悋気前夜
〜はじめのお詫び〜
なんと!4年近くたちましたが、悋気拡散の前段を追加です!!
BGM:ジェラシー
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少し離れたところから、渡り廊下の向こうを眺める。
その視線の向こうには相変わらず忙しく働いているセイの姿が見えた。
―― やっぱ、俺、好きだなぁ……
ころころと変わる表情も、にこにこしながら男よりもよく働く姿も、こうして目にしているだけで胸の中がぽっと温かくなる。
総司と一緒になった姿を見ても悔しいとか、腹が立つとか、そういう気持ちよりも、幸せになってくれと心から願った。
男泣きに泣いて溢れた涙も、好きだという気持ちでいっぱいだったからだ。
「……つってもただ眺めてるだけって、性に合わねぇんだよなぁ」
がぁ、と頭を掻きむしった後、ひょいっと廊下から下に降りて、裸足のままで医薬方の階段の下へと回り込む。
勢いよく階段を駆け上がると、開け放ってある診療所の奥を覗き込んだ。
「なんだ。中村じゃないか」
「おう!ちょっと手が空いてんだよ。なんか手伝うことあるか?」
「あ、じゃあ、ちょっと上のほうに薬をしまってくれるか?」
「よしきた!」
医薬方の小者達ももちろん動いているが、セイも小者達もあまり背が高くないので高いところは毎度四苦八苦するのだ。
踏み台も使いながらも、どうしても天井まで届く薬棚は苦労する。
「中村さん、助かりますよ。出来上がった薬包をあの上の、右の引き出しにお願いします」
「お、おう」
セイの手伝いをしたくて来ても、気が付けば小者達に使われているのはいつものことだが、それでも同じ場所で立ち働いているのが嬉しい。
高い場所にある引き出しは、普段あまり使わない薬や、たくさん使うからこそ、多めに作っておくものだ。
セイや小物たちの元に積み上げていたものを片端から片づけていくと、部屋の中がだいぶ片付いてくる。
「だいぶ減ったか?」
踏み台から下を見た中村がそう言って、セイの隣におりると腰を曲げていたセイが立ち上がった。
「ああ。助かる」
「ぷ……。お前、女なんだから昔の口ぶりのままってどうだよ」
「……っ、だっ、つい……。お前相手だとつい口をついて出るのは仕方がないでしょう」
「その言い方も気色悪いわ」
すっかり男姿の口調にもどってしまったセイを内心は喜びながらからかった中村に、慌てたセイが言い直しかけて失敗する。それを、気を許しているからというのがありありとわかってしまうからこそ、中村は嬉しくて、つい、笑い出した。
「楽しそうですね。中村さん。そんなに暇なんですか?」
はっ、と振り返るとその気配も感じなかったのに、総司が仏頂面でそこに立っていた。
「お、沖田先生!」
「そろそろ原田さんが稽古をするぞと号令をかけていましたけど、あなたは稽古には出なくていいんですかねぇ?」
時々は中村に同情的でさえあった総司だが、こうしてセイと夫婦になってからは、時々目に見えた悋気を見せる。
冷ややかな目にむっとした中村は睨み返す。
別段、セイにどうこうしようなど思ってもいないのに、こうして露骨な悋気を向けられると中村も負けず嫌いでもあり、張り合ってしまう。
「……自分は少し時間があったから手伝っただけです!」
「そうですか」
「稽古はこれから行きます!!じゃ、神谷、またな!」
わざと振り返ってセイの肩に手を置いてにかっと笑ってから、総司の脇をすり抜けて診療所を出ていく。
肩を竦めたセイは、腰に手を当てたままで総司を見上げた。
「……それで、沖田先生はどうされたんです?」
「……どうもしませんけど、どうもしないと顔を出したらいけないんですか?」
「そうじゃありませんけど……、なんていうか」
今までは中村にも公平な態度、というべきか、セイのこと以外はごく普通の態度をとってきたし、セイのことだとしても、こんな露骨に邪険な顔を見せてこなかった。
―― だから急にその態度はどうなんですかって言いたいんですけど……
ぶつぶつと口の中で呟いたものの、そんなことをうっかり口にすると、藪蛇どころかセイまでいらない説教をされそうだからぐっと飲みこむ。
