四海波 3

~はじめのお詫び〜

そんなに簡単じゃないぞ~!このまったり待たされるのは……
BGM:FUNKY MONKEY BABYS  希望の唄
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総司が隊務をこなしながらも、悶々とした日々を過ごしている間に、屯所には診療所が増設されることになった。

幹部棟の側に増設されているこじんまりした建物には、これまで屯所の一部屋を使っていた病室や薬の調合を行う部屋、その他処置に必要な道具類も整えられることになっていた。病室に併設された専用の湯殿は、傷病者への気遣いもあって、ここだけは囲われていて、周囲を気にせずに入浴できるようになっている。

また賄い所にも近くなっていて、以前、松本の指導があったように、食にも配慮されるようになっていた。

やはり、近頃の状況からすれば負傷するものも多くなっているし、そのたびに南部や松本の診察を請うことができるとは限らない。それもあって、隊内の診療所の設置になったようだ。

診療所が完成し、最終の検分に松本と南部がそろって現れた。珍しく紋付き袴で現れた二人は、お城からの帰りだと気軽に応じ、手土産に祝いだと酒を持ってきていた。

屯所全体を考えれば、こじんまりしているとはいえ、きちんとした広さの病室と処置室を揃え、薬部屋は壁一面に薬の引き出しが備わっている。

近藤と土方の二人とともに、隅々まで検分していた松本は一通り見終わると、納得したように頷いた。

「立派なもんだ。これなら何かの折に俺達が来ても道具も揃っているし、薬も揃っている。万全だな」
「ありがとうございます。おかげ様でなんとか整えることが間に合いました」

渡り廊下で幹部棟へと向かいながら、松本も近藤も満面の笑みを浮かべていた。局長室には、密かに屯所に入った者がひっそりと座っていた。

その局長室に向かいながら近藤だけでなく、土方も笑みを浮かべながら松本と南部に祝宴への参加を求めた。

「ありがたいことに肥後守様からも祝いを頂戴しております。今宵はぜひゆるりと祝宴にご参加いただけますかな」
「もちろんだ。ぜひとも参加させてもらう。なあ、南部」

松本の後ろでにこにこと笑顔でうなずく南部を従えて、四人は局長室に戻ると、障子を閉め切った。

夕刻、午後の巡察から戻った者たちが一段落したところで、全員に招集がかかった。大階段の前でぞろぞろと隊士たちがそろうと、近藤が口を開いた。居並ぶ幹部たちの中で前に進みでる。

「皆も知っての通り、屯所内に診療所を設けることにした。今日はその祝いをしようと思う」

それを聞いて、一瞬沸きかけた隊士たちに、土方の声が響いた。

「最後まで話を聞け!いいか?今後は診療所に詰める者を幹部待遇として、医食はそのものの指示に従うこととする。重傷者が発生した場合は適宜、これまで通り松本法眼、南部医師の診察を依頼する」

近藤の隣に立っていた松本が頷いた。その後ろから。

「今日から、診療所勤務とする“松本セイ”だ」

すい、と進みでた小柄な人物は、武家の子女がする稽古姿のように女物の袴をつけ、伸びた髪を総髪風に結っている。わずかに化粧をしているのか、以前の少年か、少女かという姿とは異なり、はっきりと美しい女性としてその場に立っていた。

集っている隊士たちも、上段に並んでいた幹部たちも唖然としている。
一番呆気にとられていたのは総司だろう。女子姿はみたことがあったが、今のきりりとした武家の女としての美しい姿は、三月ぶりにやっと会えた身には相当くるものがあるだろう。

「見ての通り、神谷は隊を退いた後、松本法眼に弟子入りして養女となった。そのため、隊内での呼称は旧姓の神谷を通すこととする」

土方が、淡々と続ける言葉もろくに耳に入らなかった。

―― 神谷さん

どんな思いでこの三月を過ごしただろう。
毎日、もう二度と会えないのではという不安と闘いながら、戻った貴女に顔向けできないようなことにだけは絶対にしたくなかった。

凍りついたように、セイを見つめる総司をよそに、解散の声とともに、幹部たちは松本達とともに局長室に向かった。誰かに促されたまま、どうやって局長室まで向かったのか覚えていない。

