阿修羅の手 2

〜はじめのつぶやき〜

BGM:嵐 Happiness
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総司が去った後、小者達にくすくすと笑われながらお疲れ様でした、と声をかけられたセイは、あとを任せて少し小部屋のほうに下がることにした。

「あとをお願いします」
「承知しました」

前掛けを外したセイの横顔が、少しだけ曇ったことには誰も気が付かなかった。誰もいない小部屋に入ると、ほっと息をつく。少し前まではここにお里と正一とがいた。

セイが仕事をしている間、寿樹の面倒を見てくれていたのだが、今はここにはいない。
仕事に戻ったセイと共にこの診療所にいたわけだが、三月ほどここで過ごした後、今は総司とセイの住まい近くに居を移したお里の家に預かってもらっていた。

しん、と静かな小部屋に一人座り込んだセイは、ぼんやりと部屋の中を眺めるともなしに眺めていた。

「……またやっちゃった……」

失敗した。

セイは、そう思っていた。
新人隊士を脅かすつもりもなかったし、女子と比べられるとも思っていなかったが、つい怪我の程度をわからせようとそんな言葉を口にしてしまったのだ。

うまくいかない。

そんな言葉が思い浮かんだ。あれだけ望んで仕事に戻らせてもらったというのに、今のセイは行き先の見えない迷路の中にいた。

仕事は戻ってすぐ、元の勘を取り戻した。医師としての腕が落ちたわけでもなく、隊の中の細かな仕事にも慣れている。
母として、寿樹が生まれてからそれまで心配していたこともその手に寿樹を抱きしめてしまえば、やるべきことをなすだけだと、身をもって知った。

なのに、今はどうしてこんなにもてあましているのかと思う。

どちらも順調に見えて、危うい薄氷の上を滑っているような気がするのだ。
総司の妻になった時も似たような思いを抱えたことがあったが、あの時は手探りでも総司の妻として総司に恥をかかせないように、誰からも後ろ指を指されないようにしたかった。

総司に恥をかかせるような真似をするつもりはなかったのだが、裏目に出てしまった自分にため息が出る。

―― 今日はせめて早く帰れるといいんだけど……

頭のどこかでそんな風に考えながら、セイはぼんやりと座り込んでいた。

 

 

 

診療所へは幹部棟の廊下を渡るわけだが、総司は渡り廊下の手すりに手をついて、大階段が見える中庭を眺めた。

診療所と幹部棟や隊士棟の両方が見える。

―― こんな風に、きれいにどちらも見渡せるといいんですけどねぇ

それが人ではそう簡単にはいかない。胸の片隅に不安が残る。最近のセイは、何もかもがうまくいっているようでいて、少しずつ、何かをやらかすことがある。

たとえば今日のように。

今までのセイならそんなことは言うはずもなかったはずだが、どこか無理をしているような一抹の不安を感じさせるのだった。
セイが思うのと同じように、総司もまたあとでセイと話をしてみよう。
そういう気持ちになっていた。

とん、と手すりをたたいてその場から離れると、総司は隊部屋へと戻っていく。広い廊下の床が真ん中を歩くと軋んだ音をさせた。端を歩けば音はしないが、普段何事もないときは何も考えずに真ん中を歩く。特に、今日は近藤も土方も外出していて部屋の中にはいないからもある。

「沖田先生!」

隊部屋にもどると、新人隊士が怪我をした足をひきずりながら駆け寄ってきた。総司がきつくセイに文句を言ってくれたものだと思っているのだ。

「いかがでしたか?」

総司の顔を見上げた新人隊士に、曖昧な笑みを浮かべた総司は軽く頷いて隊士の肩を叩くと部屋の中に入った。山口と相田が総司のために座布団を差し出すとありがとう、とつぶやいた総司がそこに腰を下ろす。

肩透かしを食ったような顔で新人隊士は総司を振り返った。

「え……文句を言ってくださったんじゃないんですか?」
「お前なぁ……」

それまでは、言いたいように言わせていた山口と相田だったが、いい加減限界が来たのか、新人隊士の両脇から肩をつかんだ。総司のほうを向いていた新人隊士の体の向きをぐるりと反対向きにさせる。

「この際いっとくがな。文句を垂れ流してんのはお前なの」
「そ。俺達はこれが普通。お前が偉そうに威張り散らしてる町道場で一番や二番くらいの腕のやつを毎日のように相手にしてんだから、そのくらいの怪我も、当たり前なの」

両脇から挟み込まれた格好で目でついさっきまで優しげに話を聞いてくれていたはずの先輩二人が、急に態度を変えてきたことに目を白黒させる。
そんな隊士に山口と相田だけでなくほかの一番隊の隊士たちも次々と新人隊士を取り囲むと、総司に向かってにこやかに言った。

「あ、沖田先生。こいつ、まだ稽古したりないみたいなんで、ちょっと俺たち付き合ってきますね!」
「え?!俺は別にそんなこと」
「さぁ、いこう!すぐいこう!なっ!」

稽古などするつもりは毛頭なかった新人隊士は先輩たちに取り囲まれて、逃げようとしたが、あっさりと捕まるとそのまま隊部屋の外へと連れ出されてしまった。

「……はぁ」

その様子を見ていた総司は、仕方がないとはいえ、思い切りため息をついた。それを聞いていた小川は、黙って部屋を出ていくと、すぐに戻ってきて総司の前に茶を置く。

「沖田先生。あまり気になさらないでくださいね。俺たちがちゃんと言い聞かせておきますから」
「いつもすみません」

苦笑いを浮かべた総司に、ゆっくりと小川は首を横に振った。
新人隊士だけではない。客人でも小者でも同じだが、セイの存在は知らない者たちにとってはやはり異色なのだ。

「沖田先生が気になさることじゃありませんよ。それよりも……」
「それよりも?」
「神谷ですけど……」

物問げな視線を向けた総司に一瞬、何かを言いかけた小川は結局何も言わずに頭を振って離れていった。

 

 

– 続く –