風は今も吹いているか 12
難しいと言い続けていますが、この戊辰戦争のあたりは、語ればいくらでも語れそうな気がします。
ただ、最終回でだいぶサマっていらっしゃいますので、あまり深堀しない方向にしています。
実際には、風を追いかけ始めてから会津にも行きましたしね。いろいろ話をおいかけもしたのですが、
そこは完全に会津の話になりますのでね。この最終回に風として収めるにはいいサマリ具合だったのかもしれないです。
お付き合いくださりありがとうございます。
BGM:From now on
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まだ、追い腹を切るわけにはいかない。
立ち上がったセイは、平五郎と顔を合わせて諸事、頼みごとをした。
平五郎が支度を済ませるまでに、セイは総司の身を丁寧に清めて支度を整える。
平五郎が先に寺にも知らせを走らせてくれていたおかげで、その夜の遅くないうちに総司とフクを眠らせてやることができた。
「ご心配なく。追い腹を切るような真似は致しませんから」
そういってセイは、一人離れに戻った。
「こんなに広かったっけ。この部屋……」
総司の位牌と、短刀の傍にポトガラを置く。
一度は覚悟も何もかも衝撃で吹き飛んでしまったが、我に返ってみれば追い腹を切るなんてできなかったのだ。
やるべきことはまだまだ残っている。
初めに、きちんと総司を送ることだ。平五郎夫妻の手を借りて、無事に沖田家の菩提寺に送り届けることができた。
いずれ、日野の総司の身内にも連絡をしなければならない。その前に、まだセイがやることは残っている。
部屋だけでなく家のあちこちに残る思い出とともに、セイは日々を過ごした。
その意味を総司は理解していたのだろうか。
―― たぶん……。旦那様はわかっていらっしゃったんでしょうね
その答えを知ることはできない。土方のところに行くまでは。
この家を出たら、包み込まれるように世上の早い流れからも離れたこの淵から出てしまえば、たくさんの目を伏せてきたことにも目を向けなければならない。
それまで、あと少しの間、夢の続きを見ながらセイは愛おしさを抱えて過ごした。
その間にいつか土方のもとへ行くための支度をしながら。
およそ半月の時間は、この先までセイが歩いていくために必要な時間だったのかもしれない。
そして、時がきて、セイに歩き出すことを促した。
ずっと、離れの家から出なかったセイには、わかっている。身支度を済ませて、荷物を担いだセイが、総司の元に向かった時にはもう、あの隠れ家に戻ることは二度とない。
総司の眠る専称寺に向かったセイは、総司の元で手を合わせた。
ひとまず情報集めから始めるにしても町の中で話を聞いて回るには、セイの格好は町の女子姿だ。そんな者が噂を聞きまわっていれば官軍にすぐ疑われてしまう。
寺を出てすぐ、新政府軍の取り締まり騒ぎの場で回りの声を聞き取ったセイは、ひとまず松本の仮寓に向かった。
「まあ、神谷様!」
「良かったぁ。トキさん、よくぞご無事で!」
銈太郎とともに、総司を送ったことを報告したセイは、二人が知る限りの情報を得て、会津に向かうことを話した。
だが途中でそれは、断念することになる。
なぜなら。
会津は長い戦いの上に、敗れることになるからだ。
宇都宮まではその足跡を追うことができたが、それから先は新政府軍と、会津のもとに集う旧幕府軍ばかりでなんの後ろ盾もないセイが女子姿で向かうなどとてもできなかった。
その間の土方の心中はいかばかりだったろう。
負傷した足をかばって戦いに出られない間、会津まで運ばれながら増えていく会津に賛同する人々。
それらを見ていて、何もできない自分。
会津は、どこまでも士道を掲げ、その通りに戦おうとする。
耳にする戦況に、時として腹を立て、やり切れない思いに胸が苦しくなる。
―― くっそう。近藤さん!あんたがいれば……
近藤さえいれば、自分と二人、会津の為に戦い抜くことができるのに。
歯噛みするような状態がこれほど長く続くとは、土方も思っていなかっただろう。
原田も永倉もいない。山口もいない。
今生きている、土方が腹を割って信頼できる同志はもう誰も傍にいないなかで、気力だけが頼りだった。
「久しぶりに美味い飯を食いました」
「いやどうもお粗末さまで……」
「ごちそうさまでした」
「少しでも元気出してもらえだら……」
給仕に現れた女子の話から、土方は嫌な予感を覚えた。
「局長が?なんです?!」
「ああっすまねなし。勘弁してくなんしょ!」
まさか。
俺だけが。
痛む足を引きずって、松本の元に詰め寄った土方は、最悪の結末を知る。
「何故!!」
そんなことになるのなら。
「そこまで……非道な扱いを受けさせる位なら何故あの時死なせてやらなかったんだ――俺は!!」
武士とは。
土方の手に残ったのは、仇を討つというただ一事のみとなる。
土方をはじめとした、会津に集う武士たちの狂おしいまでの思い。
士道をあくまで掲げるものたちと、それさえ廃してなお、新しい世の中を築こうとする政府軍とは、相容れるものではなかったのかもしれない。
それは慶喜のように考えられなかった者たちの思いが、変化を受け入れられなかったともいえる。ともに目指すのは、すべての者たちの幸福だったのかもしれないが、西洋でもそうだったように、血で贖わなければ新しい世の中を生み出すことはできなかったのだろう。
—続く