たしなみ 2

〜はじめのお詫び〜
なかなか想いはすれ違うもので……
BGM:sweetbox EVERYTHING’S GONNA BE ALRIGHT
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結局、その日は先に休むと言って、寝る時さえ別だった。セイは、なかなか休むことができなくて、そのまま部屋の中でじっと考えこんでいた。

そして、先に休むと言って床に入ったはずの総司も横になったものの、眠ることができずにいた。

―― はぁ……

まだまだこの二人にとっては、夫婦という時間は一つ一つが手探りなことばかりである。そして、不器用な二人はこうした少しの気持ちの伝え方もなかなかうまくいかない。

セイが少しでも武家の女として努力している気持ちはわからなくもないし、この子らしいと思う。清三郎だった頃からこの子がそういった努力を惜しむことはなかったのを一番自分がよく知っている。
ただ、それと同じくらい、自分の限界を超えてまで無理をするのだということも同じくらいよく知っているのだ。

そんなあるかどうかも分からない事のために、セイが無理をすることは総司にとって許せることではない。

そもそも、セイは隊務をこなし、時には腕が鈍らないように稽古さえする。さらに妻として家のこともこなし、空いた時間には医者としての勉強や、近藤や土方の手伝いに、こまごました雑用までこなしている。その上、さらに貴重な休みの日に違うことに時間をかけるというのか。

セイに対する苛立ちは、そのままではどんなひどい言葉をぶつけてしまうかわからないもので、そうしないためにも先に休むといって床に入った。

隣の部屋のセイが静かに泣いている気配に、さらに深い溜息をついた。

 

 

ぽつり。
手の上に落ちた涙で、自分が悲しんでいることに気がついた。

総司の下についていたときもこういうことがあった。総司が時折、セイに詳しい説明をすることなく、冷たく突き放したり、怒ったまま何日 も口を利いてもらえないこともあった。それはほとんどの場合、セイのためであることが多かったが、セイにとっては説明もなくそうされることで、どれだけ心 を痛めて、涙を流してきたことか。

自分を鍛えるため、守るためだったことは理解している。でも、傷つくことと理解できることは違う。そして今は、分かってもらうために話を聞いてもらうことさえしてもらえない。

自分はそんなに悪いことをしているのだろうか。

泣き声が漏れれば、きっと気づかれてしまう。セイは、声もなく静かに肩を震わせて泣き続けた。

 

翌朝、いつの間にか眠ってしまった総司が目を覚ますと、すでにセイは起き出して朝餉の支度をしているところだった。薄らと夜半に、隣に気配を感じたものの、本当にセイが隣で休んだかどうかは分からない。

起き出した総司は、つとめていつもと変わらないようにセイに声をかけた。

「おはようございます」
「おはようございます、総司様。もう少しなので顔を洗ってらしてくださいね」

いつもと変わらないような笑顔に見えて、その顔色があまりよくないことはすぐにわかった。気づかないふりで、総司は言われたとおり顔を洗って、先に身支度を済ませた。

朝餉をとると、いつものように支度をして屯所に向う。その間も、いつもより口数が少ないまま、それぞれの仕事に取り掛かった。

 

その日は、久しぶりに松本が訪れた。局長室にいる松本に、総司は挨拶に顔をだした。

「ご無沙汰しております。松本法眼」
「おう、沖田か。何だ、“義父上”ってよんでもかまわねぇぞ」

久々に顔を出した松本は、近藤たちの前で豪快に笑った。さすがにその呼び方を屯所内でするのは憚られる。

「勘弁してください……」

大きな体を丸めるようにして総司が頭をかいた。そこに、小者に呼ばれてセイが現れた。

「失礼します、神谷です」

総司が障子を開けると、顔を上げたセイは軽く頭を下げてから少しだけ部屋に近寄って頭を下げた。

「ご無沙汰しております」
「おう!セイ、お前も元気そうじゃねえか」
「おかげさまで。お話が終わりましたら診療所の方へもぜひお立ち寄りください。とりあえずご挨拶をとお邪魔致しました」

そういうと、頷いた法眼に笑顔を見せると、近藤たちに再び頭を下げてセイは下がっていった。
後姿を見ていた松本は、総司の顔がかすかに曇っていることを見逃さなかった。
ちらっと土方の顔を見ると、こちらも眉をひそめている。事情が分かるまでは、触れないほうがいいと判断したのか、そこで話を振ることはなかった。

話が一段落すると、総司の案内で松本は診療所に足を向けた。
松本が診療所を訪れるのはあの祝言以来である。

整えられた室内を検分すると、いくつかセイに指示をだした。
外に出て行くことが少ないので、あまり薬籠を使うことがないセイに普段から使い慣れておくと、何処に行っても同じ処置ができる、など実質的な指示を与えてから、私室扱いの小部屋に移った。

「どうだ、調子は」
「おかげさまで。今のところ大きな怪我人も、病人も出ていませんし、何とかやらせていただいてます」
「仕事だけじゃあねぇよ。沖田とは上手くやってんのか?」

