残り香と折れない羽 18

〜はじめのお詫び〜
史実にそむいております。史実とは異なる創作ですのでご了承ください。

BGM:氷室京介 SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜

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浅野は目の前にした男が嫌いだった。だが、逆らうことはできない。
自分達は一蓮托生なのだと、いつから思うようになっただろう。どれほど嫌いな相手であっても、自分達は進み始めた道を歩むしかない。

武田観柳斎。五番隊組長。元は軍事方という立場にいたが、伊東参謀の登場によってその立場から失脚した。さらに、文学師範の立場も危うくなった。一時期は近藤に媚びる姿が、隊内でも嫌悪の的になっていた男である。

「浅野、お前は俺に協力するしかないんだぞ」
「分かっています」

土方に目をつけられて、近頃ではそれも大人しくなったかと思われていたが、今度は伊東派への接触を図っていた。

武田は、浅野を使って加納と接触した。加納を通じて三木と昵懇になることはできたが、三木は武田を伊東の元へ連れて行くことは拒否していた。ただでさえ兄である伊東に邪険にされている三木は、いくら志が一緒だと訴えられても容易に一派に引き込む様な真似はしない。
例え、加納や三木が武田と昵懇になるようなことがあっても、浅慮な行動を起こす様ではこの新撰組において一派の結束など図れはしないわけで、決して愚かしい真似はしない。

「三木先生は伊東先生に武田先生をご紹介くださることはないと思います」

浅野は頭を下げたまま、その顔に浮かんだ不快感を隠して事実を突き付けた。そうでもしないと、いつまでもいつまでもこの男は同じことを言い続ける。近藤へ取り入ることに失敗して以来、表だって自分が動くことはせずにこうして浅野を使ってあちこちへの接触を図っている。未だに、何でも思い通りになると思っているのだろうか。

浅野の態度に腹を立てた武田は思い切り浅野の背を刀の鞘で殴り付けた。

「ぐぁっ……っ!!」
「おのれっ、わかっているのか!!神谷が何を調べていたのかわからんのだぞ!」

息が止まりそうなくらいの打ち込みに這いつくばって痛みをこらえた浅野は、なんとか吐く事を耐えて武田を睨みつけた。

―― 自分がいなければ噂を知ることもなかったし、加納との接触もできはしなかったはずなのに、この尊大な態度はなんだ?!

「なんだその目は!貴様、俺に逆らうのか?え?」
「……申し訳ありません」

武田が何を焦っているのかはわからないが、一応、武田はまだ幹部なのだ。
そして、浅野には武田に逆らえない理由があった。

 

監察方の浅野は、その時も不逞浪士の探索のために、遊里や賭場などを歩き回っていた。その時は、思いがけなくツキが回ってきて、浅野は賭場の世話役に皆で飲んでくれと勝った金から一両を渡し、己もしたたかに酔った。
賭場を後にした浅野は、遊里に泊まるつもりで道を歩んでいて、通りすがりの浪人にぶつかった。普段であれば、お役目柄、そんなことはあり得ないし、もし肩をあてたとしても、平身低頭で頭を下げるばかりだったろうに、その日はあまりに酔いすぎていた。

「貴様……俺が誰だかわかってるのか!」

そう叫ぶや否や、相手に斬りかかり、問答無用で斬って捨てた。
これは私闘であり、この上なく士道不覚悟になってしまう。すぐに正気に返り、血の気が引いた浅野を助けたのが武田だった。

不逞浪士をみつけ、斬りかかられたために捕縛もかなわず斬り捨てたことにして、事は隠密裏に片付けられた。

初めは素直に武田に感謝していた浅野は、武田の意のままに動かされるようになってから、自分がとんだ相手に助けられたと思った。武田は組下の者たちはもとより、自分より下だと判断した相手には、尊大な態度をとり、すべて思い通りに事を進めようとする。それがいかに危険であっても自分が直接関わらないために、安易に放り込もうとするのだ。

元々評判の悪かった武田のことを、浅野はそれ以来嫌っていた。しかし、助けられたことが、浅野を縛り、逆らうことができないでいたのだ。

 

「もういい。三木のことは、続けて酒と妓で繋がりを保っておけ。薩摩の方はどうだ」

これも、武田一人では何もできはしないことだった。
諸士監察として市中に潜むことができるからこそ、できることであった。なぜか、武田は薩摩藩との接触を浅野にやらせていた。

