縁の下の隠し事 8

〜はじめのつぶやき〜
さて、新婚さんをおとりになんてひどい副長ですねぇ

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そんなやり取りを繰り返した山崎は、徐々に菊池の懐に入り込み、コバンザメのように菊池の悪い遊びについて歩くようになっていた。
万一を考えて、床伝から出ることも考えたが、やはりつなぎをつけるには都合がいいことに変わりはない。そこで、床伝の近くの小さな宿屋に居を構えた。床伝の馴染みでもあったために、いつまでという期限もなく、気ままに滞在することができた。

「よっと」

薬の荷を置いた山崎は、着物を取り換えてどこぞの遊び慣れた若旦那風の出で立ちになると、戻ったばかりの宿屋をすぐに出た。

今日は天気の具合も悪く、夕方からは雨になりそうな空模様だったが、だからこそ、早めに宿屋を出たのだ。知らせが来てセイが休暇で家にいることはわかっている。それもわざと土方が五日も休暇を与えたのだから、当然その間に相手をおびき出す算段をつけなければならない。

―― そろそろ撒き餌はええころのはずやけど

菊池の悪い遊びの一つが、女遊びだった。女遊びといっても、花街で遊ぶときはあまり多くはない。博打の帰りに気まぐれに立ち寄るくらいで、日頃から馴染みを可愛がったりするような真似はしない。
それよりも、タチが悪いのは人妻に手を出すのだ。商家も武家もお構いなく、気に入った女を見つければ付きまとい、口説き落とすこともあれば、強引に襲い掛かることもある。

しかも、相手が忘れようとしたとしても、家にまで現れるのだ。山崎がこの家に来た時にいた女は、後になってわかったのだが、大きな旅籠の若女将だったが、客として泊り込んで手を付けた菊池が人目もはばから無くなって、家にはいられなくなって菊池のもとにいたらしい。

その女は飽きた菊池が花街に売り払ってしまったということだ。

女好きというよりも、女を手に入れることと、手に入れた女をその夫の前で奪い取る様がおもしろいらしい。

その話を聞きこんだ土方が、セイを囮に使うことに決めたのだ。新婚で、武家の女だが少し変わっているのも菊池の興をそそるだろう、というのだ。

「それは、いくらなんでも……」

セイを危険な目に合わせることも、それが総司にばれた時のことも考えると山崎は、賛成しかねた。だが、ほかによい案も浮かばず、結局のところ、山崎が常にセイが家にいるときは張り付くということで動き出したのだ。

この話は、今の時点では土方と山崎と、一部の監察の者しか知らない。ほかの組長格にも話は知らせないままで今は進んでいた。

さりげなく、薬の行商で見かけた新婚の妻女が、とセイの事をさりげなく菊池に触れ込んだところ、早速、昼間にはセイがいるところに下見に現れたこともちゃんと後をつけていて知っている。

山崎は、総司達の家に着くと、そろそろ夕餉の支度にかかっているらしいのをみて、庭から木戸をあけて縁の下に潜りこんだ。下見にまで来たのなら、 早々にセイを襲う機会を狙うはずだ。総司がいつ帰ってくるのかわからないが、それまでは何があってもすぐに飛び出せるようにしなければならない。

ぽつ、と降り出した雨に小さく舌打ちをした山崎は、かねて準備してあった蓆を広げると、狭い床下で横になった。

 

 

屯所では何事もなく、土方のもとへと向かったが、総司は忙しいと言われてろくな話をすることもできなかった。監察方の様子を見に行っても、ばたばたしている様子もなく、何かあるのかと逆に問いかけられてしまった。

山崎がわざわざ、今は何も言えないといったのは、総司のために予告だったとは思うのだが、その背景がよくわからなかった。

「沖田先生、眉間が副長になってますよ」
「え?……ああ。ちょっと考え事をしていたので」
「考え事?!」

滅多にない、総司の言葉に全員がざっと振り返った。考え事が苦手なことは皆が熟知している。なのに、総司が考え事とくれば、すわ、何事かと隊士たちが総司の周りに集まってきた。

「何か特命ですか?」
「俺達に何かできることはありますか?」
「沖田先生!」

急に大事になりかけたので、はっと正気に戻った総司は慌てて、両手をひらひらと振った。

「何でもないんですよ。大したことじゃないので気にしないでください」
「本当ですか?」

疑惑の目を向けた山口に総司は困ったなと、頭を掻くと立ち上がった。そろそろ夕刻になり、午後の巡察の隊もこれということもなく戻ってきている。

「本当に、大丈夫ですよ。それよりも、そろそろ何もないようなら私は帰りますけど、大丈夫ですか」
「そういえば、もう夕方ですね。雨が降り出しそうですから、傘をお持ちください」

後のことは任せてくれと相田と山口が請け合ったので、総司は帰り支度をして隊部屋を後にした。大階段で草履ではなく高下駄を履いた総司は、門脇の隊士から傘を借り受けて家へと向かった。

今にも降り出しそうな空だけに、暗くなるのも早くて、総司が家に向かっている途中でぽつぽつと雨が顔に当たり始めた。

「家まで持ちませんでしたか」

一人呟いた総司は、空を仰ぎながら傘をさして再び歩き出した。その先に、この近所では見慣れぬ、背の高い武士の姿をちらりと見かけた。降り出した雨を避けるように、足早に去って行った姿にちらりと視線を送りながら家の前に続く角を曲がった。

ぽつぽつと家々の雨戸が閉められていき、行燈の灯りがついた家があれば、夕餉の膳の匂いが漂う家もある。

セイの待つ家に帰る。

普段も同じだが、一緒に帰るのと、待っている家に帰るのとでは全く違う気がして、照れくささとこそばゆいような感覚が屯所にいた時の疑問を押し流していく。

格子戸をあけて、玄関に入った総司は土間で傘を畳み、濡れた羽織を手で払った。

「総司様?」

人の気配を感じたセイが奥の台所から、襷をかけまわした姿でひょこっと顔を見せた。濡れているらしい総司の姿を見ると、急いで部屋から手拭いをとって玄関先に現れた。

「おかえりなさいませ。雨、降りだしたんですね」
「ええ。屯所を出た時はまだ降っていなかったんですが、途中で降ってきちゃいました」

肩先を押さえたセイは、これ以上拭いても仕方がないと思い直して、手拭いをそのまま総司に渡した。

「すぐにお着替えをお持ちしますから、足を拭いて上がってください。そのままじゃお風邪を召してしまいます」
「このくらいじゃ、平気ですよ。いいから慌てないでゆっくり支度してください」

屯所時代の世話女房が本当の女房になって、総司を急き立てると、奥の部屋に着替えを用意しに向かう。セイらしくて笑い出しそうになった総司は、下駄を脱いで濡れた足袋も脱いでしまうと、足を拭って部屋に上がった。

着流しを乱れ箱に入れたセイが戻ってきて、総司の濡れてしまった着物と足袋を受け取ると、すぐに洗うものと、火熨斗をかけるものとに分けて始末しに行ってしまった。
部屋の中の火鉢が、半分消えかけていたので、炭を足して灰を掻いた総司は、部屋の中を見渡して、文机に残る書類や昼間のセイの名残を見て、ひっそりと微笑んだ。

「総司様、すぐ夕餉にしますから少しだけ待ってくださいね」

セイの声が聞こえてきて、総司は呑気に返事を返した。

 

– 続く –