迷い路 47
〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
BGM:
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「先生。本当にお戻りにならないと……」
「いや、やっぱり戻るのはやめにします」
「え?!」
「私も寂しいですから」
肌を重ねたとしても、何よりも。想い合っているのだという事実が嬉しくて、傍にいたかった。
「だ、だ、だって」
「大丈夫ですよ。朝まで神谷さんに説教してましたっていえば済みますし。それにね。これから随分たくさんの嘘をつくのにも慣れておかなきゃいけないですよね?あなたを守るためにはいくらでも」
「それは、でも、今までも私が女だということを黙っていてくださってましたから」
ふう、と小さなため息が聞こえて、総司は自分以上に野暮天な愛しい娘に言って聞かせることになる。
「あのですねぇ。それは部下だった時の話でしょう?今は違うんだってことくらい、わかってますよね?!」
「あ、あ!あの、いや、う……」
「答えてくれないなら、もう一度初めからやり直しますか」
「ええ?!沖田先生、それおかしいですよ?!」
おかしいのはどちらだといいそうになったが、今は今までとは違う。
叶わない恋に苦しむ者たちもいる中で、こうして奇跡のように想いを交わすことができたのだから。
座りなおしたセイと正面から向き合った総司は、ひょいとセイの頭を引き寄せて口づけた。
「ん!?」
「余計なことを言う口は塞ぐのが一番。さ、昨夜は眠っていないんでしょう?傍にいますからおやすみなさい」
一線を越えたからなのか、総司のねじが一、二本飛んでしまったようなふるまいだったが、強引に抱えられたまま寝かされたセイは、じきに眠りに落ちて行った。
セイの寝顔を見ながら、総司が呟く。
「……離しませんよ。大好きですから」
見え隠れする執着も朝になるまでは暗闇の中に隠しておくことにして、総司も目を閉じた。
それから、半年以上たった頃。
土方は立花屋の座敷にいた。
「ほんに、ありがとうございました。土方副長はん」
「俺は少し声をかけて歩いたけさ」
長々と挨拶をする女将とそんな話をした後、土方は差し向かいになった妓に盃を差し出した。
「祝いだ。飲め」
「ありがとうございます。……副長はんの盃を見るとなんや、またお酒でもこぼしはるんかと今でもどきどきしますえ」
土方がふっと笑うとお銚子を取り上げて、盃に酒を注ぐ。
―― もうそんな真似はしねぇよ。する必要もないしな
紅を引いた唇に朱塗りの盃を寄せて、一息に飲み干すと、指先で紅を拭って土方に返す。酒を注ぎ返そうとした手を土方が止めて、盃を逆さに返した。
「副長はん?」
「今日で俺はお前の馴染みも後見も下りる。世話になったな」
「な、何をいわはるんどす?うち、なんぞお気に触るような真似!」
慌てて立ち上がった土方に取りすがった妓の手を土方はあっさりと払いのけた。
「気に障るも何もねぇ。もうお前に俺は必要ないだろう?桜香、いや、桜木太夫」
異例の速さで太夫に上り詰めた桜香に向かってそういうと、土方は背を向けた。何が起きたのか理解できない桜香は、土方の着物の裾を掴む。
「必要ないなんてあらしません!副長はんがいなかったらうち!それに、うちのことを見張っていたんやないんどすか?」
確かに、総司と共に、紅糸の通夜に現れた時、土方は桜香を野放しにしておくわけにはいかないといって、馴染みになることで暴走しないようにしたはずだった。
だが、くくっと土方は笑って足元にすがった桜香を見下ろす。
「お前ごときを見張る必要なんか、はなからなかったのさ。いくら毒婦の素質があるといっても、所詮お前はお前だ。そんな真似を二度も繰り返すほど馬鹿じゃない。それよりも、一人くらいは夢をかなえた女がいてもいいだろう?そう思ったまでだ」
今度こそ、桜香をおいて、土方は部屋を出ていく。
その場に崩れ落ちた桜香は、胸が引き絞られるほどの痛みに胸元を強く押さえた。紅糸が土方と想ったのと同じように、いつか柴田を女の自分が引き上げてやろうとは思っていたが、胸の奥で、ずっと桜香を支えてきたもの。
それは郭の生活の中で、紅糸と同じように、いや、それ以上に土方に恋した。
だから、すべてを知っていても、黙っていた。柴田がどう思うおうと、紅糸がどう思っていようと。自分の力で土方を捕らえるつもりですごし、あの時からずっと土方は馴染みになってくれていたはずだった。
「なんで……?!喜三郎もおらんのに、うちが太夫になったんは……。副長はんに見合う女になりたかっただけやのに……なんでなん?!」
広い座敷に一人残された桜香は、いつまでもなんでだと呟き続けた。
屯所に土方が戻ると、ちょうど巡察にでる一番隊と価値あった。
「あ。土方さんお帰りなさい」
「巡察か」
「ええ。遊びもほどほどにしないと、いつか刺されますよ?」
「うるせぇ。お前こそ、気を付けて行けよ」
軽口を交し合った土方と総司は、互いにその場を離れると、土方は大階段の方へ、土方は隊列の先頭に戻る。
「さぁ。行きますよ。皆さん。……あれ?神谷さんは?」
「懐紙を忘れたって今……。あ、きた」
慌てて息を切らせたセイが全力で走ってきた。隊列の先頭に駆け寄ると、総司の隣に立って笠をかぶる。
「まったく、そそっかしいですねぇ。行きますよ。神谷さん」
「はい!沖田先生!」
にこっと笑みを交わすと、一番隊は門を抜けて京の町へと出て行った。
現実に歩く道はまっすぐなのに、心の行く先はいつも迷ってしまう。それでも、隣に立つ人がいるのなら。
今日も、歩いて行ける……。
– 終わり –