件の稽古の一件以来、どうにもセイの妻としての有様については、なかなか頭が上がらないという状態が続いている。
「お手すきならお茶でも淹れましょうか」
「中村さんにはあれで、私にはそれですか」
「え?!」
「もういいです」
ぷい、と背を向けて診療所を出ていく総司に呆気に取られていたセイのことを両脇から小者達がにやにやと笑いながら覗き込んだ。
「あれは、だいぶ沖田先生、へそを曲げてますなぁ」
「そりゃ、男としては気安い軽口の中村さんと、先生とでは扱いも違いますからなぁ。こりゃ、神谷さんも大変だ」
呆然としていたセイは、次々畳みかけられた言葉に、はっと我に返る。
「え?え?それ、何?私が悪いの?!」
両脇へきょろきょろと顔を向けたセイに、小者達は首を振る。あれだけ露骨な張り合いの原因がどこにあるかなど、セイがいくら野暮天とはいえ、鈍いにもほどがある。
「ちょちょちょ、言うだけ言ってほったらかさないでくださいよ!」
「あきまへんな。少し神谷さんは、勉強しなはれ」
待ってくれと縋るセイを放り出した小者達は残った薬包に手を伸ばした。
そんなやり取りはたまたまだろう。
そう思っていたのはセイだけで、隊の中では薄々、皆が気づいていた。
斎藤ははなからどちらにつくこともなく、だからといって近藤や土方のように宥めたり、大方の隊士のように面白がるわけでもない。
その斎藤にしても、二人の様子はなかなか腹立たしいらしかった。
廊下でたまたま中村を見つけた斎藤は、そのまま通り過ぎようとしたが、どうしても引っ掛かりがあったからか。
つい足を止めてしまった。
「斎藤先生、お疲れ様です」
「……中村か」
「あの、何か?」
無意識にじろりとにらんでしまった斎藤に怯えた顔を見せた中村は、それでも律義に離れかけた斎藤の後を追ってきた。
ほんの少しばかり思案顔を浮かべた斎藤は、一言だけ、と言いおいて口を開く。
「あまり神谷のところに顔を出すな。ただでさえ、面倒ごとの多い夫婦だ。面白半分か何かわからんが余計な真似は控えた方がいいな」
「……!」
むっとした顔の中村にそれだけだ、といって中村の反論を聞くまでもなくその場を離れた斎藤は自ら近づくなといった診療所に向かう。
片方の障子を開けたまま、文机に向かっているセイの姿が見えた。
「神谷」
「兄上」
斎藤の姿に気づいたセイがふと顔を上げた。
―― 俺も甘いな……
懐に手を忍ばせると、金平糖の入った包みをとりだす。
階に片手を置いて腰を下ろすと、セイに背を向けた。
「たまには甘いものでもやろうと思ってな」
つい、と自分の脇に置いた包みを見て、セイは膝をついた。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
柔らかい、本当に穏やかな笑みに斎藤はつられるようにして笑った。
「馬鹿者。そんな顔をする奴があるか」
「……すみません。私が至らないものですから」
「そうかな?」
茶を、と立ち上がりかけたセイを、斎藤は呼び止めた。
「相変わらず固いな。お前は」
「そう……でしょうか」
「ことを急ぎすぎるな。何事も時間が必要なこともある」
ほんの少し。
ほんの少しだけ、肩を落としたセイが困り顔で頷いた。
セイにとって、中村も今はただの同士としてしか見ていない。
中村がセイのことを想っていたことも、もう過ぎたこととして、セイは意識しないようにしている。意識してしまえば、かえって無礼な気がするからだ。
それは斎藤も同じで、余計に気を回すよりも普通にする方がよいと思っている。
―― でも、沖田先生には……
腰を上げた斎藤はセイの頭に手を置く。
「お前の思った通りにすればよい。それが一番だ」
「兄上……。ありがとうございます」
「お前の兄役を一体どのくらいやってると思うんだ?」
最後にそんな軽口をたたいた斎藤はひらりと片手を振って階段を下りていく。
―― ただ、俺には沖田さんの気もわからんでもないがな
ひっそりそう思ったことはセイは知らなくていい。
そんな男のわがままは知らなくていい。
やれやれと診療所を離れた斎藤も、金平糖を胸にため息をついたセイも、これでこの悋気騒ぎが終わらないとは思ってもいなかった。