風は今も吹いているか 11

いよいよ、44巻終わりました。
先日、ようやくコメントをいただいて、ちょっとほっとしています。
違うだろとか、なんだと言われたらどうしようかなぁと思っていたので。。。
色々考察をされている方もいらっしゃるようなのですが、過疎地に引きこもっていますので
あまり追いかけてみることができていません。
もしかしたらどなたかの考察通りかもしれませんが、参考にしたりしているわけではないので
その点はご容赦ください。
いよいよ、最終回にはいりますので、引き続きよろしくお願いします。

BGM:From now on
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「ねえ。聞いてるんですか?神谷さん」

背を向けたセイが着物を畳んでいる背中で総司が繰り返している。

「こっち向いてくださいよ」

ある日の朝、しつこく総司が繰り返すことにむっつりとセイはへそを曲げていた。

「私ね。実は土方さんにあなたへの遺書を預けてるんです。だから私が死んだら必ずそれも受け取ってくださいね」

何度目かの夜があけた朝に、なぜこんな話をするのかとセイは腹立たしくてならなかった。

「読みたいですけど聞こえませんっ」
「?なんですか、それ」
「“神谷さん”なんて人、ここにはいませんから、呼びかけても聞こえないんです!」

枕まで交わしてもそれだけは他人行儀なままの総司に、セイがかみついた。
その腕の中にいるときでさえ、“神谷さん”と呼び、それなのにもう一心同体だといい、そして遺言を受け取りに行けと言う。

―― それは、あんまりいくら何でもあんまりじゃありませんか……!!

「それだけは勘弁してください……」
「だから何故?!」
「は……恥ずかしいからに決まってるじゃないですか……」

セイ、と呼んでしまったら、心の内側をすべてさらけ出すようで。
何もできないくせに、人一倍執着している自分自身を知られてしまうようで。

「悔いて……いらっしゃるんですね。私を妻にと仰ったこと……」
「違います!!そうじゃなくて……!」
「私ばっかり幸せみたいで……」

それでも、どうしてもこれだけは譲れない。
そう思って、セイには何としてでも聞いてほしかった。

その遺言を。

そして。

「なんだか今日はとても気分がいいんです」
「それは何よりです!」

その日が来ても。
いつも共にあると。

だからどうか。

「本当に今日は風も涼やかで気持ちのいいお天気ですよ。フクもきっとこの風に誘われて……」

庭に降りて、フクを探そうとしたセイは、初めて総司に呼ばれた気がした。

『セイ』

「え。旦那様……?!」

ただ眠っているように見えたのに。
それはどうして、伝わるのだろう。

どうにもならない事実は、手を触れることもなく、確かめることもなくとも、もうそこにその人がいないと、まざまざとわかるのかと思う。

振り返ったその人がもう、ここにはいない。
ただ、涙が静かにあふれ出した。

「はい。旦那様――……」

沖田総司という人の、かけがえのない時間を。
共に過ごし、武士としての生き方も妻としての生き方も与えてくれた。

「――ありがとうございました」

命を最後の一瞬まで燃やして。

ゆっくりと総司の傍に膝をついたセイはそっと目を閉じて動かないその人に語り掛けた。

「どうぞ……、ごゆっくりおやすみなさいませ……」

どうせ、止まることがないとわかっているから、セイは流れるままにして、総司の体をどうにか布団に横たえた。
まだぬくもりの残る体に触れても、もうセイに触れることはない。

黙って傍に座り続けたセイは、しばらくして二人の布団の枕元に常に置いていた短刀に手を伸ばした。

「聞こえましたよ。確かに」

さらりと、総司の髪に触れる。

「今生の最期の最後に私の名を呼んでくださいましたね」

妻としてよりも、武士としてのセイの気持ちがすべきことをしろと言っている気がした。

手が震える。

「――あれは……、『追いて来い』という意味だって……、受け取ってもいいですよね……?」

総司の後を追うことに恐れはない。ただ、誰も知らない間に、総司の傍で一人で逝く。
それはこの家を貸してくれている平五郎にも申し訳ない気がして。

せめて、フクが二人のことを見送ってくれればいいのに、と思っていたらどこかで猫が鳴いた。

「フク?!」

抜いてしまった短刀と鞘を放り出して庭に駆け下りた。

「どこに行ってたの?!今朝からずっと探して……」

猫でもいい。
今一人ではなく、傍にいてくれるなら。

駆け下りたセイは、鳴き声がしたはずと黒猫の姿を探した。

「フク?!どこ?!フク――……!!」

駆け下りた後、周りを見回してはっと気づく。

縁の下に丸まっている黒猫が動かないことにセイはますます、胸が苦しくなる。

「……なんなのよ。ふたりして……。こんな……、こんなのあんまりじゃない……!」

自分一人を置いて、総司もフクもそろって同じ時に逝ってしまうなんて……。

動かないフクを抱き上げたセイは、その小さな頭を何度も撫でた。

猫は長生きするというのに、フクはまだ年寄り猫ではなかったのに、こんなに急に、それも早く逝ってしまうなんて。

「――……。ありがとう。やっぱり福猫だったんだね。お前……。自分の寿命を旦那様に分けてくれたんだね。そうして旦那様が寂しがらない様に、一緒に逝ってくれたんだね……」

泣きながら、縁側を上がったセイは、総司の隣にフクを寝かせた。
総司に寄り添うように眠る猫と。

「旦那様って何回呼んだんでしょうね。それでも沖田先生って呼んでいた時のほうがうんと長い気がします」

そういえば、野暮天ってよく先生いわれてましたよね。
私も言ったかも。

だからでしょうか。

フクも野暮天猫ですね。

ぽつ、ぽつと、たった一人、話し続けるセイは、くすぐったくなって、両方の頬を押さえても、止まらない涙に俯いてしまった。

「野暮天猫め……。そこは私の場所だったのになんで邪魔するのよぉ……」

先生。
沖田先生。
旦那様。

こんなに幸せを感じたことはないと思っていたのは、いつかこういう時が来るとわかっていたからなのに。

―― こんなにも覚悟していたはずの自分が情けないと思いませんでした……

放り出していた短刀を鞘に納めて、胸に抱えたセイは震える手のままで総司の枕元にそっと置いた。

泣きながら、答えのない部屋の中で一人つぶやき続けたおかげで、どこか冷静になったようだ。

平五郎の声で頭を上げたセイは、畳に手をついて立ち上がった。

—続く