ただ、その後姿だけでも、目が離せなくて、霞を踏むように進んだ。

幹部たちが局長室に落ち着くと、皆が久しぶりに会ったセイに次々と話しかけた。

「神谷~!!久し振り~~~」
「元気だったかよ~」
「うぉぉぉ、お前やっぱり可愛いわ~~~」
「うるせぇんだよ!!」

いつもなら土方の怒声のはずが、この日は松本の一声がびしり、と響いた。セイを見つめて固まったままの総司へ、松本が声をかけた。

「沖田ぁ!てめぇ、俺になんかいうことはねぇのか」
「えっ!!あっ、はぃ?」

ぱっと正気にもどったのか、我に返った総司は赤くなりながらへどもどと口ごもってしまう。完全に思考回路が停止しているようで、何かと言われても何を言うべきなのか思いつかない。

すると、斎藤がしれっと総司より先にセイに向かって、手を伸ばして頭を撫ぜた。

「よく戻ったな、神谷。松本法眼、沖田さんが話がないようなら、私からご息女についてご相談させていただいてもよろしいですかな」
「おう、斎藤。てめぇも話があるクチか」

にやにやと斎藤の方を向いた松本に、斎藤が手をついた。

「はい。ご養女にされたセイ殿を嫁に」
「だ、駄目です!!」

途中まで言いかけた斎藤を遮るように総司が叫んだ。

「神谷さんは私のものです!松本法眼、神谷さんを私にください!!」

しん、と空間が止まったように静かになった。腕を組んだ松本が立ち上がると、ぐいっと総司の胸倉を掴んで思いきり殴り飛ばした。

「ばかやろう!てめぇ、初めからそういう順番で来い!手間掛けさせやがって、セイを不幸にしたら承知しねえぞ!」

ぶぶぅっ。

襖の空いた副長室まで殴り飛ばされた総司が顔をあげるかどうかのところへ、誰かの吹き出す声が聞こえた。

堪え切れなくなったその場にいた者たちが腹を抱えて爆笑し始めた。

顔を真っ赤にしたセイが、黙って立ち上がると、総司の隣に座り松本に向かって、手をついた。そのセイにむかって、松本がぐいっと顎を掴んで顔を上向かせた。

「いいか、セイ。この朴念仁の野暮天ヒラメは、剣術以外じゃこんなに情けねぇ野郎だぞ。本当にいいのか」
「もちろんです。何度聞かれても変わりません。武士だった神谷清三郎も、女子の神谷、いえ、松本セイも沖田先生のお傍で誠のために在るのですから」
「か、神谷さん……」

殴られた顔を押さえながら、総司が呆然とつぶやいた声をかき消すように、屯所中がわぁっと歓声を上げた。

次々と障子があいて、隊士たちが顔をだして祝いを口々に叫んだ。いつの間にか、局長室と副長室の周りの廊下は隊士達でいっぱいになっている。よく見れば隊士のみならず監察方や勘定方、賄い所の者たちまで混ざっている。

笑い転げる幹部たちを前に、すくっと土方が立ち上がった。

「てめぇら!やることは分かってるんだろうな!」

「「「「「おうっ!!!」」」」」
「よぉ~し!準備にかかれ!!」
「「「「「承知っ!!!」」」」」

どどど……と地響きのような有様で、それぞれがそれぞれの役割のために動き始めた。おそらく一番事態を飲み込めていない総司を近藤と土方が両脇から抱えて立たせる。

「総司、お前はこっちだ」
「え?え?ちょっ……まっ……」

セイを必死で振り返ると、セイはセイで、赤い顔で松本に何か文句を言っている。

「え、えぇぇぇぇ~~~~~~」

総司の虚しい叫びだけが遠くの方へ響いて行った。

– 続く –