」
「神谷さん、甘味でも行きませんか?」
「え?あ、はい。行きます」

いつもと変わららない総司の様子に首を傾げたセイが着つい、いつものように頷いた。嬉しそうに笑う総司は、すぐに羽織を手にすると、セイを伴って外出した。ゆっくりと歩いて、座敷のある甘味処に入ると、裏手の風雅な庭へと面した障子を開いた。

「いい天気ですねぇ」
「そうですけど……」

むぅっとしたセイに、総司はにこりと微笑んだ。甘い匂いが部屋中に漂っている。品のいい座敷は、周囲のざわめきから切り離された空間だった。

「沖田先生!」
「はい?」
「もうっ、真面目に心配してるのに!ヘンなお化けだったらどうするんですか!!」

あのもやもやが変なお化けだったらという言葉に、自分で思い浮かべたのかぶるっとセイは身を竦めた。総司はそんなセイを両腕で抱え込むと誰も居ないはずの空間にじっと目を向ける。

「どこかに、いるんですよね?」

金色の総司は総司の想いを吸い取って、初めて人形になった者。すっかりと夢の出来事を思い出した総司は、金色の総司を挑発するようにセイをぎゅうっと抱きしめた。
広い座敷の中が先日の夜中の隊部屋のように完全にそこだけの空間になる。

「せ、先生っ、ちょっと」
「でてきて姿を見せたらどうです?」

総司が何を言っているのかわからなかったセイは、自分の脇をするりと抜けていく何かの感触にびくっと手を引いた。恐ろしくなって、自分の体に腕を回す。部屋の中であることは変わらないのに、不思議な空間の中に金色のもやが現れた。

『ようやく私を認めたか』
「ええ。確かに私の一部なんでしょうね」

じわりとあの巡察に出る時に、中村を突き飛ばしたおかしなものが金色の影になり、それが濃くなって気が付けば、金色の姿の総司になる。

「え?え?なん?」

目の前に現れた総司と自分を抱えている総司に驚いたセイは何度も二人の顔を見比べた。ありえないことなのに、総司が二人いて、どちらもセイには本物に見えた。

『神谷さん。私は貴女に触れられ目覚めた。そして、求める想いがこの者の想いに重なって、こうして姿を得た』

セイを求める総司の想いがその存在を強くしたのだと。
しかし、総司は鋭い目で自分自身の想いの結晶のような存在を見た。

「でも、私はお前を自由にさせるわけにはいきません」
「沖田先生?あの……」

不思議そうな顔をしているセイに、金色の総司が事態を説明する。セイは金色の総司が現れてからその切なさが伝わってくるのを感じた。
これがほかの相手のことであれば、素直に状況を理解することも、飲み込むこともできなかっただろうが、相手がこと総司であれば、セイはどんな状況でも認め、理解できる。

いくら自分の一部でも、自分以外の者にセイを触れさせたくない。だから消えろという総司に、セイが振り返った。

「先生」

見上げてくるセイは、守るように抱えていた総司の腕をすり抜けて金色の総司に近づいた。総司が慌ててセイに手を伸ばす。

「先生……。でも、こちらの先生も先生の一部なんでしょう?」

セイは初めこそ驚いたものの、今は怖がることなく金色の総司に手を差し伸べた。触れた指先から切なさが伝わってきて堪らなくなる。セイは、金色の総司を腕でそっと抱きしめて総司を振り返った。

「先生が、こんなに寂しいって……。どちらも沖田先生なのに」
「神谷さん。それは私なんですよ?」

 

– 続き –