風の行く先 1

〜はじめのひとこと〜
拍手お礼画面にてタイムアタック連載中のお話です。

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朝は快晴だったのに、昼過ぎから急に雲が広がってきて、あっという間に空が黒い雲に包まれた。
昼から巡察に出ていた藤堂は、頭からずぶ濡れになって屯所に戻ってきた。 先に隊士達を風呂場に向かわせておいて、濡れた頭を手拭でごしごしと拭きながら廊下を歩く。

「あれ?」

幹部棟の端で一人蹲っている姿がある。見慣れた前髪にポンと手を置いた。

「どしたの。神谷?」
「あ……。藤堂先生」

泣いた後なのか眠いのか、目をこすりながらセイが顔を上げた。

「ひどい顔だね。ああ、ちょっと待ってて」

すたすたと歩いて行った藤堂はしばらくしてから乾いた羽織を持って現れた。ばさっとセイの頭からそれを被せる。羽織越しにもう一度頭を軽く叩いた。

「おいで」

もこっとした頭が頷いて、伸び上がると頭に置かれた手に従って、後をついてくる。
隊部屋に戻った藤堂は先に乾いた着物へと手早く着換えると、まだ濡れた頭に手拭を乗せた姿に、羽織をかぶったまま蹲っているセイを連れて、幹部棟へと向かった。

局長室も副長室も今日は主がいない。

副長室の方へと入ると、火鉢の火を起こして置いてあった鉄瓶をその上に乗せた。
持ち上げたときの重さでまだ中に十分、水が入ってることがわかっている。おそらく、土方が戻った時のために誰かが中身を入れ替えたのだろう。

棚をあちこち開けると、茶道具を引っ張り出すののついでに秘蔵の菓子を適当に見繕う。どうせ、土方は甘いものはあまり食べないから、総司のためか、貰い物のはずだ。

急に崩れた天気で、明日まではこのままひどい風と雨が吹き荒れるだろう。天気のせいで肌寒くなっていた部屋の中は、火鉢の火ですぐに温まり始めた。

火鉢の傍で丸く膝を抱えているセイは、まだ頭から羽織を被せられたままで藤堂も何も言わなかった。

いくらもしないうちに、湯が沸いてきて、藤堂が茶を淹れる。セイの前に湯のみを置くと、自分の分を手にした。ふぅ、と少しだけ冷ましてから口にする。雨で冷えた体には染みわたるようだ。

「どうしたの、神谷」

今度は部屋の中も温まってきたので、セイに被せていた羽織を脱がせた。
今、この部屋と隣の部屋にいない主の供として、総司の姿も屯所の中にはない。公の出張だが、目立つような人数ではないために一番隊の半分だけを連れて行った。

「置いていかれたんだろ?」

連れて行ってもらえると思っていたセイは、いつの間にか決められていた同行の中に自分がいないことを知ると、総司に頼み込んだ。

「先生!お願いします。私もご一緒させてください」
「何を言ってるんです。同行する人たちはもう決まってますよ」
「そこをなんとかお願いします!」

背を向けた総司が深いため息をついた。毎度のことながらセイが着いて来たがることはわかっている。だから、ぎりぎりまでセイにはわからないようにしてきた。

「今回は、見廻り組の方々とも合流するので、同行していただく方は限らせてもらったんですよ」
「でも、でも私もお邪魔にはならないようにしますから!」
「いい加減にしなさい!!」

怒鳴りつけられて、びくっとセイの肩が震えた。セイの方を振り返りもせずに総司が続けて言った。

「貴女は仕事をなんだと思ってるんです?言えば何でも我儘が通るとでも?!そんな考えの部下など私はいりません」

ぴしゃりと言い切られて、セイが身を竦ませている間に、総司は隊部屋から去っていく。足元に見えていた総司の足袋が離れていくのをセイは何も言えずに見ていた。
それから出発までの間、総司はセイには一瞥も向けることなく、隊士達に指示をだし、支度を整えると出発していった。

残った一番隊の隊士達も総司に厳しく何かを言われたらしく、セイに話しかけることはなかった。どうしていいかわからずに、セイはできることは全部しようとして、部屋の掃除を済ませ、幹部棟も隅々まで掃除した。

それでも、近藤達は一泊の予定のため今日は戻らない。

隊の半分がいないために、巡察の予定もない一番隊の隊部屋に戻ることもできず、幹部棟の片隅に蹲っていたのだ。

「いつから座っていたのさ?」

藤堂の問いかけにセイは首を振った。
今のセイにはそんなことはどうでもよかった。総司達が帰ってくるまで、どうしていいかわからないのだ。ふう、とため息とともに苦笑いを浮かべた藤堂が、セイの手に暖かい湯呑を持たせた。

「飲みなよ。お茶だよ」

ぽつん、と湯呑を握った手の甲に滴が落ちる。ぽつん、ぽつん、と続けて滴が増える。
それを見ていた藤堂が、仕方なくもう一度、湯呑をその手から取り上げてセイの頭を撫ぜた。小さな震える手が藤堂の着物をぎゅっと握りしめて、縋り付いた。
声を殺して泣くセイを、子供をあやすようにその腕に抱えて、セイには気づかれないようにため息をついた。

幹部会ではずいぶん前から今日の近藤達の出張は伝えられている。見廻り組や所司代との会合となれば、少人数であっても体面は保たれなければならない。
そんなところにセイを伴っていけはしないのだ。それは隊にとっても、セイにとっても辛い思いをするだけの時間にしかならない。

―― ほんの少し、うまく話してやればいいのにさ

そうすればこんなことでセイを泣かせることもないのに、と藤堂は思った。おそらく、総司達が出て行ってから、何も飲まず、食べず、ただ蹲っていたのだろう。
泣いて、泣き疲れて、藤堂に抱えられたままセイは疲れ切って眠りに落ちた。

泣きながら眠ったせいか、真夜中もいい時間にセイは喉の渇きを覚えて目を覚ました。

「……?」

そこがどこかわからなくてぼけっとあたりを見回したセイは、障子越しの月明かりでそこが副長室であること、そしてセイを守る親鳥のように丸くなって眠っている藤堂に驚いた。

「あっ……」

小さく声を上げると、眠りに落ちる前のことを思い出した。
置いていかれて、泣き出したセイを慰めて、冷え切った体に寄り添ってくれていたのだ。そうっと起き上がったセイは、押し入れから土方の使っていない方の布団を引っ張り出して藤堂に掛けた。

灰をかけた火鉢は部屋の隅に置かれて、文机の上には、セイのために用意したらしい握り飯と、茶が残されていた。
冷えた茶に手を伸ばして、一息に飲み干すと、喉の渇きと腹の空き具合が急に蘇ってきて、火鉢から温くなった湯をもう一度、湯呑に注ぐ。
白湯を流し込むと、きゅるる、と腹が鳴った。

 

 

– 続く –