迷い路 31

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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土方の許可を得て、立花屋に向かった総司は、女将に案内されて紅糸を閉じ込めている部屋へと向かった。

「おや。沖田先生」

のんびりした声で出迎えたのは山崎である。格子の内側でのんびりと壁に寄り掛かって茶をすすっていた。

「山崎さん」

どうです?と視線で問いかけた総司に、小さく笑って山崎は首を横に振る。
壁際に座っている紅糸に向かって顔を向けた。

「紅糸はん。ご所望の沖田先生や」

まさか、と思っていたらしく、視線を向けた紅糸が驚いた気配が伝わってくる。身を起こしかけた紅糸は、すとん、と再びその場に座り込む。

山崎はその場を外すことにして、総司の肩に手を置くと、格子から出ていく。代わりに総司はゆっくりと紅糸の近くに近づいた。

「座ってもいいですか?」

こくり、と頷いた紅糸の前に腰を下ろすと、紅糸をじっと見つめる。総司が現れたのは紅糸にとっても、予想外だったらしく視線を彷徨わせた紅糸に、ゆっくりと話しかけた。

「紅糸さん。あなたの言うとおり来ました。……話してくれますね?」

総司にそういわれた紅糸は絶対に言わないと心に決めていた約束が揺らいだ。

「ほんに……。沖田先生がおいでにならなかったら……」

人斬り鬼と言われていながら、優しくて人の心にするすると入ってくる。
総司が、土方を連れた総司が島原に来なければ、こんな風にならなかったかもしれない。

「紅糸さん……」
「ずっと、うちらの様子をみてはるお方がおいでになったんどす。かれこれ……一年になりますやろか」

初めは近くでよく見かける顔だと思った。客ならばまだしも、ただ見かけるからこそ記憶に残る。それに気づいた紅糸は、ある日声をかけたのだ。

「誰ぞ、お知り合いでもおいやすのやろか?」
「えっ?」
「よぉくお見かけしますから気になって」

にこりと微笑んだ紅糸に、驚いた顔を見せた相手はいきなり妓に話しかけられて目を丸くしていた。禿を連れた紅糸は相手の隣に腰を下ろすと、甘酒を頼んだ。
立花屋がよく見える茶屋の店先にいた相手と並んで腰を下ろした紅糸は禿にも団子を頼んでやってぶらぶらと足を揺らした。

「うちの店の誰かがいい人なんやろか?」

客として上がれないほど貧しい身なりにも見えないが、よほどの相手なのだろうと、気の毒になったのだ。紅糸にもこれまで、想う相手がいなかったわけではない。
それだけに、興味本位もあったが思わず声をかけたのだった。

「昔のことです。ただ、今も元気でいる姿をみるだけでいい」

竹串で甘酒をかき回しながら、聞くともなしに聞いていた紅糸は、よくある話に表情も変えずに小さく頷く。
よほど昔の相手が忘れられなくて、この店にいると風の便りでも聞きつけてきたのだろう。興をひかれたのと、小さな気まぐれから始まった出来事が総司と土方を引き寄せることになる。

話のはしばしから同じ店の誰かということはわかっていた。それから、幾度か同じように茶店の前で見かけた男と話をするうちに、ぽつり、ぽつりと少しずつ男の方も話をするようになった。

武家の出だと聞けば、紅糸にはすぐにわかる。店にいる何人か同じ境遇の中でも一番若くて新しく入った桜香の事だろうとすぐに察した紅糸は、さりげなく、一緒に飯を食べた話を始めた。

「お酢のもんは体にもええていうのに、その子は嫌いやていうんよ。贅沢やなぁて話になってなぁ」
「苦手なんでしょう」
「そういうても、ほんの少しのしかも、菊の花なんよ?ところによっては今上はんの菊の御紋とひきあわせてもってのほかて呼ぶところもあるんやさけ、そのくらい我慢して食べたかてええのに、子供みたいに拗ねるん」

可愛らしいことを、という紅糸に、遠い目をした男は昔からそうだった、と一人呟いた。紅糸に聞かせるわけでもなく、ただそう思い、口をついて出たのだ。

「そうかもしれへんなぁ。どうしても食べられへんていうからうちがおいしくいただきました」

すましてそういった紅糸に、くすっと男が笑う。出合ってから、いつも男のくせに泣きそうな顔をしてばかりいた男の笑みに紅糸は放っておけなくなった。
きっと、土方を想うとき、自分も同じ顔をしているに違いないからだ。

「お座敷に、あがらはったら……」

控えめにそう勧めた紅糸に、ほろ苦い笑みを浮かべた男が首を振る。
誰が、逃げられた女にのこのこ会いに行けるだろうか。

「私は、愛想を尽かされたんです。一度は手に入れて、縛りつけてでも傍に置きたがった子供の様だった私は、一人では何もできない。それに愛想尽かしされたんです。だから、私も、いつどんなことがあっても構わない場所に足を踏み込んだんです」
「危ないことをされてはるん?」
「危ないと言えばあぶないでしょうね。一人にならなければ……、新選組に参加しようなんて思ってもみなかった。私は好きな剣術が出来て、命がけの仕事ができる分だけ、女のおかげで踏ん切りがついたんですから幸せ者ですよ」

そう言いながら、もうほとんどない茶碗を持ち上げて、最後の一口を名残惜しそうに口にする。
柴田は、自分は剣の腕もそうたつほうではないから給金もあまり多くないのだと笑った。

「貧乏暮しはなれてますしね。これでも昔よりは贅沢ができるんです。三度の飯も人が拵えてくれますし、着る物に困ることもない。隊に出入りの呉服屋で安く仕立てられますから」
「ほな、たまにはお座敷遊びもええやないですか」
「いえ。それは駄目なんです。日が高くて時間があるときはこうして茶店に寄ってしまうし、夜に時間があるときは、酒を飲んでしまうから、いつもほとんど残らなくて」

だから、座敷に上がるなどとんでもない、という柴田にその金をためておいて桜香を呼べばいいのに、とは言えなかった。
話を聞いていれば桜香の方が柴田を捨ててきたらしいこともわかるだけに、男の面目もあるのだろう。だが、思い切ることもできず、こうして時間があれば様子を見に来るのだ。

柴田と連絡の取り方を決めると、紅糸は、柴田が足を運ぶたびに自分で話をしに来るか、出てこられない時は、禿に文を言づけるようになった。

「どうしてそんなことを?」

話を聞いていても総司にはなかなか納得ができない。そもそも、紅糸のような妓がそんなことをしても何の得にもならないし、桜香の客になるわけでも自分の客になるわけでもない。

それだけではなく、もし店の者に知れたら、足抜けでも企んでいるのかと疑われかねない危ない橋をどうして渡る気になったのだろうか。

「せかやら、まるで自分のこと、見てるような気がしたんどす」

今にも泣き出しそうな、悲しい目をした紅糸はどうしてそこまで土方を想うのか、話し始めた。

 

– 続く –