風は今も吹いているか 10

なんとか、今のところ、何を~!!というお声をいただいていないので、セーフなのかなと思っていますが、いかがでしょう。
あと1話分くらいで44巻終わります。

BGM:From now on
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

蚊が増えてきたということで総司がいる場所の上に蚊帳を吊ってから、総司の部屋というよりも夫婦の寝室になった。

セイが立ち働いているところを見ているのはまるで御簾の中という状態だ。

「え、っと、旦那様。今日は少し懐かしい味にしてみましたよ」

うとうとと、転寝をしていた総司のもとにセイがかつお節をたくさん使ってたっぷりの餡をつくった。
それを白粥に垂らすようにしてかける。

「ああ……。美味い」
「お気に召していただけて良かった……!」
「不思議ですね。この前はあんなに……。すべてあなたのおいしいご飯のおかげですね」

セイが松本に言われたように、総司が下痢をするようになっては十日と持たないといわれたが、少しの間、腹をくだしていたものの、奇跡のように持ち直した。

そして、愛おしさだけを胸に穏やかな日々を過ごす。

「なんだかいいですね」
「なにがです?」
「蚊帳をつったことで、本当に神谷さんとの隠れ家って感じがする」

まるで子供の隠れ遊びのようだ。

「旦那様……」

微笑んだセイは、女子のふりではなく、本当に総司の妻として過ごすことにしみじみと幸せを感じた。

食事も洗濯も今までと変わりがないのに、一つ一つが愛おしい。

「旦那様!平五郎さまが蛍をくださいました!」
「おや。すごいですね。蚊帳の中に放しましょうか」
「よろしいのですか?」
「もちろんですよ」

総司の許しを得て、セイは虫かごを部屋の中の日の当たらない涼しいところにかごを置いた。

日が暮れる頃、総司はセイが食事の支度をしているころ、そっとかごを引き寄せて中を覗き込む。

「……光ってくれますかねぇ」

そうして、二人そろって、食事を終えた後、総司がそっと蛍を放した。

「わぁ……」
「夢見たいに綺麗ですね」

総司が寄りかかっている布団の傍でセイがそっと寄り添う。

ふわり、ふわりと蚊帳の中で光っては消え、また別の場所で光る。
瞬く星空のような美しさだ。

「――嫌になるなぁ……。こんな情けない身の上なのに……。幸せだなんて……」
「――私も、嫌になります」

ほのかな明るさの中で、満ち足りた総司の顔を見ているだけで胸がいっぱいになる。
じわりと涙が浮かんできた。

こんなことで泣くなんてと想いながらセイは涙ぐんで胸元に手を添えた。

総司がこうして二人でいることを幸せということがどうしようもなく胸にくる。

「本音じゃないとわかっているのに嬉しくてたまらない……」

叶わないと思っていたのに、妻にまでしてもらい、こうしてすべてを預けてくれていることが嬉しい。

そっとセイの手を握った総司が、申し訳なさそうにその手を口元に引き寄せた。

「……神谷さん」
「旦那様……」

驚いたセイが目を見開いていると、総司はどこか申し訳なさそうな顔で視線をそらした。

「……あなたにはたくさんのわがままを聞いてもらっているのですが」
「はい……?」
「その……、もし、あなたが聞いてくれるなら」

私の本当の妻に。

「……あ……っ」

小さくつぶやいたセイはその意味を理解して、驚いた。確かにこのところ、総司は体を起こしている間もあまり苦しそうではなく、穏やかに過ごしてはいたが、互いに意思を伝えあっただけの関係だと思っていた。