診療所に案内するだけして、隊務に戻っていった男について、松本が問いかけたのだ。 セイは視線を伏せて、頷いた。

「私が至らないことが多いのでご迷惑をおかけすることが多いんですけど」
「つったっておめぇ、祝言からどんだけたつ?」
「えーと、二月……かな」
「馬鹿野郎、二月やそこいらで迷惑もクソもあるかよ」

松本が呆れた声を上げる。二月の間に、総司の大阪への出張を差し引けば、正味一月あまりしかたっていないのだ。たったそれだけで男女の機微が分かり合っていたら世の中の夫婦に苦労は無い。

「そうですよね。私達はまだまだ新米ですから……」
「なんだ、喧嘩でもしてんのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」

困ったようにセイは口ごもると、自分の頬をパンっと両手で叩いた。

「大丈夫です。松本法眼、ご心配かけてすみません!」」

いきなり、セイが自分自身に気合を入れるのをみて、やはり何か諍いがあったことはわかったものの、どうやら自分でなんとかする気だと見て取った松本はにやりと笑った。

「まあ、せいぜい頑張るこった。親父以上に扱いが難しい男を落としたんだから、おめぇなら大丈夫だろう」
「お、落としたって言い方はやめてくださいよ!!もうっ」

がっはっは、と豪快に笑いながら、義理の娘夫婦のことを心配しているのは自分だけじゃないはず、とばかりに屯所を去り際に土方に放っておけ、と囁いた。
驚く土方に、松本はにやりと笑ってこういった。

「なぁに。セイが自分でなんとかするだろうよ。わざわざ馬に蹴られに行くこともねぇよ」

 

夜勤明けで巡察から戻った総司は、いつもなら家に戻ってから休むのだが、あれ以来、会話の少なさに耐えかねていたので、そのまま隊部屋で仮眠を取った。
本人が起きているかはさておき、セイは夜の間、休んでいるので朝から通常通り働いている。そんなセイの元に、お里から文が届いた。

総司にやめるように言われてから、セイは仕方なくお里に話をした。
箏の琴を習うことをやめることにしたのだ。お里に時折、手ほどきを受けていた三味線も同様にやめると伝えていた。
ただ、箏の琴の師匠には、直接お詫びもしたいことだし、いつも茶屋をかりて稽古していたので、最後の稽古の日取りを都合してくれるように頼んでいた。

昼過ぎになると、セイはその日の仕事を終わらせて、小部屋に引き上げる。それから、手回りの品の中に持参した小袖を確かめた。
それから、総司に宛てて文をしたためた。

 

 

総司が起きて、家に帰るより一足先に屯所を出ると、セイは習っていた茶屋へ向った。
茶屋には、お里がすでに来ていたので、セイはお里に手伝ってもらいながら、着物を着替えた。

「本当にええの?おセイちゃん」
「ん……」
「なんか……本当にそれでええのやろか」

お里には、やめる理由を聞かれて、仕方なく全部を話した。お里はその話を聞いて以来、不機嫌この上ない。

「だって、仕方ないよ。沖田先生が認めてくれないのに……」
「そやかて、あんまりにも横暴やないの!おセイちゃんがどんな思いでいるかも聞かんと一方的すぎるわ」

それまで着ていた無地の地味なものから、華やかな柄の小袖に着替え、帯も文庫に締めると、髪型を除けば確かに武家の妻女に見える。

「立派やわ。……きれい」

お里がそう言うと、店の者が遅れて現れた師匠(せんせい)を案内してきた。
最後の手ほどきを受けて、丁寧に礼を述べると、師匠も残念そうにしていたが、別れを告げて去っていった。その師匠を送って、お里が茶屋を出た後、しばらくセイは一人で箏の琴を爪弾いていた。

 

先刻、屯所を出る際に、総司にあてた手紙に、習いをやめることと、最後のご挨拶を兼ねて稽古を済ませるためにこの茶屋にいることを書いておいた。
もし、総司が目覚めて、夕刻まで間があるようならばここに来てほしい、と。

始めた頃は、何にをするにしてもこれまで男の中にまぎれて疑われぬように過ごしてきたセイにとって、女としての所作一つにしても並々ならぬ苦労を重ねてきた。

それに、今でも屯所にいれば、男並にこなさねばならない仕事もある。
しかし同時に求められるしとやかな動きや、足をそろえて歩くことなど、随分前に捨て去った女としての動作に一苦労なのだ。

今着ている小袖にしても、普段着ているものとは違い、女物としての仕立てのために、袖がいつもより長く、八つ口が開いているため、いつものように腕を伸ばすことはできない。

軽く袖を押さえて、習い覚えた曲を弾く。
この借り物の琴ももう、弾くことは無いだろう。

納得したわけではないものの、仕方の無いことだとセイは諦めることにしたのだ。
もとより、そんな機会があるかどうかさえわからないことでもある。余計な場に出すぎずに顔を出さなければそれでいいだけだ。

セイはそう思い込もうとしていた。

– 続く –