風天の嵐 16

〜はじめのつぶやき〜
頑張れ先生!

BGM:嵐 迷宮ラブソング
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部屋の中の主はこの家の主人であった。セイ達を監視していた男が部屋から出て行った後、顔を覆った女がすっと立ち上がると、主人の傍へと近づいた。

「殿。もう大丈夫でしょう。此度の女子ならばきっと元気な男子を産んで、その女子の事も殿にはお気に召していただけますでしょう」
「ようやく終わるか。そろそろあれがおかしいと思う前に何とかせねばなるまい」
「それでも、殿。産み月ちょうどよく、それなりの身分の女子となればそうそうおりますまい」

目の前の台に置いていた本を閉じると、主人は脇に置いていた茶に手を伸ばした。

「跡継ぎか。面倒なことよな。いくら宮家の縁戚だとはいえ、やはりあのような女子を嫁になどするべきではなかったな」
「いいえ。奥方様だからこそ、こうして疑問をもたれることなく事が進められるというものでございます」
「だからといって、いつまでたっても世継ぎにさえ恵まれぬとは」

不機嫌そうな顔の主に覆面の女は首を振って見せた。

「案ずることはございませぬ。私の占いにも殿はちゃんとややを得られると出ております。それに、殿は不遇な女子達を救っていらっしゃるのでございますよ」

不気味な沈黙の後で、寝間へと引き取るために主は立ち上がった。ちらりと女を見下ろすと、ついでのように問いかけた。

「来るのか?」

寝間に来るのかと聞かれた女は丁寧に手をついた。

「今宵は……。いささか気になることもございますので」
「そうか」

素っ気なく答えた主は部屋から出ていき、残された女も立ち上がると、主が出て行った廊下側ではなく、奥の部屋へと入った。二つほど、誰も居ない空き 部屋を通り抜けた後で、屋敷の奥へと向かう廊下へ出る。人気の無い廊下を灯りもなく滑るように歩いた女は途中で廊下を曲がった。

突き当りの部屋は女のために宛がわれた部屋で、部屋に入ると年配の女が一人、部屋の中にいた。床の間を背にして女が座ると、顔を覆っていた頭巾を外す。
現れた顔は、年増とはいえ、若ければさぞやというほどの女であった。

「明日は、また町屋の方で占術のほうのお客様が」

口がきけないのかと思っていた年配の女が口を開いた。顔を覆っていた女が頷く。
女は、霊験あらたかと言われる占術とまじないで、知られた高村ぎんという者だった。傍にいるのは、ぎんに仕えている女で、産婆でもあるとよ、という女だった。

「もう女達を集めることはこの家ではないだろうよ。女たちの様子はどうだい?」
「これといった障りもなく。新しく入った女があれこれと先にいた女達へと問いかけていたようですが、皆個ここの居心地をわかっているために、自ら口を開こうとする者はおりません」
「そうかい。やはりあの女は曲者だね。医者だというけど、新選組の幹部の内儀なんだろう?」

先程とは打って変わってぐっと砕けた話しぶりになった女は、火鉢の傍に煙草盆を引き寄せて、煙管詰めた煙草に火をつけた。

「隊の医者だそうでございますよ。鬼の新選組も女を取られては身動きがかないますまい」
「そうかもしれないけど、しばらく様子をみてあんまりうるさい様なら少し釘をさすように言ってある。お前も市中の噂を気にかけておいておくれ」
「かしこまりました」

思いきり深く吸い込んだ煙草をふーっと吐き出すと、かんっ、と勢いよく煙管を叩きつけて火を落とした。
その傍で、とよは明日、ぎんの借り受けている町屋に行くときの着物と占術を行うときのそれらしい、ぞろぞろと長い上着のついた着物とを整えた。

「そろそろこの家も潮時かねぇ……」

ぽつりとつぶやいたぎんに、とよが手を止めて振り返った。そう広くもなければ狭くもない部屋の中は、かすかだが、ぎんが占いの時に使う香の匂いがしていた。

「女好きも跡取りに恵まれない家も、まだまだたくさんあるでしょうよ」
「そうさね。次を早いところ見つけようじゃないかね。もう二、三、あたりを付けてあるんだよ」

それからしばらくの間、ぎんはとよと語り合ってから隣の寝間で休んだ。とよはぎんに仕えている立場のはずだったが、ぎんと同じ部屋で休んだようだった。

 

再び、話は数日先へと進む。

診療所の小部屋を足場にしたのは、外からの出入りがしやすいこと、夜遅くまで何かをしていても誰の迷惑にもならないこと、そして報告するにしても屯所へは出入りをするために一番便利がいい場所だということだ。

「沖田先生?」

小部屋へと小者が顔を見せた。部屋の中で文机とその周辺へ資料を広げた総司は、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまっていた。疲れ切って、髭も伸びた総司の傍から資料を重ねると、文机の上を静かに整える。
そして、そうっと握り飯と香の物、そして食べやすく作られた煮物の小鉢を膳の上において手拭を被せた。

「そりゃお疲れにもなるよなぁ……」

セイが攫われた次の日までは、総動員で探索にあたっていたが、三日目の朝になって土方から普段の隊務へ戻るように指示が出された。当然、隊士達は口々に叫んだ。しかし、きっぱりと土方は言った。

「神谷の捜索は総司に特命として指示した。一番隊は本日より当面の間、斉藤の下に入れ」
「そんな!沖田先生お一人でなんて無理です!!」
「無理でもなんでもこれは沖田本人からの申し出でもある。巡察の強化は引き続き行うものとする。以上だ」

解散と言われてもそれからしばらくはざわざわと皆、その場から離れずに小者達さえもが無理だと口にしていた。それから、総司の姿は昼となく夜となく、わずかな書き物と資料の確認のために屯所に戻る以外は、ひたすら市中を回り、眠る時間を惜しんで探し回っていた。

普段の総司であれば、傍に人がいれば目が覚めているだろう。だが、今は全く起きる気配がない。小者は、押し入れから掛け布団を引き出すと疲れ切って眠る総司の肩にそうっと着せかけた。火鉢の灰を掻いて火を起こすと、邪魔をしない様に静かに小部屋から出ていく。

深い眠りに落ちた総司は夢の中でまでセイを探していた。

『神谷さん!セイ!どこです?!』

暗い闇の中に京の町並みが立ち並んでいるが人っ子一人いない。必死でその中をセイを探して走り回っていた。歩き疲れて足は棒になり、節々も痛む。だがそれでも総司は通りの家々の入口を一つ一つ引き開けてセイを呼んだ。

砂の中を駆けるように足が重くてなかなか前へと進まない。

お藤の話から産み月まではおそらく大事にされているだろうとは思う。もう間もなくで産み月には二月余りとなるはずだった。そんなセイに何かあったらと思うと気が気ではない。

『セイ!』

「……っ!!」

夢の中での自分の声に驚いて総司は目を覚ました。部屋の中は小者が掻き起した火鉢が部屋を暖めており、鉄瓶が僅かな音をさせて湯気を吐き出していた。
遠くの方では屯所のあちこちから聞こえる隊士達の声や道場の方から気合の声が聞こえる。

ぐしゃっと額に手を当てて、まだ半分残っている夢の残滓を振り払う。いつの間にか片付けられた資料に初めて目が行った。

「ああ。誰かが……」

呟いて部屋の中を見渡すと、整えられた資料、そして目が覚めたら食べられるように用意された膳、いつでも茶が飲めるように支度された急須と湯呑に総司はため息をついた。

 

 

 

– 続く –