「……すみません。こんな身で浅まし」

途中まで言いかけた総司の肩にセイはそっと頬を寄せた。

「……昔、お里さんに聞いたことがあります。花街には労咳の客が多いと」

限られた命の炎を遺そうとするように、花を求める者が多いのだそうだ。
弱った体ではと思うのだが、かえって駆り立てるものらしい。

「……いいのですか」
「嬉しい、と思ってはいけませんか」
「……ありがとう」

掴んでいた手からそっと、腕に滑らせる。
夜着の内側に触れた総司は、ぎこちなくセイを引き寄せた。

「ごめん、なさい。その……。不慣れなのでうまくできなかったらごめんなさい」
「いえ……。あの、私も……」

互いに囁き合って、顔を見合わせてから互いにふっと小さく微笑んだ。

「ずっと、あなたと一緒にいたのに、おかしいですね……」

指先が震えるほど、緊張し、そして総司の心が震えた。
とうにしなくなったさらしのない胸に骨ばった手が触れる。

互いに初めてであったが、陸み合う、という言葉が当てはまるように小さく囁き合いながら触れ合う。
時折、セイはすっかり薄くなった総司の胸に涙を浮かべたが、同じようにセイの肩に残る傷をみて、総司は丹念にそこに触れた。

「この傷……。こんな傷を残してお嫁に行けなくなると思ったものですよ」
「でも、こうして……」

総司のもとに嫁ぐことができた。
弱っている、とはいえ、セイを抱えるくらいにはその力は鍛え抜いた男のものだ。だが、セイは総司の無理をどうしても押しとどめた。

「これでも先生方と一緒に何度も花街に足を運んでいました」

お里から聞く、といってもその手管を教わったことはない。だが、原田や永倉だけでなく、ほかの者たちの始末も含めて何度も通っていれば、嫌でも色んなことを耳にする。

初めてのセイには辛いだろうと総司もなかなか頷かなかったが、セイの手に触れられてうっすらと頬を赤らめた総司が渋々と受け入れた。

「……ぁ、う……」
「か、神谷さん。無理は……」
「だ……いじょうぶ」

体を引き裂かれるような痛みも、怖いよりも喜びのほうが勝る。

ぴたりとまるでずっとそうなることが定められていたように。

鼻先が触れ合うくらいの近さで見つめ合った瞬間。
どちらともなく、涙がこぼれたセイの頬を総司は自らの頬を摺り寄せて拭った。

―― あたたかい……

「……あなたは……本当に」

―― せん……せい……

言葉にしなくても伝わる何かを感じながら、濃密な時間が過ぎる。

寄り添って、セイが眠ってしまった後も、総司は起きていた。午睡をしているとはいえ、ほんの少しも眠くなかった。
傍にいるセイが愛おしくて愛おしくて。

セイを妻にと求めたとき、心に定めたことを覆して、いっそ自分とともに連れて行こうかとも思ってしまう。

手を触れることなく寄せ合ったときに感じるような静かな温かさと、冴え冴えと凍り付くような執着。

その葛藤を超えて、朝日が昇るなかで総司は残された日を少しでも長く、少しでも寄り添って生きようと思った。
どれほど悩んでも、答えはとうに出ている。

「……ん」
「おはようございます。神谷さん」
「おはようございます。旦那様。ずいぶん早くお目覚めになっていらっしゃったんですね」

眠い目をこすりながらセイは体を起こした。

「……ぁ」

違和感を覚えたセイが小さく呟いてから、ぱぁっと顔を赤くして立ち上がる。

「神谷さん?」
「いえ……。なんでも」

急いで蚊帳を出たセイは、着物を手にして台所の片隅に向かう。
手拭いで身を清めた後、着替えたセイは顔を洗って朝餉の支度にかかる。

時折、体を動かしたときに節々が痛む。そのたびに、幸せがこみあげてくる。

総司に無理をさせたのではないか、かえって苦しませたのではないかと心配していたが、今朝の様子では大丈夫そうでほっとした。

「神谷さん」
「だ、旦那様?!」
「おいしそうですねぇ」

起きだしてきた総司に驚いたセイが振り返ると、柱に寄りかかって微笑んでいた。

「駄目じゃないですか!起きだしてきちゃ」
「大丈夫ですよ。少しぐらい」
「そんな……」

慌てて手を拭ったセイが近づくと、片腕でセイを引き寄せた。

「せめてあなたを引き寄せられるくらいではありたいと思いますので」
「……そっ」

顔を赤くしたセイに悪戯っぽく笑った総司はぎゅっとセイを抱きしめたあと、それでも大人しくしてますね、と言って布団に戻っていった。

—続く