爪跡と痛みの棘 6

〜はじめのお詫び〜
人に言うのは簡単ですが、そんなにすぐに成長、成長って大変だよねぇ。まして若者二人には。

BGM:moumoon Sunshine Girl
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「……?」

目が覚めたセイは、一瞬そこがどこかわからなかった。
衝立がわりの屏風が視界に入って、人の気配がする。昨夜の記憶を辿って、がばっと起き上がった。

「お、神谷君、起きたかい?」

セイが起き上がった音に気づいた近藤が声をかけてきた。慌てて、セイは床を出て着物を整えた。昨夜は総司が巡察から帰るのを待つつもりで、着替えていなかったのが幸いした。

セイは急いで屏風の陰から出て、頭を下げた。

「申し訳ありません、局長。勝手にお邪魔してしまい」
「おいおい、構わないんだから気にしなくていいよ」
「すみません。昨夜副長のところにお邪魔していたところまでは覚えているんですが」

泣きそうな顔で頭を下げるセイに、近藤は優しく手を添えた。

「気にしなくていいんだよ。これでも私は一応、娘が江戸にいるんだがほとんど、顔も見ないでいるんだ。君がここでの娘というわけさ」
「局長……」
「さ、一度顔を洗って着替えておいで。いまなら朝餉もとれるだろうし、総司が夕べ夜番だったなら今日は非番だろう?」

優しい顔に、再び涙ぐみそうになったセイに、背後から土方が声をかけた。

「近藤さんは甘やかしすぎだっつーの。おら、さっさと片付けて自分の部屋へ戻れ。いつまでも居座ってるんじゃねぇ」

冷たい言い草だが、昨夜といい、これも土方流の優しさなのだろう。セイは頭を下げると、急いで布団をしまって、屏風を隅に片付けると、二人に頭を下げて部屋を出て行った。

「で?総司の方はどうだったんだい?」

土方からは、セイを寝かせているところまでしかまだ聞いていなかった。この面倒見のいい男が片方だけということはないと見越して、近藤は尋ねた。
すっかり読まれていることに、土方流の照れが表情を変える。

「あっちにも一応話しておいた。様子がおかしいことには気がついてたみたいだけどな」
「そりゃあ、あの総司に理由を分かれって方が無理だろう。お前が言ったんじゃ拗ねたんじゃないのか?何でトシが知ってるんだって」

まるで見ていたかのように言い当てられて、土方の顔がげんなりしてくる。

「そりゃ、まあ……。わかってたならあんたが言ってくれればよかったのに」
「俺は親父だからな。そういうのは母親のお前の役目さ」

朗らかに笑う近藤に、土方は仕方なさそうに肩をすくめて、軽くため息をついて見せた。

幹部棟から急いで診療所の小部屋に戻ったセイは、きっとそこにいるはず、と思っていた総司の姿がないので、不思議に思ったが、僅かばかりほっとした。
きっと、どうして幹部棟で休んだのかと聞かれると思ったのだ。

本人がいない代わりに、文机の上に総司が手紙を書き残していた。大らかな総司らしい字で、さらりと書かれている。

『 セイへ

昨夜は幹部棟で休んだと聞きました。たまには一人でゆっくりしておいでなさい。
先に家に帰っています。遅くなる時は、知らせてくれれば迎えにきます。

 総司 』

普通、武家の女が日中とはいえ一人で歩くことはない。ただ、セイの場合はその姿が姿でもある。清三郎だった時はまだしも、今は日中でも一人で外出することに総司はひどく煩かった。

急にセイの肩から力が抜けた。

しばらく、放心したままぼうっとしていたセイは、両手で顔を勢いよく叩くと、まずは顔を洗いに出た。診療所には、専用の風呂場が備え付けてあるために、常に新しい水が汲んであった。小部屋から外に出た場所ではあるが、一応囲われて周囲を気にしなくていい。顔を洗ったついでに、冷たい水で身を拭き清めると、セイは部屋に戻っていつもは使わない、とっておきの塗香をわずかに体に付けた。