「なぜなんですか?武田先生は軍事方を退かれても、五番隊の組長ではないですか。なぜ伊東一派に近付いたり、薩摩に取り入ろうとなされるんですか」
「うるさいのぅ。お前に何がわかる。俺はこれまで軍学者として局長のお傍にいたのだ。それに俺が学んできた甲州流軍学はあの土方も認めて、ずっと新撰組の調錬には欠かすことができなかったのだ。なのに、あの伊東の参加と洋式調錬によって、俺は本来の立場から貶められたのだ!わかるか、この屈辱が!」

武田にとっては、己の才能と学があってこそ、これだけまとまりのない男達を壬生狼と言われた集団が、世に認められる新撰組にまでなったのだという、身勝手な自負だけが拠り所だった。
土方は、この男をそれほどまでには重用してはいなかったが、近藤が引き回していた以上、ある程度の能力は認めていた。そうでなければ、いくら腕が立ってもとうの昔に組長から格下げになっていただろう。

しかし、本人にとってはそれも禍にしかならなかった。
あの土方さえ認めた俺をなぜ重用しないのだと、武田が思えば思うほど、組長という肩書きだけでしかも、順列はないといいながらも、一番隊から順番に腕の立つものを配置しており、五番隊という立場は、武田にとっては満足できる立場ではなかった。

それだけに、まず伊東一派に近付き、その弁舌の才と軍才で伊東に取り入ろうとした。

伊東が尊皇派であり、近藤達とは際どい薄氷の上を歩む様な関係になっていることは分かっていたので、この先を考えるならば伊東に取り入った方が得だと考えたのだろう。

同じように、新撰組の内部事情に詳しいものは、長州者や、薩摩の者たちにとっては喉から手が出るような立場だろう。それを利用して後々の自分の身分と立場の保障を取り付けようとしているのだった。
口先では、浅野も連れて行くし、自分とともに引き立ててもらう、と言ってはいるが、実際には浅野のことなどは一欠片も考えてなどいなかった。

「下々の藩士とはようやく顔つなぎができましたが、それなりの身分の方にはまだとてもとても」
「それでは何の役にも立たないではないか。もっとなんとかならないのか!」
「それには金も時間もかかります!」
「ではそれをかけろ!金策など、ばれぬようにうまくやることぐらいいくらでもできるだろう!」

法度破りを強要してまで、武田は己の立場と身分を築くことが重要だった。

浅野は再び、不満と憤りに満ちた顔を下に向けて、頷いた。このままでは、武田に脅される元になった私闘だけでなく勝手な金策さえ、脅しのネタになりかねない。
もういい加減この男と手を切るべきだ。

浅野は、昼間隊の中で見せていた好感の持てる笑みではなく、暗い眼の奥に、新しい光だけを見据えていた。
武田と切れるには、方法は二つ。
武田を新撰組に売るか、他の者たちに売るか、または自分が脱走するか。

浅野にとって、新撰組にいることがどれだけ重要だったかということはもはやどうでもよかった。

それだけは武田と同じく、己さえよければどうでもいい。

いずれにしても、土方であれば、自分も武田もよくて切腹、悪くて斬り殺される。すでに、武田を捨てて逃げることに頭を切り換えた浅野は、いつどうやって逃げるか、それを考え始めた。

「神谷を襲った時、神谷が書いた覚書は見たんですよね?」

不意に、浅野が武田に問いかけた。そう言えばこの男は切り札を目の前にぶら下げていたのだ。その豪傑ばりの体格で自分が先ほど打ちつけられたのと同じくらいの勢いで殴られたなら、あの小柄な体ならさぞやひどい目にあっただろう。ひた隠しにされているが、今、セイが屯所から消えているのは、そのせいに間違いはない。

武田はギラギラした目でその時の様子を語った。

「あいつめ、生意気に……」

近藤と一番隊が出発したあと、こんな好機はめったにないと思った。浅野に任せるまでもなく、もし見つかっても組長である自分には警戒を解くだろう、という目算があった。

斎藤がうろうろと出入りしていたのはすぐにわかったが、その夜の巡察が三番隊ということは武田も知っている。ただ夜を待てばよかった。

 

 

 

– 続く –