まちわびて 2
〜はじめの一言〜
久しぶりに登場です!ご無沙汰~!
BGM:
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「遅い!」
総司が部屋に入る前にその怒鳴り声は聞こえてきた。
他に誰かがいるわけでもなく、その声は明らかに総司に向けられている。開け放った障子の前に立った総司は呆れた顔でため息をついた。
「稽古していたんですから身支度に時間がかかることくらいお分かりでしょうに」
「うるさい!俺がどれだけ前にお前を呼びにやったと思ってるんだ」
「我儘ですねぇ。そんなにお腹が空いたっていうんですか?」
すでに副長室には膳が二つ並んでいて、じりじりとした思いでそれを眺めながら土方が待っていたことは想像がつく。
だが、それにしてもいつもにまして気が短い気がした。
「あれがいないんだ。たまにゆっくりできると思ったらお前が無駄に遅いから飯が冷めただろうが」
ぶすっとむくれた顔の土方をみて総司がぽん、と手を打った。
「なあんだ。土方さんたら、神谷さんが出かけてしまったから寂しくなったんですね?もう嫌だなぁ。子供みたいなんだから。年下に甘えるのは九つまでにしてくださいって、先におねがいしたじゃありませんか」
「ばっ!!ばばばば、馬鹿なこというんじゃねぇ!俺がいつあの豆鉄砲がいないから寂しいなんて言った?!」
「あれ?違うんですか?」
おかしいなぁ、てっきり……、とぶつぶつつぶやいている総司に今度は土方の方が引きつった顔を向けた。
セイが出かけたことで、総司が手持無沙汰にでもなっていたらと昼飯に声をかけたというのに、土方の方が寂しいのだろうと言われれば怒鳴りつけたくもなってくる。
―― 何度も言うが俺にその手の趣味はねぇって言ってるだろうが!
ぎりぎりと奥歯を噛みしめた土方が腕を組んで、憮然としている姿を見てやれやれと肩を竦めた総司は、お櫃を引き寄せて、飯をよそった。土方の膳の上に、飯と汁物を乗せると、自分の分もよそう。
「お待たせしました」
「待ちくたびれた」
ぶすっとしたままで箸に手を伸ばした土方が、じろりと総司を睨んだ。
―― いまんとこ、変わりはねぇようだが……
セイが何日か出張で隊に不在と言うのはそうあることではない。ごくたまにの出来事だがそのたびに、言ってみれば総司がおかしくなるのだ。
今回もそうなる前にと声をかけたのだが、今回はいつもの総司と変わりがない気がする。
「……まあ、まだ初日だからな」
「はい?」
「いや。お前、今日明日は非番なんだったな」
「ええ。昨夜、夜番でしたからね。こんな日に神谷さんを出張に出さなくったってよかったでしょうに」
一日を争うような用事ではない。せめて、今日は一日ぐっすりと休ませてから出立させてやりたかったが、いくらも眠らないうちに出かけなければならなかった。
「たかが大阪じゃねぇか。江戸へ行ってこいと言ったわけでもねぇ。大したことねぇだろうが」
「土方さんも意地悪ですねぇ。どうせ京屋さんへ行かせた後、万太郎さんやほかの用事は全部、明日以降にしてあるんでしょう?神谷さんが一人でゆっくりできるようにって」
否定も肯定もせずに、土方は黙々と箸を動かす。香の物を口に放り込むと小気味いい音をさせた。
「まあ、土方さんが素直じゃないのは今に始まったことじゃありませんけどね」
「……しつこいぞ」
薄らとその頬に照れを見せた土方に笑みをかみ殺した総司は、はいはい、と呟いて自分も寄せ豆腐に箸を伸ばす。
柔らかな豆腐に煮しめた椎茸やなにかがきれいに顔を見せていて、葛餡がとろりとかけられている。そう言えば、セイがこの寄せ豆腐が好きだったなと思い出した総司は、一瞬、箸を止めてから一口でそれを口に入れた。
「ん!おいしいですねぇ」
料理は昔と違って、今は小者達が作っているが、江戸出身の近藤をはじめとした隊士達が口にしても上手いと唸るようなものを作る様になってきていた。
初めは京風の味付けがほとんどの隊士達にとっては口に合わない者が多かったのだが、セイが時々賄を手伝うようになって、少しずつその味付けが変わってきたのだ。
ほかの者たちでは、東夷と反発していた者たちも、セイの素直な様子に少しずつ彼らの好みを取り入れるようになり、今では小者達自身も京風と江戸風の混ざった味付けは大のお気に入りになっていた。
「昔は苦労しましたよねぇ。壬生の貧乏時代はお金がないから自分たちで作ってましたけど、だんだん所帯が増えて八木さん達の手を借りないとやっていけなくなって、それからここにうつってからも、なかなか小者達も居ついてくれませんでしたから」
同士だと言っても、武士ではない彼らに武士然として頭ごなしに言いつけられるのは、どうしても小者達にも耐えかねる者たちが多かったのだ。
当時にしては珍しい現金支給やほかの方向よりも格段に身入りのいい場所だったから、次々と応募者は絶えなかったがやめていく者たちもそれと同じくらいに多い。
ようやく近頃は落ち着いてきたが、一時は小者がいなさすぎて、賄を隊士達が順繰りに持ち回りしていた頃さえある。
「ふん。まあ、この飯の味だけは神谷の手柄といえなくもないな」
隊の中での細かい雑用や、細々したことは、一つ一つは些細なことでもあれもこれもと重なると、存外大きな違和感になる。
当の土方でさえ、口には出さなくとも難儀していたのだ。
「不思議なんですよ。神谷さんがいないと、無事にお仕事を務めてくるといいなと思ったり、ゆっくりたまには羽を伸ばしたらいいと思ったり。これってあれですね。つまり、親心みたいな?」
周りで見ている分にはとても親心とは思えないのだが、本人は本気でそう思っているらしいから性質が悪い。
空になった茶碗をおいて、湯飲みを手にした土方は、ふむ、と表に視線を向けてから考え込んだ。
「この後、お前、特に何もないんだな?」
「嫌ですねぇ。私だってたまにはゆっくりすることもありますよ」
「そうか。それなら、夕刻、少し付き合え」
「えぇ~……」
露骨に嫌そうな顔をした総司をじろりと土方は睨みつけた。少しも悪びれずに、土方さんのお供は疲れるからなぁ、と総司が正直な感想を漏らす。
「花街に付き合えというならお断りしますよ。私だって、たまには……」
「馬鹿。お前ももう少し上手に妓遊びの一つや二つできるようになれ。……たく、そうじゃねぇよ。たまには近藤さんのところに顔を出すのもいいだろうってことだ」
お考が、土方やほかの者たちがあまり顔を見せないことを気にしているとは近藤から聞いていた。別段、格別のわけがあるのではなく、単に、休息所にいるときぐらいは仕事のことを忘れた方がよかろう、という理由とせっかくお考と過ごす時間を邪魔しないようにというだけのことだった。
「たまには顔を出せと言われれば余計に、一人じゃ顔を出し辛いからな。お前が特に暇にしているならそういう時こそ、都合がいいだろう」
「無茶苦茶な理由だなぁ。でも、そう言うことなら仕方ありませんね」
「よし。それなら、小者に行って休息所に使いをだしておいてくれ。近藤さんが戻ったら俺が後で話しておく」
「わかりました。それなら私は少し表に出て、お考さんへの手土産でも買い求めてきますね」
そういうところだけは気が回る総司は、さてとどこの饅頭がよかろうか、どこの甘味がよかろうかと考え始めた。
– 続く –