縁の下の隠し事 14

〜はじめのつぶやき〜
悪い男ってまあ、脇ですし。

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姿を見せてはまずいと山崎が縁の下に潜んでいた頃、実は菊池がぶらぶらと家の周りに現れていた。夜歩きの帰りに、様子を見に足を延ばしてきたらしい。

鼻歌交じりにぶらぶらと家の周りをゆっくりと歩く。そして時折、足を止めて家の様子へ耳を傾けた。

賑やかな昼間なら、それぞれの家の中の話し声など聞こえるわけがない。だが、時刻は深夜であたりは静まり返っている。家のすぐそばによって家の中の物音に耳を澄ませれば、聞こえることもある。
まして、気配を探ることに慣れた剣客ならば、どんなに小さなやり取りでも聞き取る場合があるのだ。

「ふーん。仲よさそうでけっこうなこった」

わざわざ名前を問いかけたが、そんなことはとうに知っている。新撰組の沖田総司といえば、京の町でも知らぬ者がいないような鬼の名前である。その沖田が松本法眼の娘を娶ったらしいということまでは調べがついた。
確かに、武家娘というわけではなさそうだが、屯所の手伝いをしているらしく、だいぶ気も強い。

「ふふん。あの沖田が気に入った娘か。どこぞの町娘でも娶ったのだろうが……」

くっくっく、と含み笑いをした菊池は懐に手を入れてにやりにやりと笑みを浮かべながらしばらく様子を窺ったあと帰って行った。

 

 

 

翌日、総司とセイが屯所に向かった後、辺りの様子を窺ってからそっと山崎が縁の下から抜け出した。
一晩中、といっても夜半に家の中に上り込んでいたので、実際には深夜も深夜。丑三つ時を超えるあたりからが苦痛だったわけだが。

―― いやはや、沖田先生も怖いお人だ

山崎が縁の下に潜ってからしばらく上の物音は片付けに動く気配だけで、セイは寝ているのだと思っていた。それから、しばらくして、寝間に総司が引き取ったのはわかったが、これで何事もなく夜は終わるものだと思っていたが、それから間を置いて、微かな気配が伝わってきた。

それにはさすがの山崎も心底、驚いた。あれほど、セイを可愛がっていて、しかも夫婦になる前は野暮天と言われていた総司だが、それには参ったとしか言いようがない。まさか、自分がいることもわかっていてまるで聞かせるかのような振る舞いには驚くほかなかった。

しかも、どうやら鼻先に餌の匂いをさせておいて、取り上げるような有様である。これで気にせずに事に及ぶようならば、かえって総司も若いから仕方がないと苦笑い一つで聞かないふりもできるのだが、これではかえって気になってしまう。

そして、その途中から微かな鼻歌と足音を山崎は聞き取った。鼻歌に気楽な歩みだが、その気配は毛筋程度のもので、意識を向けていなければ聞き逃してしまいそうだった。

―― いつの間に来やがったんだか……

何度か、家の様子を窺うために歩き回った後、鼻歌は遠のいて行ったが、山崎はそれから目を閉じはしても、気が張って一睡も眠ることができなかったのだ。

総司の家を後にした山崎は一度、床伝に戻り着物を取り換えると菊池の家の近くの湯屋へと向かった。そこは、菊池がいつも朝餉をとった後に、ぶらぶらと湯に入りに来るところだ。

銭を払い、湯屋に上がった山崎は一度風呂へと向かったが、そこに目指す人影がないので浴衣を羽織ると、二階へ上がった。上の階は、湯上りの熱を冷ましがてら、酒を飲んだり、顔をつきあわせた者同士が、将棋や囲碁を囲んだり、花札や賽子遊びをするものだ。

いわゆる町の人々の娯楽場という場所である。

一通り見て歩いて、菊池の姿がないことを知ると、再び風呂に戻った。朝湯に現れるのは、時間の自由がある者が多く、年寄りか、または職人か、無頼の者と相場が決まっている。
後は、山崎のように行商の途中で立ち寄る者、昨夜の遊びが過ぎた者などだ。

洗い場で湯をかぶった山崎が手拭いを絞って、湯に浸かっているとゆったりと菊池が現れた。

昨夜の名残なのか、肩口に白粉らしき白いものをつけて洗い場に現れると、頭から湯をかぶっている。時折、自分の匂いを嗅いではにやにやとしているところから、妓の匂いがなかなか取れないのだろう。

風呂の中からそれを見ていた山崎は手拭いを手に湯から上がった。

「これは、菊池様。お背中でも流しましょうか」
「う?おう。薬屋か。お前も朝湯とは、昨夜はお楽しみか?」
「とんでもございません。昨日は遠出をいたしましたので、仕事に出る前に一風呂ですよ」

にこやかに人好きのする顔で近づいた山崎は、ぬかを手にすると三助のごとく、菊池の背をこすり始めた。立ち上る女の匂いはそのあたりの安いものではなく、これほどの香をさせるならば一晩、借り切りでもおかしくはなかっただろう。

「旦那こそ、ずいぶんいい思いをされたようですねぇ」
「ふふん。それよりも、面白い遊びをみつけたのさ」

悦に入っている菊池に、適当に相槌を打ちながらそれとなく誘導するが、なかなか菊池は口を割らなかった。

「どのようなお遊びやら。またどこぞの若女房でもお気に召したので?」
「いやいや、俺はその辺の町女房なぞ食い飽きた。なかなかお目にかかれぬものこそ、遊びがいがあるというもの」
「悪い遊びやなぁ」

男同士の忍び笑いの後、菊池について二階に上がった山崎は、たっぷりと菊池に酒を飲ませたが、やはりセイの事は何一つ洩らさなかった。これで、どのように仕掛ける気なのかわかれば少しでも違うのだろうが、やはり余計なことは口にする気はないらしい。

仕方がないと思った山崎は湯屋を出るところで菊池と別れた。

―― さて、今夜も張り付きかね……

これではいつ、菊池が仕掛けてくるつもりなのかわからないので、当分はセイや総司に張り付きになる覚悟をしていた。

 

 

「神谷さん」

声をかけて診療所に顔を見せた総司に、小者達が肘でつつき合っていた。あれから、屯所の中では普段と変わらないと思っていた総司だが、昼餉もわざわ ざ診療所まで来てセイとともにとり、にこやかに過ごしているものの、小者達には最近小部屋に顔を見せるのは誰なのか、聞き出す始末だった。

「そうですか。斉藤さんと、原田さん、永倉さん、藤堂さんですか。顔ぶれは変わってないんですねぇ」
「ええ、中村なんかは神谷さんがさっさとたたき出してしまいますからね。ご心配には及びませんよ」
「嫌だなあ。私は心配なんかしていませんよ。まさか同士相手に心配するなんてあるわけないじゃないですか。ねぇ?神谷さん」

顔はにこやかな分、セイには急にどうしてしまったのだろうと首を傾げるしかない。総司と視線を合わせないようにして、こく、と頷くとろくに食べないうちに膳を下げてしまった。

そんな総司が、夕刻になって再び診療所に顔を見せた。

「沖田先生。神谷さんは小部屋の方ですよ」
「そうですか。どうもありがとう」

にっこりと頷いた総司は部屋を回って小部屋へと向かった。
夕方ということもあって、部屋の中で帰り支度をしながらも、セイは、これから家に帰ればまた昨夜のように山崎が張り付いているのかと思うと深いため息をつくしかなかった。

 

– 続く –