縁の下の隠し事 9

〜はじめのつぶやき〜
縁の下に山崎さんがいるのに?!

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夕餉の膳を運ぶ前に、熱い茶を入れて総司に差し出すと、温まってきたらしい総司の顔をみてほっと息をついた。

「いくら総司様が鍛えてらっしゃっても、風邪は風邪ですからね。お気を付けください」

普段は滅多なことで体調を崩すことのない総司だが、季節の変わり目だけは得意ではない。今までセイが知っている限りでも、数えられるくらい少ない、総司が寝込んだのはそういう時期だった気がする。

「ありがとう。心配かけましたね」
「そんなことないですけど……。じゃあ、夕餉にしますね」
「ええ」

セイは、粗相しないように、気を付けながら夕餉の膳を運んできた。

「文机、そのままで申し訳ありません」
「構いませんよ。お休みの間は、そこが貴女の仕事場ですからね」
「今日は特に何かございましたか?」
「そうですねぇ」

何気ない会話も、なかなかこの二人では境界線を引くことは難しい。時に、組長と隊士になったり、幹部同士であったり、組長と隊医ということもある。

それでも、休暇の前に土方も言っていたように、特にこれといったこともなく終わった一日だった。

「平和が一番!っていう感じの一日でしたね。うちは巡察もありませんでしたから、近藤先生と一緒におやつをいただきましたよ」

何より嬉しそうな顔で話す総司に飯をよそいながら、それを聞いたセイもなんとなく嬉しい気分になる。

「貴女はずっとお仕事してたんですか?」
「いつもと同じですね。洗物を済ませてから、文机を持ってきて、そこに場所を作って。あ、そういえば……」

昼間、生垣から家の中をのぞくようにじろじろと見ていた浪人者の事を言い出しかけて、セイは言葉を切った。そのまま総司に言っていいものなのか、躊躇ったのだ。
言えば、総司は心配して自分と一緒に屯所に来るように言うだろうし、決してセイを一人にはさせないだろう。だが、それほど大事になるのは避けたい。

「セイ?どうしました?」

話の途中で黙り込んだ、セイを不思議そうな顔で見た総司を誤魔化すために、セイは手にしていたお椀をおいて湯呑を手にした。

「……っん。喉に引っかかって。ごめんなさい。なんでしたっけ。……あ、そう。お天気が良くて、お洗濯ものがよく乾いたって言いかけたんでした」

えへへ、と笑ったセイに、すうっと一瞬総司の目が細められたが、そのまま視線を外してそうですか、とだけ呟いた。山崎の事がなければ総司は何も知らずにいたかもしれない。
ふと、家に帰る道で頭の中に沈み込んでいた山崎の事が思い出される。

疑問をただの疑問にしておけるほど、総司はセイに関して言えば寛容ではなかった。

「セイ」
「はい?」
「土方さんから、何か特命を言われていませんか」

あまりにまっすぐな総司の問いかけにどきっとしたセイは、動かしていた箸を滑らせた。
その様子を見れば一目瞭然ということろだったが、総司はセイの口からききたかった。どうしようかと一瞬迷った後に、セイはぱちん、と箸を膳に置いた。

「申し訳ありません。総司様。お話しできません」

まっすぐに総司を見返すセイの眼を見れば、ほかに何も聞く必要はなかった。それよりも、隊医となった今でも、セイはやはり、武士の魂を抱えているのだと実感する。頷いた総司は、セイと同じように一度、茶碗も箸も膳の上に置くと、膝の上に手を置いて頭を下げた。

「わかりました。すみません、答えにくいことを聞いてしまいましたね」
「いいえ。本当に申し訳ありません」
「謝らないでください。私だって、セイにすべてを話しているわけじゃないこともありますから、お互い様ですよ」

素直に、引いてくれた総司には申し訳なかったが、セイも見張りの話の背景は全く分からないのだ。本当ならば総司にも土方を問い詰めてほしいくらいだったが、ここまで黙っているとかえって話しづらくなる。

――早くこんなこと、終わってくれればいいのに

終わるには、セイも、総司も知らない間の動きが進まなければならないのだが、肝心の二人だけが本当の事態を何も知らないのだった。

 

 

運よく、というべきか、それから二日ほど、雨は降ったりやんだりを繰り返し、人々を翻弄していた。
外出しようとすれば、雨足強く降り出して、諦めて表を眺めていれば再び止んでしまう。巡察に出る者たちも、雨の支度はしていたが、ぬかるんだ足元と、急に強くなる雨にぶつぶつとこぼし合っていた。

セイが休暇に入って、四日目になって、ようやく日が差してきてセイは雨戸をあけて、表の空気を部屋へと入れた。

せっかく家にいるというのに、雨のためにあまり手の込んだものを総司に出せずにいたので、食材を買いだすついでに何か菓子でも買い求めに近所まで出ることにした。お馬も四日目ならば、清三郎時代は屯所に帰っていたくらいなので、どうにでもなる。

それでも、手厚く身支度を整えると、袴ではなく女物の着物に身を包んで念のために傘を持って家を出た。近所の豆腐屋にまずは立ち寄って、家に戻るこ ろに豆腐を届けてくれるように頼み、それから蕪を焚こうか、大根にしようかと考えながら馴染みの魚売りを回り歩いている途中でつかまえた。

「よかった。今日は何かあります?」
「へぇ。雨降りでこっちもなかなか困ってまして」

川魚ならばというので、麹漬けを家に届けてもらうように頼むと、最後に菓子舗に足を運んだ。

「これは、お足下の悪い中ようこそおいでくださいました」

馴染みの店は、セイが何者なのか知っていて、滅多なことでは名前で呼びかけることはない。こんな天気の悪かったところにわざわざ現れたセイを歓迎して、茶を運んできた。

「お呼びくださればお届けに上がりましたのになぁ」
「ちょうどよかったんです。用足しもありましたし。でも、この天気ですっかり切らしてしまったので、練りきりを少しと饅頭を五つほど、それから落雁をお願いします」

総司の胃袋を心得ている店主はそのくらいの分量に驚くことはない。せいぜい持って二、三日分だからこそ、生菓子を選んだのだろうとみると、小さな干菓子をついでに付けて寄越した。

「これは先生ではなく……」

小声で、総司のためではなくセイの分だと片目をつぶって見せた店主にセイはくすっと笑い、礼を言った。これだけたくさん買っていても、ほとんどセイの口には入らないことを知っていればこそだろう。

風呂敷に包んで菓子を抱えたセイは、家に帰るべく店を出て歩き出した。

「お内儀」
「はい?」

店を出て、セイは背後から呼び止められて振り返った。先日の生垣の浪人がにやにやと何がおもしろいのかわからないが、笑みを浮かべてすぐ間近に立っていた。

「失礼ながら、お名をうかがってもよろしいかな?」
「……名を尋ねるならば、ご自身から名乗られるのが筋でしょう」

女子にしては幾分固い口調でセイが答えると、浪人は答えないまま、頭の先から爪先までじろじろとセイを不躾な視線で眺めた。

 

– 続く –