風は今も吹いているか 1

最終回、ご覧になりましたか?ご覧になっていらっしゃらない方々はぜひお読みになられてからをお勧めします。
今回はネタバレを含む内容になる可能性が高いです。

BGM:From now on
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「……はぁ。さすがにこう毎日走り回ってちゃ足が棒だぜ」

夜半にようやく家に戻った松本は、腰を下ろして疲れた足をさすりだした。埃にまみれて戻ってすぐにトキが用意したすすぎで、熱を持つほど疲れた足は洗い清めてある。
疲れ切った体には何が一番かと言わなくても、トキは冷えた酒をもって松本の傍に膝をついた。

「おう。すまねぇな」

盆の上に乗せた白鳥と猪口に手酌で松本は酒を注ぐ。
くたびれ果てた松本の足を、トキはその手でさすり始めた。今でいうところの歩き疲れてむくんだ足を痛くない程度にさすってもらうことで翌日もまた走り回ることができる。

称副寺からほんのわずかしか離れていないのに、その距離を戻るだけでもくたびれるほどの日々だ。
だからこそ、桜が咲き始めたばかりの頃に千駄ヶ谷に移った総司たちの様子を見ることもままならない。

「……ったく、毎日毎日、切った張ったの患者ばかりで腹が立つぜ」

独りごとの様な呟きに、トキは手を休めずに動かし続けている。
医者の松本にしてみれば思わず口から出てしまうこともわからなくもない。

「今頃、沖田様たちは……、どうなさっておいででしょうか」

黙っていられずに、思わず口を開くと、松本の眉間の皺は変わらないままだ。

「薬は切らさず届けるように言ってあるから、時たま平五郎が取りに来ているようだが、俺もこんな様だ。様子を聞くにも聞けやしねぇ」
「そうでございますか……」

仮寓の八幡宮から近いとはいえ、診療所に足を運んだ平五郎がわざわざこちらに立ち寄るというのもないだろう。
小さくため息をついたトキを見て、松本は口元まで運んだ猪口を下ろした。
 
「二人っきりにしてやったんだ。あとは、悔いのねぇように生きてくれりゃいいんだが……」

悔いのないように。

松本の見立てでも総司の様子はよくはない。というよりも、総司自身の気力が生きたいという方向に向いていない。
江戸に来るまではまだ、再び剣を持つつもりが今よりはあったと思う。

それが、今は近藤や土方と共に行く、とは口にするが、総司自身がそう思っていないのが見て取れる。せめて、セイと夫婦になるまでは、とでも思ってくれればよいのだが、それさえもどこか他人事のような有様なのだ。

「どうして沖田様はあのように頑ななのでしょうか……。沖田様が望みさえすれば神谷様だって女子の幸せを得られるのに……」
「……そうだなぁ。セイの意地っ張りはもうどうしようもねぇが、あれもある意味、武士の娘だからこそていうのもあるんじゃねぇかと思うんだ」
「武士の娘だから、でございますか?」

親に決められた縁であったり、家のためだったり、武家であろうが庶民であろうが、この時代は自由恋愛はまれである。男も女もそれが当たり前でもあった。
偶さか、原田のように想い合って一緒になることもなくはないが、ほとんどは夫婦になるということがどういうものなのか、世の常として理解している。

血を繋ぐこと、家を繋ぐこと。

この時代の結婚とは、生きるためであり、家のためであり、主家のためであり、ひいてはお上のためである。
そうして縁を結んだ相手と、慈しみ合うこともあれば、冷ややかなままであれ、血を、家を絶やさないことなのだ。

足をさすっていたトキの手を取って、もういいという代わりにその手を優しく叩いた。

「そうだ。セイはな。あれで腐っても侍の家に生まれたもので、骨の髄まで武士なんだよ。今は沖田と一緒になったも同然。それであれば沖田の言うことに従う。そして武士としてのあいつは近藤を、土方を、そして沖田を守るのがあいつの仕事でもあり、すべてなんだよ」
「そんな……っ!いくら男と偽っていても、その身は女子ではありませんか。神谷さまはああして沖田様のお傍にいらっしゃるのは女子として好いていらっしゃるからだと、旦那様も十分にお判りでしょう!」

片手を顎に当てて膝の上に肘をついた松本は首を振った。

「そりゃそうなんだがなぁ。お前もわかるだろう?たとえ、これから先、俺がしようがお前なら俺のすることに否とは言わねぇだろう」
「それは……。旦那様がお決めになったことですから。これからどこへ向かわれようと、私は旦那様のお帰りを待ちながらこの家を銈太郎さんを守ってまいりますとも!」
「そういってくれると思っていたぜ!おトキ!」

ぐいっとトキを引き寄せた松本はようやくその相好を崩す。

「旦那様っ」
「いやなぁ。俺が思うに、お前がそういうのと同じようにセイのやつもそういうんじゃないかと思ってなぁ」
「それはっ……。ひとえに沖田様が……っ、沖田様に……」

松本の胸元に縋りついたトキは勢いのまま口を開きかけたが、口を開こうにもその先の言葉が自分の中でもすべて道がついてしまい、続けられなかった。

「旦那様……。私にはどうしてもお二人が歯がゆくて仕方がないのでございます。あれほどお互いに想い合っていらっしゃるのに……」
「まったくだ、といいてぇところだが……」

あとは悔いがないように、とただ願うしかできない。
時が時であれば、ただ普通の武士と、その妻として幸せな日々を過ごしたかもしれない二人だが、この幕末の乱世に出会い、共に修羅の道を歩いてきたからこそ、誰よりも深く、心の奥底でつながっている。

「どっちも嫌ってぇほどの頑固者だからなぁ。いっそ、それならそれでその意地をどこまで突き通せるのか、やってみりゃいいんだ」「またそんなことを……」
「いや……。本気さ。そうして、これから先の世の中ってやつを見定めりゃいい。俺ぁそう思うぜ」

トキには、松本の言葉がどうしても素直には頷けなかった。

―― 女子の夢と、殿方の夢とは違います。だからこそ……

松本とトキの想いは違っていても、共に望むことはセイにややを望む。

命を繋ぐことは、想いを繋ぐこと。

トキはさておき、松本にも、近藤や土方にも。
そして、慶喜や容保らでさえ、頭の片隅にはすでに確かなものがあった。この大きな流れは止められぬと。

止められぬからこそ、その先を見定めたいと思う。
見定め思うように変えようとする。

命が尽きることを知るものと、尽きた先を思うものと。

「……天命を覆すなんてこたぁ、考えても仕方がねぇ。だけどな。寿命ってやつも本人の気力次第だ。それがあれば十日が半年、半年が一年にも五年にもなるもんだ」

しみじみそういった松本は、ゆるゆると横になった。

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