天にあらば 7

〜はじめのつぶやき〜
出発前だというのに喧嘩はじめちゃいましたー

BGM:浅井健一 Mud Surfer
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土方にしても斉藤にしても、たったこれだけの猶予では情報を集めるのが精一杯だった。後は行き当たりばったりでも仕方がないと腹を括りだしていた。何しろ、不確定要素が多く、しかもあの夫婦のことだ。

 

道場での稽古を終えた後、それぞれに泊まりの仕事が重なり、さらにセイは出張の準備があったのでろくに二人だけで会話できる時間が少なかった。
せいぜいできたとしても二言三言会話して様子を伝え合うのが関の山だったのだ。

そこに、昨日は数日振りに二人揃って家に戻った。もちろん、することは山積みだったが、ずっと気になっていたことを聞きたくて総司が頃合を見計らって、口を開いた。

「セイ?ちょっと聞いてももいいですか?」
「はい、なんでしょう?」

夕餉の片付けを終わらせたセイは、出張中の着替えを整えて、手甲などの替えを揃えるのに忙しくしていた。だが、それも、もう終わりかけだったので、手を動かしながら顔を上げた。

「セイ。貴女一体、どこで誰と稽古してるんですか?」

総司の直球の質問にぴたっとセイの手が止まった。

―― しまった。やりすぎちゃったか

総司には深く疑われない程度の稽古で終わらせるはずがついつい本気で立ち向かってしまった。確かにかわさなければ打たれるように願い出てはいたが、実際にそうするかといえば、加減がまだセイには難しい。

すう、と静かに息を吸い込んで動揺を押し隠したセイが顔を上げた。

「誰とってことはないですよ?暇を見て、木刀を握ったりして、あまり力が落ちすぎないようにはしてましたけど」

総司はセイが隠し事をするのを嫌う。自分がどれだけ隠し事をしても、無茶をセイに言ったとしても、セイがそれをやるのはひどく嫌がる。
だから、セイの隠し事のほとんどは薄々総司も察しがついているものの、なかなかセイが言いにくいこと、の場合に限られるはずだった。
それは紅葉の一件以来、総司が身に染みていたことだった。

にしても、セイの腕は明らかにこれまでとは違う形であがっている。かつて一番隊で敵と戦うために稽古していた時とは動きが違う。
あえていうならば、神谷流に近い。それを一人きりの稽古で身につけられるとは到底思えなかった。

「セイ。今まで私が気づかなかったのがおかしいくらいですが、アレを見てなんとも思わないと思いますか」

―― う

明らかに総司の声が変わった。滅多なことでは怒らないが、未だにこの手の隠し事と心配させたときは半端なく、瞬間沸騰かと思うくらい怒る。本人としては、これでも自制しているらしいが、そもそもセイにかかわることになると、理性というネジが吹っ飛んでしまう総司のことだ。

努めて穏やかにセイが答えた。

「付け焼刃ではない実戦のための稽古ですから、認めていただいてありがとうございます。私も、医者とはいえ新撰組の隊士ですよ?稽古してはいけませんか?」
「そういうことではないです。特に、最後のは本来、貴女の手を掠めていたはずです」

もっというなら、本来はかわしきれずに足に当たっていてもおかしくない。

これがセイの負けず嫌いに火を点けた。セイの負けず嫌いと頑固さは折り紙つきで、このところ自分のせいではなくとも、危ない目にあうことでなりを潜めていたが、今は違う。

頭では今回の出張の意味合いも理解していたが、もしものために稽古をと願った時に、少なからずわくわくしていたのも事実だった。未だにセイの中では総司のために情けない真似はしたくない、総司に認めて欲しいという想いが根強く残っている。

「そんなに私が未熟だとおっしゃりたいんですか?」
「誰もそんなことを言っているわけじゃないでしょう。貴女の実力を考えれば……」

剣術に関して、稽古は加減できても口では加減できずについ、総司の言葉が過ぎた。
セイがむっとして言い返したのをまともに受けてしまった。しかも、半分呆れたようなため息がついていたからますます、セイの怒りに火が点く。

「そうですね。未熟な私ですから、稽古していただくには及びません。もう結構です」
「セイ?!そんなことを言ってるわけじゃないでしょう?貴女が誰と稽古しているのか聞いてるんですよ?」
「誰でもありません!総司様には関係ありません!未熟なままの私のほうが総司様にも都合がいいんでしょう?!」

苛立ちを受けたセイが怒りに任せて言い返した。
こうなっては売り言葉に買い言葉である。いつにもましてセイが苛立っているのもあるが、総司も事が事だけに引かなかった。

怒ってはいても理性は手放していなかった総司が、セイの頬を軽く張った。

「……本気で言ってます?」

じわりと低い声で言う総司に、叩かれた頬の側だけぱたぱたと涙が零れたが、悔しくて泣いているわけではない。叩かれたときに、手のどこかが目にも当たってその衝撃のせいだけだ。
でも、意志に反して零れる涙にさえ腹が立ってきっ、とセイは目を見開いて総司を見つめ返した。

「本気です。だってその方が私が危ないことに首を突っ込まないからいいと思っていらっしゃるでしょう?」

さすがにこれには総司もかっとなって手を振り上げた。
総司が心配することとセイの腕前とは別な話である。だが、涙目で見返したセイの顔を見て、総司の方の頭が冷えた。

振り上げた手をそのまま下ろすと、黙って立ち上がって寝室に入っていった。これ以上セイの傍にいては、単なる言い合いにしかならなくなってしまうのが目に見えていたからだ。

残されたセイは台所に向った。水を汲んで手拭を濡らすと叩かれた頬に当てる。ひんやりと冷たい手拭に片方の目からだけ流れた涙が吸い込まれた。

悔しさと、悲しさに眩暈がする。

これでも自分の分相応というものは弁えている。その上で、いつまでもただ庇護されているだけではいたくないと努力して何が悪い。

考えれば考えるほど腹が立ってきて、眠るなど到底できそうにない話だった。

 

 

早々にセイとの言い合いから離れた総司は、床の中に横になっていたが、目を閉じていても意識は起きている。隣の部屋の気配が台所に行ってから随分たつが、戻る気配がない。
経験上、ここで迎えに行くかどうかの判断が難しいところだったが、今日は自分も振り上げた拳の下ろしどころに困っていたので、セイが自分で寝に来ることを待つことにした。

何しろ、結局言い合いになったものの、誰とどんな稽古をしていたのか聞きだせていないのだ。

隠し事はしないで欲しい。

ただそれだけだと自分では思っているが、実はそれだけではないから根が深いのだ。
そのうちに、うつらうつらと総司は眠ってしまった。

隣の部屋から聞こえる朝の支度をする音で、はっと総司は目を覚ました。隣を見るとそこにはセイが休んだ跡はない。眉間に皺が刻まれたが、一夜明ければ頭も少しは冷える。
起き出して襖を開けると、いつものように朝餉の支度がされていた。

「……おはようございます」

セイの背後から手拭を持って声をかけると、いつもなら振り返って笑顔を見せてくれるところなのに、一瞬手が止まったものの、そのままだった。

「おはようございます。支度できていますから」

振り返らずに答えたセイの声がいつになく硬くて緊張感を纏っていた。

 

– 続く –