迷い路 2

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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「なあんだ。私なんかよりも、あの人の方がよほど足を向ける価値があるってことですね。それなら、今度は私が土方さんを誘って、紅糸さんに声をかけますよ」
「ほんまどすか?」
「ええ。その時は、あの人のこと、よろしくお願いします」

自分よりも、土方に憧れているらしい紅糸の役に立つことを総司は、あまりに紅糸が可愛らしくて請け負ってしまった。

それからしばらくの間、他愛もない話と、少しの甘味を楽しんでいると、隣の部屋から、こほん、という咳払いの後、しばらくして浪里が店の者に何か話している声が聞こえた。

はっきりと会話が聞き取れたわけでもないのに、紅糸が急に立ち上がると、上に羽織っていた着物を脱いで帯を緩めた。

「べ、紅糸さん?!」

驚いた総司に向かって、そっと口元に人差し指を立てた紅糸は、少しだけ乱れた襦袢姿になると、差していた紅もそっと紙で押さえた。
ひそひそと話をしていた中身までは隣の部屋には聞こえていないだろうが、艶な気配で盛り上がっていた土方に全く変わりない姿を見せたら、何と思われるかしれない。

そのための、小さな気遣いだった。
紅糸の機転に感謝しつつ、土方が妓達に恨まれる理由も何とはなしにわかる気がした。

紅糸が土方の馴染みになるかどうかはわからないが、以前土方が馴染みだった妓達もよくできて、気配りのできる、いい妓が多かった。そして、その妓達を泣かせてきた土方の評判があまりよろしくはなくなるのも仕方がないことである。

しばらくして、店の者が声をかけに来た。朱色の襦袢に着物を羽織った紅糸が、総司の着物を直すふりを見せて部屋から送り出す。

隣室から土方が出てくるのを階下に降りて待った総司は、連れ立って店を後にした。腕を組んでぶらぶらと屯所に戻る帰り道で土方がにやにやと総司の塩梅を聞こうと肘で小突く。

「ふふん。で?お前の首尾はどうだった?」
「土方さん。なんですよう。店を出てすぐに」
「馬鹿野郎、そんなもんだろ?」

たまの遊びにはと、羽織も袴も脱いで着流し姿だった土方と総司は、そろって袖口に腕を通している。土方は懐から微かに漂う、白粉の匂いににやにやとしていたが、ふと隣を歩く総司の方へと顔を向けた。

「なんだ?お前、香の匂いも白粉の匂いもしねぇじゃねぇか」
「あ、それは、ですね。紅糸さんが気を遣ってくださったからですよ!土方さんとは違いますから」
「お。言うじゃねぇか。だがな、こういうのは男に残り香を移してこそいい妓ってもんだ」

どういう理屈だと突っ込みたかったが、曖昧に笑って誤魔化した総司は黙った。
構わずに上機嫌な土方は、一人話を続ける。

「いいか、若い妓ほど練れてないところがあるからな。そこをどうやって単なる上客ってのから本気にさせるか、それが肝心なんだぞ」
「はいはい。近藤先生がよくおっしゃってましたよ。昔から土方さんは、なんでも戦にするって。それに本気でもないところが罪作りというか」
「何を言ってやがる。互いに狐と狸の化かし合い、それが男と女だろうが。だからお前は修業が足りないってんだ」

何と言われようと総司にとってはそんなつもりは初めからない。惚れこんだ相手でもない相手に誓いを破るつもりなどないから、土方の話も適当に相槌を打って受け流すつもりでいた。

「とにかく、一度は土方さんにお付き合いしましたからね」

もうこれで勘弁してくれと言いかけた総司ににやりと土方が笑った。

「お前、これで勘弁されると思ってないだろうな?」
「えっ?!」
「当たり前だろ。三日は通うのが粋ってもんだ」

よく聞けば、土方は近頃通いなれた妓と終わった所で敵娼が今はいないらしい。
道理で総司を連れて引きまわす気になどなったはずだ。

「え~……。私は、隊務もありますし、土方さん。一人でも十分でしょう?」
「駄目だ。お前の隊務は調整してやるから付き合えよ」
「ちょ、土方さん!なんて我儘な……」

総司が断ることなど初めからわかっていた。だからこそ、土方も自分が身軽になっていることもあって引き回すことに同意したのだ。
屯所の門をくぐると、先に幹部棟へと向かって歩き出した土方は明日も付き合えよ、と駄目押しして去って行った。

「困ったな……」
「おかえりなさいませ。沖田先生」
「うわっぁぁっ!はいっ!ただ今帰りましたっ!」

面倒なことになったと、草履を脱ごうとして大階段に座りこんでいた総司が思わず飛び上がる。背後から聞きなれたセイの声が聞こえたからだ。
慌てて後ろを振り返った総司は、出迎えにきたセイをみて、意味もなく後ろめたい気分になる。

「副長のお供、お疲れ様でございました」
「あ、ええ。はい!疲れました。じゃない……、神谷さん。起きて待っていなくてもよかったのに」
「そんなわけにはまいりません。それに門限までにはお戻りになると思ってましたから。それより、副長。随分ご機嫌でしたね」

総司より、一足先に階段を上がっていった土方の様子をみていたセイは、特に他意なく、そう口にしたが、ぎくっとした総司はあはは、と曖昧に笑って見せた。

「は、はは。そうでしたかね。ご機嫌でしたか。土方さんもわかりやすいですねぇ」
「はー。そんなもんなんですかねぇ」
「そういうものかもしれませんねぇ」

総司が誓いを立てていることを知っているセイは、土方のように総司が妓遊びをしてきたとは思っていない。だが、総司の方はセイがその誓いを知っている事を知らないだけに妙な動揺が走った。
立ち上がった総司と階段の途中にいたセイの視線がぶつかって、総司は思わずじぃっとセイを見返してしまう。

「でも、私はそういう方がいるわけじゃありませんから!」
「はぁ?……別に、そんなこと、聞いてませんけど……」

尻すぼみになったセイは慌ててぷいっと顔を逸らしたが、それでも薄らと頬が赤くなってしまった。喜ぶまいと思っても、ついつい嬉しくなってしまう。それを誤魔化そうとわざとらしく総司を急き立てた。

「さ。早く上がってください。もう灯りを落とす時間ですから」
「はいはい。ただいま」

草履を脱いだ総司が階段に一歩踏み出すと、セイはその先に立って歩き出した。

土方は全く匂わないと言っていたが、いくらなんでもそれはない。セイは、ほのかに漂う甘い香りに、内心ではたった今言われたこともかき消されそうなほど、もやっとしたものを感じていたが、それはぐっと堪えて隊部屋に向かった。

セイが着替えを手伝うと、風呂はもう面倒だと言う総司がごろりと布団に横になった。せめて、遅くても風呂に入ると言ってくれれば、湯も沸かすし、起きて待つこともしたのに横になるとすぐ、総司は寝息を立て始める。

仕方なく、同じように夜着に着替えて横になったセイは総司に背を向けると、目の前の障子の隙間をじぃと睨みつけてから布団にもぐりこんで目を閉じた。

– つづく –