風は今も吹いているか 3
今日は少しだけ早いですよ。もう少し早くアップしていきたいのですが、なかなか難しくて申し訳ない。
今回ばかりは早く書き上げたいと思っているところです。
BGM:From now on
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「……先生?」
どうやら台所で自分の朝餉を済ませたらしいセイがひょいと洗い物を手にして庭先に姿を見せた。
ん?と顔を向けた総司に、不思議そうな目を向ける。
「どうしたんですか?なんだかひどく懐かしそうな顔をなさってますけど」
「ああ。少し昔のことを思い出していたんですよ」
「昔……ですか」
水を汲んだ盥を用意しながらセイは、総司の話に相槌を打つ。総司が起きているときは目の届くところにいて、ゆるゆると話をしている。そうすれば、総司の様子に障りが出た時はすぐに傍に寄れるのだ。
「そうですよ。昔……、ろくに剣も握れなかった神谷さんは色白で可愛かったなぁとか……」
がくっ、と膝をついたセイはじっとりと恨みがましい目で総司を睨む。
「そりゃそうでしょうとも!昔は確かに色白でしたけどね!……それでも、黒くなろうと力もついたおかげでこうして先生のお世話ができるんですから構いません!」
「ははっ。そうですねぇ。昔は私のほうがあなたのお世話をしていたんですけどねぇ」
「何をおっしゃいます。もうずんとまえから先生のお世話ができるようになっていますよ?」
屯所で、総司の着物を整えたり、洗い物をしたり、飯の支度をしたり、そんな日々がもうだいぶ昔のようだ。
「ねぇ、神谷さん?決して……、その今更どうこう言う話じゃないんですけどね。神谷さんがもし女子のままだったら、今頃子供の一人や二人、いたかもしれないですよねぇ?」
一瞬、険しい顔をしたセイは思い直してから洗い物の手を止めて少し上を見上げる。
「そうですね。それはそうだと思いますよ」
「そうだとしたら、どんなおかみさんになっていたでしょうねぇ。もしお嫁に行くならやっぱり武士ですかね」
「どうでしょう。父が生きていれば、同じお医者だったかもしれません」
もし。そんな未来があったら。セイは総司とは出会わなかったかもしれない。
「でも、あなたなら、きっと立派な武士の妻だったでしょうね」
「うーん。どうでしょう」
「なっていたと思いますよ。きっと」
総司の頭の中には、女子姿で子供を連れたセイの姿が見えるようだ。
そして、そんなセイはきっと……。
洗いものを終えたセイは庭先に干しながらくすくすと笑いだす。
「きっとなっていたとしても貧乏御家人じゃないでしょうか。そしてこうして旦那様の着物を洗って、繕い物をして過ごしているかもしれません。……って、ああっ!その、旦那様というのはもし、という話ですからっ!」
うっかりと口にした言葉を誤解されないように慌てて言いかえる。薄っすら赤くなったセイをみて、総司のほうもどぎまぎと顔を背けた。
「わっ、私だって旦那様なんて呼ばれたことはありませんし!これからだって……」
呼ばれてみたいのは一人だけですけど。
それは口にしないのが花とばかりに、総司は言葉を濁して布団から起きだした。縁側に腰を下ろして日差しを浴びながら庭先を見て再び目を細める。
「こうしてここにきて落ち着いてから、よく昔のことを思い出すようになったんですよ。試衛館もこんな感じでした。稽古が終わると皆で庭先で一緒に稽古着を洗ったりして」
「局長の……」
「ええ」
もう、あの頃の顔ぶれの中からは零れ落ちるように姿が消えているのだけれど……。
総司にも、松本の仮寓でのやり取りを見ていて、永倉と原田の顔がないことには気づいていた。そして、その様子から、袂を分かったことも何となくは推測がついた。
近藤の悲嘆にくれた様子と、土方のいつにない様子。
それだけで察してしまう、そして察しても何もできずに床に就いている自分が情けなくて仕方がなかった。
思わず起き上がって、会津への同行を申し出るくらいに。
「私はね。神谷さん」
もう刀を握ることはできないかもしれない。
自分自身でもそう感じていた。というよりも、自分自身が誰よりも自分のことはよくわかっている。
剣を握っているとき、体の筋、一本一本まで気が行き届いて、体の隅々まで思うように動かしていたのだ。
だからこそ、当初はどうすれば誤魔化していられるか、この病を抑え込んでおけるかわかっていた。セイにさえ、あれほど長く隠し通せたのもそのおかげである。
「最後は、近藤先生の傍がいいなぁと思ってるんです」
「沖田先生っ!最後だなんて縁起が悪い!」
きっ、と振り返ったセイが縁側に駆け寄る。
だが、総司はセイを見ながら、そこに今はいない者たちを見ているような目をしていた。
―― だって、剣も振るえない私が、近藤先生のお傍にいて何ができるのかというと、せめて盾になって死ぬことくらいしかないじゃありませんか
セイにはそれは言わなかったが、ただそれだけのためにもう一度、近藤の傍に行きたい。
その口にしなかったことを、セイは確実に聞き取ったようだ。
ぐっと腹に力を込めたセイが目を見開く。
「沖田先生!いいですか。願うならもっと大きなことを願うくらいでいいんです!だから、今先生が思うべきなのは、早くよくなって、会津に向かって、局長や、副長や隊のみんなと一緒になって、士道を貫くことです!局長のお傍に行くだけでいいなんてその手前の手前のところじゃないですか!」
「……え」
「だから、まだまだ足りませんよ!もっと先まで行くために、まずは局長のお傍に行くんです!だから先生はもっと良くなるんです!」
強く、確かにそうなるのだという目力に押された総司は、ぷっと吹き出した。
「あははっ。本当にあなたには適いませんね。そうやってあなたもここまで来たんだと思ったら、なんだかそんな気がしてきますよ」
剣もろくに握れなかったセイが、敵を討つことだけを思って男の姿で最も厳しいだろう新選組に入り、そして、その間に、武士として生きると心にきめて、総司のことを主君というようになり……。
どれだけ心が折られそうな日々も、どれだけ気力だけではやりきれない日々も超えて今がある。
「ええ。だから先生は日々よくなられていますし、これからもどんどん良くなるんです!そして私と共に、局長たちを追いかけて会津に向かうんです!」
痩せて、節ばかりが際立つようになった総司の手をセイは思い切り握り締めた。
—続く