迷い路 13
〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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一人、部屋で用意されていた床の上にごろりと横になった土方は、頭の後ろで腕を組んだ。
「……さて、どうしたものかな」
天井を仰ぎながら土方はぼそりと呟いた。柴田の相手が誰かはわからないが、とにかく縁を切らせるかどうかしないことには穏やかにはすまないだろう。
事が本当ならば。
はっきりはしないが、あの妓が相手だとすれば柴田に務まるとは思えなかった。
それであれば、いっそ、自分の馴染みにしてしまえばいいのではないか。自分のものにしてしまえば、いずれにしてもおかしな真似などできなくなるだろう。
柴田がなぜ飲み歩いているだけなのかも腑に落ちなかった。飲み代をためておけば、月に一度や二度は足を運ぶこともできなくはないだろう。
それなのに、知る限り桜香のもとへも他の女の元へも足を運んだ様子はない。ならなぜ、飲み歩くのか。
ふう、と酒気の漂う息を吐き出すと勢いをつけて起き上がった。放り出していた刀を刀掛けにおさめて、羽織を脱ぐ。例え、飲んだ後の事であっても、武士として恥ずかしい振る舞いはしない。袴も脱いで夜着に着替えると、今度はきちんと床に入る。
何もかもは、ひとまず夜が明けてからのことだ。
目を閉じると、いくらもしないうちにすうすう、と寝息を立て始めた。
同じく十番隊の隊部屋でじっと天井を見上げている男がいる。
柴田は床の中でまんじりともせずに、じっと天井を眺めていた。
―― 眠れぬ……
また今夜も眠れないのか。
柴田が眠れないのは今夜のことだけではない。酒も飲まず、こうして巡察もない日が続くと、どれほど疲れていても眠れないのだった。
身の内をざわざわと落ち着かないものが眠らせない。こうしてひたっと暗闇の中で目を開けたまま、一晩をやりすごすのも幾度目だろうか。そして夜が明けて、また酒を飲みに出るかそれとも。
屯所から人目を忍んで表に出ることはそれほど難しいことではない。鬼矢来があっても、抜け穴はあちこちにあるわけだし、西本願寺との境をびっちりと鼠の出入りもできないほど断ち切ることは到底できるものではないからだ。
しばらくして、それでも堪えが聞かなくなった柴田は、厠に立つふりをしてそっと隊部屋を抜け出した。
手には刀を握りしめている。慣れた様子で静かに中庭から抜け穴へ向かった柴田は誰に見咎められても怪しまれないように、抜け穴を通り抜けると、西本願寺の境内の隅のほうへ行くと、床下にもぐりこんだ。
そこには、油紙に包んで隠してある風呂敷包みがあった。
薄暗い夜の中でさらに縁の下の暗闇の中、手探りでそれを探し出した柴田は、包みを解くとその中から隠しておいた長着を取り出す。身を屈めたままで夜着から袖を脱いで丸めると、長着に袖を通した。
濃い色の長着は夜目にも目立たない。帯も暗い色のものを選んであり、それを締めると腰に刀を差した。いかにもな風体に、だめ押しのように黒い手拭いを頭から被った。
まるで盗人のような姿で暗闇の中に溶け込んだ柴田は、ひたひたと屯所から離れて歩き出す。
行き先はいつも必ず決まっていた。花街で遊んだ男達が帰る道筋に向かう。ゆらゆらと提灯が揺れて、一人、また一人と白粉の匂いをさせた男達がここにいますよと教えながら歩いていく。
「……っはぁ」
もう随分と慣れた興奮が柴田を包み込む。背筋をぞくぞくと這い上がってくるような高揚感はまるで妓を抱いているときに似ている。
紅い提灯が近づいてくると、いくら夜目とはいえその姿形がよく見えるようになっていく。
その姿が町人であれば、腰の刀にかけた手を緩める。ひどく残念な心持で長く息を吐くと、再び気配を殺してじっと暗闇で様子を見るのだ。
そんな風に何人かを見送ると、そろりと柴田は立ち上がった。
時刻を考えるとそろそろ戻らなければならない。あまり長いこと屯所をあけていて何かあった時に抜け出していたことが知れたら、即座に切腹が待っている。
それだけは避けねばならなかった。
―― 残念だな……
そっと立ち上がった柴田は、再び闇に溶けたように静かな足取りで屯所に戻る。抜け出た時と同じように西本願寺の床下に潜り込むと長着を脱いで夜着に着替える。
床下から抜け出て、中庭に立った柴田は手にあるものを強く握りしめた。しゃぁん、と音をさせて刀を抜く。
庭先で、思い切り刀を振るうと風を切り裂く音が響いた。そんなことで気が済むわけではないが、ないよりはましだとばかりに刀を振るった柴田は再び鞘に納めると、何事もなかったような顔で隊部屋へ戻っていく。
静かに開いた障子がもとのように閉まるのを待って、柱の陰からゆらりと人影がにじみ出てくる。
難しい顔をしたセイの目が暗闇の中で光った。土方の様子を見るために何度も繰り返し夜半に起き出してきたこともあって、こうして柴田を見張ることも難しいことではない。気配を殺し、気取られぬように様子を見ることなど造作もない。
このことは総司にも話していなかった。だが、それももう限界だろう。
初めにセイが柴田を見かけたのは本当に偶然だった。隣に休んでいるはずの総司がいなくて、また道場に立っているのかとセイは床を抜け出したのだ。
足音を忍ばせて廊下の端を歩いたセイは、道場へ向かう途中で風を切る音を聞いた。
―― 珍しい。沖田先生が道場ではなくて、しかも本身を使うなんて
紙燭の灯りを消したセイは、そっと音のするほうへと忍び寄って驚いた。
そこにいたのが総司ではなかったからだ。そんな真似をする隊士など、セイを除けばまずいない。
―― ……誰?
そう思ったセイはそっと物陰から柴田の様子を伺うと、その物馴れた様子に眉を顰めた。総司の夜稽古は思うよりも多く、そのほとんどをセイは見知っていたが、これほど慣れた様子の柴田がいたのならとうに気づいていてもおかしくはないはずだった。
それからセイは、ひそかに柴田の様子を気にかけるようになったのだ。隊も違い、気のいい男ではあったが、セイはそれほど柴田のことを知っていたわけではなかったが、ちょうどよくといえばいいのか、原田の組下だったこともあって、さりげなく話を聞き出したり、柴田の様子を聞き出すことはそれほど苦ではなかった。
身の上はいくら原田でも、平隊士の、しかも、ほかの隊のセイに簡単に口に出すことはなかったが、それでも原田だけではなく、十番隊には中村もいる。
柴田のことをセイが知るにはそれほど時間がかかるものではなかった。
– つづく –