香は心身を清めるともいう。セイはそれで心にあるものも払い除けようとしたのだ。

支度を済ませると、セイは朝餉も取らずに屯所を後にした。

何か目的があって歩いていたわけではないが、町を歩いていると、なんだか無性にあれこれと思い浮かべてしまった。

「よし!」

何を思い立ったのか、セイは次々と店や辻売りを見つけて、買い求め始めた。
いつまでもぐじぐじと考え込んでいるのは、自分の性に合わないと思って、まずはできること、したくなったことをすることにした。

セイをおいて、先に家に帰った総司は、一人でいる家がひどく広く感じられていた。いつもセイがきちんと整えているだけに、人のいなかった部屋の中は片付きすぎて、よそよそしく感じられる。

セイがいれば、何くれとなく世話を焼き、その合間に家事を忙しくこなす姿を見ているだけでいくらでも時間が過ぎたものを、と思う。あまりに手持無沙汰で刀の手入れを始めた。ぼんやりと刃紋を眺めてさえいれば、いくらでもぼーっとしていられると思った。

「やだ、総司様、着替えもされてないんですか?」

玄関の引き戸が開く音がしたと思ったら、すぐに明るい声が耳に飛び込んできた。あんぐりと口をあけて、目を見開いた総司がセイを見ていると、どさっと荷物をおいたセイが、急いで土間から上がってくる。

総司の前に手をついてセイが頭を下げた。

「すみません、総司様。昨夜は副長室で話し込んでいたらそのまま寝てしまったみたいで局長室におりました。先にお一人でお帰りいただいて申し訳ありません」
「あ……の、そんなことはいいんですけど」
「で、なんで着替えもしてらっしゃらないんですか?すぐにお持ちしますね」

いつもと変わらない、明るいセイの声に総司の反応が追い付いていない。セイが奥から総司の着替えを持ってくると、総司の傍に置いた。

「刀の手入れが終わられましたら、お着替えくださいね」
「セイ!」

着物を置いて、すぐに立ち上がろうとしたセイを、総司が呼びとめた。

「なんでしょう?」
「あの、元気……ですか?」
「はい。とってもお腹すいてますけど。せっかくお時間をいただいたから何かと思って歩いていたんですけど、朝餉を頂き損ねちゃって」

そのまま、にこっと笑いかけると、土間へ続く障子を開けた。

「総司様、お昼ってもう召しあがっちゃいました?」
「あ、いえ。なんだか面倒でいいかなと思って……」
「よかった!じゃあ、楽しみにしててくださいね。沢山買いこんできたんです」

セイが水を汲んだり、いの一番の米を洗っている間に、刀の道具をしまって、総司は着物を着換えた。そして土間へ続く敷居の所に腰かけてセイに話しかけた。

「セイ、私なら別に構いませんから」
「駄ー目です!私もお腹空いてますしね。本当は、途中で何か頂こうかなって思ったんです」

セイが次々と支度をしながら思い出したように笑った。

「でも、甘味屋さんのお団子も、小料理屋さんのご飯も、どこも総司様と来たなあとか、総司様に食べさせたいな、一緒に食べたいなって思ったら自分で作った方が早いなって思っちゃって」

少しだけ、昔の清三郎のようにえへへ、と照れくさそうに笑ったセイを見て、総司は心の中が愛しい思いでいっぱいになった。
だからこの人には敵わない、と思うのだ。

「それでですね、お昼は焼きおむすびにしようと思って。あとは、秋茄子の塩揉みでしょ、お豆腐の葛餡かけです。夕餉は蜆汁に鰹の刺身と鰹飯なんてどうでしょう?」

食いしん坊ですかね?とセイは笑いながら総司に山盛りの食材を見せた。
その仕草も、思いやりもどれもが可愛らしくて、総司は何も言えずに立ち上がった。今までならそこで抱き締めていたかもしれないが、今はただセイの隣に立った。

「どれもおいしそうで急にお腹が空いてきました。私も手伝いますから何をすればいいです?」
「えぇ?先生はゆっくりなさっていてくださいよぅ」
「あ、何をいってるんですか。昔も壬生の屯所時代も賄いは慣れたものだったんですよ?まだ腕は落ちてませんよ」
「総司様、一つくらい私に勝てるものを残しておいてください!」

二人は楽しげに話しながら、結局二人で昼餉を作った。

―― 貴女が私に勝てるものなんて沢山ありすぎますよ

そう心の中で答えた総司は、その夜は、ただそっとセイを腕の中に抱え込んで眠った。

– 終 –